〈第三章〉Side:緒方正剛 a Cardinal


   【1】


「池袋駅西口」を出て山手通り方面に少し歩いて行くと五差路が見えてくる。


その五差路の近くには、僕が、学部時代からよく飲みに行っているバーがあった。


予言者コウジョウの”ご宣託”から始まったこの”終わり”も、そろそろ終幕に差し掛かっているのだろう。


僕は、この三日間、生きている人間とは会っていない。


今の僕の視界には、“白”が、静かに降り積もり続けているだけだ。


学部を卒業し大学院に進み、今年になってようやく、僕は博士号を取得することができた。


博士課程に進学し、30歳を過ぎても学生を続けたことについては後悔はない。


学部時代の同期と比べても比較的穏やかな時間を過ごすことができた。


彼らが、就職した会社で忙しくしているのは、月一回程度の飲み会を通じて知ることができた。


朝起きて、夜遅くまで仕事する。


当たり前のことかもしれないが、その彼らの日々の行為に価値を見出すことができなかった。


おそらく、そこに彼らの主体性を見出せなかったからだろう。


主体性なく他者の価値観に支配され、自らの時間を空費している。


僕にとっては、耐えることができない行為だ。


僕の専門は、「理論社会学」である。


そもそも社会学自体が、よく分からない学問分野と言われているが、それに輪をかけて「理論社会学」というものも得体が知れない。なぜなら、経済学や法学等の分野とは異なり、「社会学者」を名乗る者の中でも統一された理論的支柱というものは、社会学の分野にはないからだ。


