第5話

「久しぶり。元気?」


 そういう彼女はどういう訳か、スクール水着にブラウスを羽織っていた。俺はこの時初めて、知夏のボディラインを目にしたのだった。


 聞けば、高校デビューは失敗し、中学と同じくすでに孤高の存在にあるらしい。それを見かねたクラスのお調子者が、みんなで海に行くという計画を企て、巻き込まれた。要するに、余計なおせっかいだ。


「断るに断れない雰囲気になってしまって」


 知夏の作り笑いを初めて見た気がする。以前の彼女なら、その言葉の刃で断固として拒否しただろうに。


 環境が人を変える。彼女と俺は別々の世界にいる。


「んでどうして水着」

「予行練習。海が苦手で。主に、波が」


 彼女は波打ち際の、ぎりぎり届くか届かないかのところに立ち尽くし、その足を濡らしていた。波は彼女の足を縁取ってから、名残惜しいかのように引いて行く。


「怖いのか?」

「まぁ、そんなところ」


 足先に伝う感触を確かめるように、何度も薄い波を撫でている。


「このままさらわれてしまうんじゃないかって、不安になる」


 その言葉に反応するように、風が吹いた。それは彼女の体を包み込むように、ブラウスをたなびかせた。かしいだ陽光が知夏の輪郭を紅く縁取って、キレイだった。


 そのキレイは、今まで彼女を評価する言葉として使ってきたものと同じだったが、その意味は全く違うものなのだと認識していた。それは間違いなく俺の言葉で、俺の心が感じた、素直なものだったのだ。


 心臓が跳ねた。


「……まるで詩人みたいなこと言うじゃんか」

「読書家だからね」


 まさにこの瞬間が、始まりだった。だって、あまりにもわかりやすかった。彼女の見え方が、まるで違うのだから。目に映る世界は、そのすべてが背景になった。


「このまま私が波に攫われても、きっと誰も気付かないんじゃないか、って」


 細い首、白い肌、澄んだ瞳。耳にかけ直した黒い髪。華奢な体と、水着越しに浮き上がる控えめな胸。そのすべてが、俺の心臓を急かして、息苦しくなった。


「そしたら、私を探してくれる?」


 その諦めたような笑顔が、もう無理だった。


「――当たり前だろ、そんなの」


 気がつけば、彼女を抱きしめていた。


「お前がついてこなくなったら、すぐに分かるよ。だって、ずっとそうだったじゃんか」


 この時、俺は理解した。本当はずっと、こうしたかったのだということを。あの居心地の悪さの正体は、俺達がたどり着く場所がそこではないということを告げていたのかも知れない。ずっと俺の後ろを付いてきた、不器用な幼馴染。その体を、女になったその体を、俺は生まれて初めて抱きしめたのだった。


「なにそれ」


 そして、彼女もそれを受け入れた。背中に回された腕が、とても暖かくて、やけどしそうな程、熱かった。


「そっちの方が詩人みたいじゃん」

「……うるせーよ」


 履き違えていたのだ。彼女は恋愛に興味がなかったのでない。彼女との会話の中に、そのヒントはずっとあったのに。俺がガキだから、気づけなかったのだ。


「ごめんな、知夏」

「……ねぇ、涼太」


 まったく、俺はとんでもない大馬鹿もんだ。


「好き」


 そんなの、俺のセリフだと、思った。

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