第4話

 下校の折、彼女とはとりとめのない事を話した。例えば、好きとはどういう現象かと尋ねられ、毎晩同じメニューを食べたいと思うことと回答して首を傾げられたり、付き合うとはどういうことかと尋ねられた時には、当時保健体育で習っていた渡り鳥の繁殖行為を引き合いに出し二人でテンションが下がったり、他にも、浮気とはどういうことかと尋ねられた時には、毎晩同じメニューでは飽きるだろと答えて、浮気の正当性について討論し、二股とはどういうことかと尋ねられた時にはカレーライスとラーメンのどっちかを選べということじゃないかと答えて「どうしてパスタが入っていないの」と詰め寄られ議論が迷走したりした。


 クラスでの鬱憤うっぷんを晴らすようでもあった。クラスが色めくにつれ、俺と彼女の関係はそのままではいられなくなった。だがそれが落ち着かないと思うのは同じだったようだ。あれはどうおもう、じゃあこれは、そっちはどう考えるのか――。お互いの疑問を消化して、思考を共有することで、安心したかったのだろう。二人の絆は弱く、細く、それでも確かに繋がっている。その糸は、その全容が水中にあるかのように、どれだけ手繰り寄せても見えてこない。これは、そういう作業だと思った。


 この過程は、彼女の人格形成に大きな影響を与えた。環境が人を育てるというが、いびつな環境に放り込まれれば人はいびつになっていく。彼女もそのパターンだった。わかりやすくいうなら、クールビューティー毒舌クイーンの誕生である。


 彼女の語録はいくつかある。例えばクラス内カップルが破局して険悪なムードになった際には「猿のほうがまだうまくやる」と言い、文化祭の実行委員を決める時には「まとめるには人間が必要でしょ」と言って他立候補者を叩き落としていた。他にも、告白された時には「あなたとの子孫を残す気はない」と言って戦慄させたらしいし、そういうことじゃないじゃんとゴネた相手には「じゃあオナニーを手伝ってくれということ?」と聞き返したらしい。俺がそいつなら一生モノの傷を負っていただろう。


 その言葉の狂気は、彼女を取り巻く多くのものに向けられていたが、幸いなことに、俺に向けられることはなかった。多分きっと言われる方が悪いのだろうと、どこか他人ごとでいられたのはそのためだ。


 知夏は成績優秀でもあった。クラスで一番は当たり前、特に現代文については学年首位を貫き通した。彼女いわく、暇な時は勉強して良く本を読んだそうなのだが、それがますます彼女の言葉の狂気を鋭く磨き上げていったのだろう。


 中学三年になる頃には、毒舌クイーンの地位を確固たるものにしていた。容姿端麗、勉学優秀、口を開けば刃の如く。そこまでくると、なんだが別次元の存在のように見えてくる。一挙一投足が力を持ち、それはやがて求心力に変わる。知夏は決してフレンドリーなタイプではなかったが、それでも羨望せんぼうの眼差しを集め、ついには生徒会長にもなったりした。


 あの知夏が、である。常に俺の後ろからついていくようなヤツなのに、学校では人の前をいく存在なのだ。それに違和感を抱かないほうが、無理がある。


 学校の知夏と、下校時の知夏。どちらか一方は、きっと幻影。どっちが本物の知夏なのかも、俺にはよくわからなくなっていた。恋が入り込む隙間なんて、ない。



 高校は別々の学校に進んだ。俺は地元の公立、彼女は少し離れた市立の進学校。当然だ。彼女が優秀なのは目に見えていたから、進路にはなんの疑問も抱かなかった。だが同時にこうも思った。もし俺が彼女と同じ学校に進んでいたら、どうなっていっただろうか、と。一方で、このいびつな関係が終わりを迎えると思うと、なんだか波が凪いでいくような感覚になった。


 高校は退屈だった。普通に友達をつくり、普通に過ごした。可愛い女子もいたし、仲の良い子もいた。俺もこうやって普通に友情を育み、そして恋をする。そうやって周囲と同じように、いつの間にか大人になっていくんだろうと思った。たまに見かける知夏の姿は、幻影だと思うことにした。記憶の中での彼女の姿は、幼少の頃のままだった。


 そして高校一年生の夏休み、初日。この浜辺で知夏と再会した。

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