ラブレター

 懐かしい顔を見る期待が半分。そしてもう半分は過去の汚点とでも言えばいいのだろうか。郊外の閑静な場所に出来たイタリアンレストランの駐車場には既に何台もの車が止められていて、大きな窓の向こうに仄かな灯りと共に多くの人影が浮かんでいる。


 汚点と言っても今となっては甘酸っぱい思い出とも言い換えられるし、恐らくそれを知る人間は私以外には一人だけ。おまけにあれから二十年だ。今となってはその当事者ですら記憶から消去されているのではないか。


 ただ、そう思ったところで扉や踏み出す足はなぜか重く感じられた。扉はまるで過去へと遡る入り口でもあっただろうか。足を踏み入れ幾人かの声や顔を見た途端、僅かな不安は一瞬で払拭された。


「よ~っ!倉持くらもち!」


 名前を呼ばれ私も微笑んで返す。風貌の変わったものもいたが、然程時間も要せずに当時の面影が浮かぶ。しかし、女性の場合は名前と顔を合致させるのが容易ではなくパッと見たくらいでは誰なのかわからなかった。


 互いに三十五歳とは言え、化粧にも慣れ体型も変わる。そして苗字も変わっていたりすれば尚のことだ。



―――「それでは第一中学三年二組の同窓会を始めたいと思います」


 指定された席に腰を下ろした私だったが、そんなお決まりの挨拶はどこか上の空で意識の大半は隣の席に向いていた。まさかよりによって―――。


 彼女と視線が交わった瞬間、私の胸は遠い過去によって締め付けられていた。


 桜島啓子さくらじまけいこ


 二十年が経過しようと忘れられない名でもある。三十五年という人生の中でラブレターを渡した唯一の女性。それが隣の桜島啓子だが、封を切らずに突き返された思い出も未だ鮮明に刻まれている。


―――「こういうことされても困るんです」

「せめて……読むだけでも」


 歯切れの悪い私の声に彼女は仕方ないとばかりに突き出した封筒を手に踵を返す。


 後日、好きな人が居るからと体育館の裏で告げられた。噂を耳にしていたので驚きもしなかったし、何も取り柄のない私だからと納得もしていた。何より私を蔑むかの彼女の瞳がすべてを物語っていた。唯一の救いは手紙を返されなかったことだろうか。


 風の便りにその好きな人と結婚したらしいが、テーブルの上に置かれた名前は桜島となっている。婿取りをしたのかあるいは別姓か。


「その節はどうも」


 彼女にだけ聞こえる声で軽く会釈するとすぐさま彼女もこくりと頭を下げた。疑問も呈さない彼女の表情に私は忘れてはいないのだと瞬時に察した。


 その後はざっくばらんに互いが移動し合って近況などで花を咲かせ店内のあちらこちらで笑い声が響き渡る。しばらくはその輪の中に加わっていた私だったが、やや話し疲れたのもあって一人店の隅のテーブルで飲んでいると、淡い色のワンピースが近寄って来て、「隣いいかしら?」と小首を傾げた。桜島啓子だった。


「忘れてなかったんだね、手紙のこと」


 腰を下ろして間もなく私は微笑みながら声を掛けた。


「覚えてるわよ。それに手紙じゃなくてラブレターでしょ?」


 得意そうな彼女の表情に思わず苦笑が漏れた。


「そういえば、確か結婚したとか聞いたけど」正直この質問は迷った。それでも「別れちゃったの」と明るく澄ました顔が私の不安を消し去った。


「結婚したら別人みたいになっちゃって、おまけにとんでもない浮気性で―――」


 そこで彼女は言葉を切る。やや尖らせた口元が誤算だったと語っているようにも見えた。


「見る目が無かったのよね。子供だったのかもしれない」


 そう言って伏せていた目を私に向ける。その瞳にはあの頃になかった色気が漂っていた。


「倉持君って変わったわね。大人になったというか」

「二十年も経てば皆多少は変わるだろ」


 苦笑を一つ漏らしてから私はグラスを口に運んだ。


「ううん。変わらない人もいるわよ」と彼女はそれとなく視線を騒がしい方向に向け微笑を浮かべた。それからしばし彼女は俯いてからこちらに顔を向けた。


「結婚してるの?」

「いや……。まだ独身というか」


 歯切れの悪い私の口調に僅かながら彼女の顔に明るさが灯るのを感じた。


「実はまだ持っているの。あの時のラブレター」


 思いがけない言葉にグラスを持つ手がピタリと止まる。


「あの時のような思いはもうないんでしょうけど……。もしあるって言ってくれたなら……」


 頬が染まったように見えたのはただの錯覚だろうか。それでも彼女の心の声は読める。すべては遅すぎたのだと私は口を開いた。



「実は独身でいられるのは今週いっぱいまででさ」

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