原稿用紙❺枚弱物語

ちびゴリ

切符

 突然、視界に止まれと言う文字が飛び込んだ。

 

 普段見慣れた標識などにはない新鮮さが、慌ただしく飛び出す人の先にヒラヒラと揺れていた。どうやら自分に告げているのだと、指示通りペダルに足を乗せたが、特に道路中央に立ちはだかる警官に動揺もしなかった。止められる理由が思い当たらず、ただなんとなく眺めていたに過ぎなかったからである。


 軽やかな動きで私の車を誘導した後、すぐさま警官は別の車にも停止を命じたのか、赤いスポーツカーがルームミラーに映った。先程丁字路で鉢合わせになった車だ。


「なんですか?」


 歩み寄る青に僅かばかり窓を下げ、何食わぬ顔で尋ねたところ、


「なんですかじゃない!そこの丁字路で一時停止しなかっただろ。車検証持って降りなさい」


 やや荒い口調でそれだけ話すと、警官は私の視界から消えた。やがて同じ台詞を聞かされた茶髪の若い男が、だらしない足取りで横を通り過ぎて行く。私も言われるまま車検証を手にするが、どこか腑に落ちず動きも鈍かった。


 歩いて行った先の建物の陰には、警官の愛車とも言えるミニバイクが止められていて、黒い鉄製の箱から何やら取り出している。きっと反則切符だろうと思った。


「免許証出して」


 簡潔な言葉に続くように茶髪の彼がそれを徐に差し出す。警官は何も言わず慣れた手つきでペンを黙々と走らせた。


「はい。じゃ~今度はそっちの人」

 ここで言われるままに免許を渡せば、仕事に差し支える時間も最小限で済む。ふて腐れて立ち去る今風の髪を見ながら、向かう途中である打ち合わせのことを私は頭に過らせていた。


「免許証!」


 しかし、そんな警官の命令する口調に思案する表情は一転した。


「何かの間違いです。私は確かに停止しました」

「停止したと言われても駄目だよ。こっちはちゃんと見てたんだから。まぁ止まったような気がするんだろうけどね」


 一瞬ムッとした警官はすぐに薄笑いを浮かべ、いかにも冷静だと言う視線を私に浴びせながら答えた。強情を張らないで早く出せ。まるでそう話しているようだった。もちろん少しでも身に覚えがあれば、「気がするじゃなくて間違いなく止まったんです」などと真実極まりない目も浮かべず素直に従っていただろう。 そぐわない相手と交わすその押し問答にも似た時間は、私にはとても短いようで長く感じられた。


「どうしたんだね?」


 若干苛立ちすら口調に乗り始めて来た頃、不意に背後から聞こえた声に視線を移したものの、正直表情は優れなかった。同色の制服が目に映ったからだ。


「は、実はこちらの方が───」


 助太刀を頼まんとするかの若い警官の言葉は然程耳にも入らず、今までの会話がすべて無駄に思えてならなかった。しかし、次に聞こえた台詞には私も若い警官も唖然とした。


「あれ?なんだ田村君じゃないか?」

「え?・・・あ~!佐藤さんでしたか。どうもその節は」


 まるで偶然道で知り合いに会ったような穏やかな顔が零れた。


「何やってるのこんなところで?」

「いえ、まぁ・・・」


 それでも私はつい照れ臭そうに頭をかいた。


「部長のお知り合いだったんですか」

「あ~知り合いも知り合いで一戦交える仲でな」

「は?」

「いや、田村君には県警の試合などにも時々顔を出してもらってるんだが彼は五段でね。わたしも切れ味の良い籠手には何度もやられてるんだよ」

「あ~剣道の方で?」

「そうだ。今度は吉田君もお手合わせ願ったらいい・・・ここはもういいから」


 巡査部長である佐藤さんがそう言って笑うと、若い警官はその場からいそいそと立ち去って行った。どこか複雑な表情で私は彼の背中を見つめていた。


「手間取らせて悪かったね。あれでも近頃には珍しいほど職務熱心な奴なんで勘弁してやってくれ」

「いえ。そんな・・・でも助かりましたよ」

「ん?それは切符を切られずに済んだからかい?」

「いや!そうじゃなくて・・・」

「ハハ・・冗談冗談。審判の判定ってのも時には刺し違えることもあるもんだしな。あ、そうそう会ったら渡そうと思ってたものが───」


 別れ際に手渡された案内状に、私はハンドル片手に思わず顔を緩ませた。関東選抜と記されたその水色の紙が、もらうかもしれなかった切符に見えて仕方がなかったからである。


 人の運命を微笑ましい表情の中に漂わせ、何げなくルームミラーに目をやると、あの若い警官らしき姿が小さく映り込んだ。そして、その軽快とも言える動きに近いうちに竹刀でも交えようかと私は口の端を上げた。

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