第2話

 知夏ちなつとの出会いは幼少の頃だ。クソ田舎という訳ではないが、都会とは程遠い沿岸のこの街で、都会から引っ越してきたヤツがいる、という噂はすぐに広まり、偶然にも彼女と俺の家は近所で、その住処が最近完成したばかりのあの豪邸だというのを知って、俄然興味が湧いたことを覚えている。そして好奇心旺盛な俺は、本能のままに一人ピカピカのインターホンを押した。馬鹿である。


 その時扉から出てきた父と子を見て、俺はこう思った。――人種が違う、と。


 明らかに大げさな感想だった。社会に出れば、羽振りや品のいいヤツはごまんといる。ただこの辺りでは珍しく洋風の邸宅で、そして親子が身につけていた衣類もそうだったというだけだ。


 だがその印象を抱いたのは、俺だけでなかったらしい。小学二年生の夏休み明け、転校生として紹介された知夏だが、早くも孤立した。自然的に、そうなった。


 知夏は大人しく、口数が少なかった。何よりその驚くほど黒くつややな髪が、海塩で色抜けした子供達の中で明らかに浮いていた。肌も白い。人形、というには大げさだが、子どもたちにしてみれば、異次元の存在であることは疑いようもなく、それが最初の一歩を踏み留まらせたのだ。彼女も彼女で、そんな俺達に歩み寄ろうとはしなかった。


 そこでバツが悪いのが俺だった。なにせ、先んじて面識があった訳で、インターホン事件のフォローとしてすでに両親同士も顔見知りになってしまっていたのである。この現状に、謎の責任を感じずにはいられないのが少年の日の俺で、照れ隠しから「お前の面倒は俺が見る」とかよくわからない事を言って、彼女に関わることにした。


 俺はよく彼女を連れ回した。そういうと乱暴に聞こえるが、これは苦肉の策でもあった。というのも、彼女はとにかく喋らないので、自然と友達が出来ていく、みたいなことが想定できなかった。表情も常にすまし顔なので、感情も読み取れない。ついで、返答はだいたい「うん」「わかった」「ありがとう」の三語で、そこに否定を意味するワードが無いことに今さら戦慄するが、とにかく、何をするにも連れ回して、そうやって巻き込んでいくしかないように思えたのだ。彼女がいる風景が当たり前になれば、そのうち馴染んでいくだろう、そういう淡い期待もこめて。


 実際、この取組は功を奏した。中学年になる頃には、排他的な雰囲気はなくなっていた。依然として口数は少ないが、会話は普通にするし、一緒にいるところも見た。年齢的に男子と女子の区別がされはじめ、自然に集いも分かれていく、そんな時期なのもあり、あとは女子がなんとかしてくれるだろうと、なぜか肩の荷を下ろすような気持ちになったのも覚えている。一体何様なのだろうか。


 ところがその後も知夏と俺は行動を良く共にした。というより、知夏は良く俺の後をついて来ていた。二人の間に約束があった訳でもないし、もちろん親に言われた訳でもない。それでも彼女は、俺が遊びに行くと知れば付いて来たし、帰ると言えば、一緒に帰った。帰るタイミングも方角も同じ、となれば、家まで送るのが自然ということで、それが当たり前になっていた。俺はといえばそんな現状に特に疑問も抱かず、たまに会う彼女の両親に「いつもありがとう」と言われ、一体何に感謝されているのかわからず首を傾げていた。


 不思議なこととして、ここまで詳細に日々を思い出せるというのに、彼女と会話した記憶がないのだ。校内はもちろんのこと、下校はセット、時には登校すらも共にしていたというにのに。なぜだか、会話内容が思い出せない。学校は自宅からそこそこ遠く、子供の足で歩いて十五分ほどあった。その間、ずっと無言なんてあり得るのだろうか? そんなの、大人になった今、気まずくて耐えられなそうだ。


 ただまぁ、つまりそういうことなのだろうとも思う。文字通り、彼女は俺のあとを付いてきていた、ということで、俺もそれを許容していたのだろう。兄弟とも、恋人とも、友人とも違う不思議な距離感。こんな関係は、高学年になっても変わらなかった。


 そんな彼女との関係に転機が訪れたのは、中学校の入学である。他の小学校から通う奴らの流入は、人間関係に大きな変化をもたらした。その渦に、俺と知夏ももれなく巻き込まれたのだ。

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