予言者コウジョウは、僕の学部及び大学院の先輩にあたる。


僕は、一定以上のシンパシーを感じている。


いや、シンパシーという言葉では足りないだろう。


もはや”崇拝”といっても良い。


僕は、[予言者コウジョウ]を”崇拝”していた。


彼の著作及び論文はもちろん、彼が書いたと言われるモノは全て収集している。


その中には予言に関するものもあった。



だからだろう・・・僕は、いずれこんな“終わり”が来るだろうと思っていた。







   【2】


階段で地下に降り、バーの扉を開けると、そこは“白”に染まっていた。


30平米程度の空間。


床はもちろん、カウンター、椅子、グラス、酒棚等は、白い結晶に埋もれるようにして、その存在を辛うじて主張していた。



“白”・・・それは人の成れの果て。



「いったい・・・何人が、ここで”終わった“んだ?」


あまりの”白“の量に、思わず声に出してしまった。


いつもなら絶対しない無意味な行為。


でも、誰も聞いていないからこそ、声に出して問いかけてみたかった。


僕は、冷静ではないのだろう。


それにしても、人は、”終わり“が近くなると酒を一杯飲みたくなるのだろうか。


確かに、正気でいられる方が異常なのかもしれない。


僕自身も、酒を飲むために、この場所に来ている。


いずれは、僕も、この“白”と一体となるのだ。


白い結晶を掻き分けて、まだ未開封だったウィスキーの瓶を拾い上げると、封を開け一気に原液を喉に流し込んだ。


次の瞬間、身体の中が熱くなり、すぐに心地良い酩酊感を覚える。


僕は、ウィスキーのような度数が高い蒸留酒については、飲んだ後の酩酊感よりも、飲む瞬間の喉に来る熱さの方に魅力を感じる。


このような嗜好性を持つ人間は、かなりの確率でアル中になるだろう。


だからこそ、これまで僕は、自制してきたが、もはやそんな自制も無意味だ。


僕が“終わる”のも・・・間もなくだろう。


僕は、ウィスキーの瓶を左手に持ったまま、バーを出た。





   【3】



酔いでふらつきながら劇場通りを川越街道に向かって歩いていく。


特に目指している場所などはない。


ただ歩いているだけ。


無意味であり非生産的行為。


でも、今なら、自らの行為に対して意味や生産性を求めることが、無意味であり非生産的行為であると思える。


もはや主体性もいらない。


惰性に生きてもいい。


そう思えるようになってから、随分気持ちが楽になった。


カウンター席のみの焼鳥屋の前を通り過ぎようとしたら「兄ちゃん、えらい気分良さそうやんけ」とその店の中から声をかけられた。


「・・・は、はい」僕は、急に声をかけられたことで、戸惑ってしまい気の抜けた返事をしてしまった。


「ひとりで飲んでいてもおもろないねん。一緒に飲まへんか?」


その声の主は、50代ぐらいの男性だった。

角刈り、ノーネクタイ、そして灰色のジャケットを羽織っている。

そのくだけた服の上からでも、鍛えられた身体をうかがわせた。

明らかにカタギではない雰囲気があった。


いつもなら、適当なことを言って、足早に去っていただろう。


でも、今は、主体性はいらない。


「いいですよ」僕は、薄暗い店内に入った。






   【4】


「ま、一杯飲もうや」

「ありがとうございます」

「兄ちゃんは、学生さんか?」

「そんな感じです」

「なんか曖昧な感じやけど・・・ま、ええわ」

「あなたは?」

「木村や」

「・・・キムラ?」

「オレの名前や」

「はい・・・キムラさんのご職業は?」僕は、このキムラと名乗る男に興味を覚えた。

「刑事や」

「刑事・・・でも、関西の人ですよね?」

「そうや。大阪府警の刑事や」

「大阪府警の人が、どうして池袋にいるのですか?」

「[予言者コウジョウ]を追ってきた」


親しみがない男から発せられた親しみがある名前。


[予言者コウジョウ]


この“終わり”に深く関わっていると言われている存在。

今、生きている者で、この名を知らない者はいない。


「でも・・・どうして?」

「どうして? [予言者コウジョウ]は、この[終わり]に深く関与しているとして、全国の警察が、ヤツを重要参考人として追っている・・・いや、もう“いた”といってもええかな。警視庁の連中も一緒に大阪から来た同僚も、みんな[白]になってもうたからな」

「ひとつ聞いてもいいですか?」

「ええで。なんでも聞いてくれや」

「[予言者コウジョウ」が、この[終わり]を創出した理由は、なんだと思いますか?」

「動機か・・・」

「はい。動機です」

キムラは、焼酎の水割りをあおると、目を閉じてしばらく考え込む。


警察関係者が、[予言者コウジョウ]を、テロリストと同視していることは、報道等からも明らかだった。


《愉快犯》であり《狂信者》。


瞬く間に[予言者コウジョウ]は、そんなマンガやアニメに出てくる悪役のようなイメージに染め上げられていった。


僕は、それを見ながら、ある種の愉悦に浸っていた側の人間だった。


《狂信者》の狂信者。


[予言者コウジョウ]を崇拝する者は、インターネットを中心として「コウジョニアン」と呼ばれ、一定の勢力を確立した。


「ヤツは、“偽善”に耐えることがでけへんかった・・・だから[終わり]を創出したんちゃうか」キムラは、目を閉じたまま言った。


 耐え難き偽善性。


 これは、【香城社会学】の主要概念の一つである。

 このキムラという男、見た目や話し方から受ける印象とは異なり、学術的素養があるようだった。もしかして、社会学系の大学院で修士号ぐらいは取っているかもしれない。


「兄ちゃんの博士論文も読ませてもらったで。これまで読んだ[予言者コウジョウ]に関する研究論文や評論の中で一番おもろかった。さすがは、多くの「コウジョニアン」から《枢機卿》と呼ばれている緒方正剛センセだけあるな」


 油断していた・・・。

 これまで警察関係者との接触には十分に注意してきたのだが、この“終わり”も終幕近くになって気が緩んでいた。

 ある有名芸能人のブログから広がった[予言者コウジョウ]が、当初のイロモノ的な扱いから、体系化された分野として確立したのは、僕の力に拠るところが大きい。

 それは、一つの社会実験であり、その成果を博士論文にまとめたのだった。


 僕は、在野の社会学者香城尚哉を[予言者コウジョウ]として再創造した、と言えるだろう。


 実際、僕は、香城直人と会ったことはない。

 したがって、僕が知る香城直人は、彼の著作等を通じてのみである。

 それでも、僕は、香城直人に熱狂し崇拝するに至った。

 香城直人は、僕が、漠然と抱いていた“問い”、そして、それに対する“答え”を見事に言語化してくれていた。

 それは、熱狂し崇拝に足りる行為だった。



「結局、コウジョウは、何をしたかったんやろ?」



 そのキムラの呟きが、酔いとともに、僕の頭の中をグルグルと回り続ける。


「それは、僕に対する質問ですか?」

「いや……単なる独り言や……ただ、兄ちゃんが答えを持っているなら、それを教えてくれへんか」

「僕には……特に、それについての答えはありません」


 そう木村には答えたが、実際は、その[答え]を僕は持っていた。でも、ここでその「答え」を、口にする気にはなれなかった。


「もう、行くわ」木村は、立ち上がる。

「オレのつまらない話に付き合ってくれてありがとうな」と言った後の木村の微笑みが、あまりにも危うかったので、思わず「木村さんは、これからどこへ?」と聞いてしまった。

「今更、そんなどうでもええことやろ。そのへんブラブラして、オレの[終わり]を待つことにするわ。兄ちゃんは、どうするんや?」

「少し酔っ払ったので、近くのコンビニからペットボトルの水をもらいます。その後は、大学の図書館に行って本でも読むことにします」


「それはええわ。本当に……それはええわ。」



 

 

 

 

 

 


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