〈第二章〉Side:姫川京子 a Girl

   【1】


ふと・・・空を見上げると、そこには真っ白な「世界」が広がっていた。



どこまでも真っ白な「世界」。



本来の色を否定する真っ白な「世界」。


白い結晶が、空を舞っている。


わたしは、その光景を美しいと感じることに、どこか後ろめたさの様なものを覚えながら、白く染まった立教通りを歩いていた。


目的地は、大学図書館。


今は、人の気配がないキャンパスであっても、大学図書館は機能していた。


いや"機能している"というのは、わたしの主観にすぎない。


だって・・・本当は、本の貸出などは行われていないのだから・・・。


実際は、わたしが、ただ勝手に本を持ち出しているだけだ。


それでも、やはり、わたしにとっては、図書館は"機能している”と言えた。


終わりゆく「世界」では、主観こそ唯一の基準となってもよいと思う。


それぐらいのわがままは、許してもらいたいたかった。


大学の正門を入ると、蔦が茂った赤レンガの「本館」が目に入った。


初めて大学のキャンパスに入ったときは、池袋駅から少し離れたところにあるとは思えない”異国感”に、自分がどこにいるのか、一瞬わからなくなった。


わたしが、大学に入学したのは、半年前だった。


つまり、前期講義しか受けていないまま「世界」は白に染まっていった。


国レベルの緊急事態宣言は、夏休みの間に始まった。


大学は、後期講義については、オンラインで対応すると発表したけれど、結局はそれもほとんど実施されることはなかった。


ただ、一部の先生が、自主的に独自のオンライン講義を実施していただけだった。


その一部の先生のオンライン講義の中には、まだ継続しているものあった。


わたしが受講している『多文化社会Ⅱ』もその中の一つであり、この講義は、毎週金曜日三限に、Web会議システムを使用して開講していた。


今では、先生とわたしの二人だけの講義となっていたけど、わたしにとっては、唯一“他者”とのつながりを認識できる機会となっていた。






   【2】


わたしは、「本館」を通り抜けると、右に曲がり図書館へと向かう。


この前来たときよりもキャンパス内の”白”が強くなっているように思えた。


それらは、人の成れの果て。


自らの最後を母校で終えようと考える学生や卒業生がいるのかもしれない。


わたしには、その行為に何の意味があるのかわからないけど・・・。


図書館の入退場ゲートは、とっくに壊れ、白い結晶に半ば埋もれるようになっていた。


だから、いつもそのまま乗り越えて行く。


大学に入学してしばらくの間は、よくこのゲートに引っかかった。


慣れていないということもあったけど、わたしにとってはゲートを通過するためのタイミングがよくつかめなかったのだ。


手動で図書館の入り口を開けると、わたしは、吹き抜けの階段で地下に向かった。


図書館の地下一階は、人文科学・社会科学系の専門書籍が開架式で蔵書されている。


わたしは、社会学部に所属していたので、レポートを書く前には、必ずと言ってよいほど、この地下に通っていた。



誰か・・・いる?



わたしは、階段を降りる途中で身構えた。


地下一階のどこかに人がいる気配がしたのだ。


ただ、すぐに目につくところには人の姿はない。


わたしは、恐る恐る階段を降り切ると、周囲を慎重に観察した。


確かに人の気配はするけど、具体的な場所はわからなかった。



隠れたの・・・?



静かに終わりゆく「世界」のなかでも、正体不明の存在が同じ空間にいることに不安を覚える。


まだ生きているからこその不安・・・それは、生への実感だろう。


わたしは、その不安を振り切ると目当ての本がある書架へ向かった。


===============

【著者】香城直人

『多文化社会論』(中央文化社)

===============


この本は、著者の博士論文を加筆修正して出版したもので、多文化社会が持つ負の側面について論じたものだ。


一文を抜き出してみる。


「多文化社会というのは、決して“理想郷”のようなものではない。むしろ、自己と他者を峻別する為に、絶え間ない“言語化”が強いられる厳しい社会である。そこにはエスノセントリズム(ethnocentrism)が入り込む余地がない。全ての価値観が相対化され、互いに肯定も否定も許されない構造となる」


香城は、在野の社会学者であり、特定の大学や研究機関に属していなかった。


著書は、この『多文化社会論』をはじめ単著論文を含めて多くあるが、決してベストセラーになるような分野ものはなかった。


それでも香城の名は、多くの人間に知られていた。



「予言者コウジョウ」



香城は、この白く結晶化する奇病の蔓延を最初に予言した人間として全世界的に知られていた。


彼は、自らのブログで、この“終わり”を詳細に予言していた。


その予言に多くの人間が気づいたのは、ある芸能人が自分のSNSで香城のブログをシェアしたからだ。


この芸能人は、おもしろいことを言っているヤツがいる、といった軽いノリでシェアしたのだが、香城の予言どおりに世界が白く染まっていくにつれ、その”嘲笑”は”畏怖”へと変貌した。


もっとも、香城への畏怖の念が高まり、彼に注目が集まったときには、その所在は不明となっていた。


生きているのか。


それとも、白い結晶と成り果てたのか。


現在に至るまで不明のままだった。






   【3】


大学図書館から外に出たわたしの手には、香城の本があった。


別に大学図書館内で読んでもよかったのだけど、わたし以外の人間の気配がある場所では落ち着いて読める気はしなかった。


わたしは「どこで読もうかな・・・」と、少し考えた後、せっかく大学に来たのだからと〈第一食堂〉に向かうことにした。


〈第一食堂〉は、大ヒットした映画に出てくる魔法学校の食堂によく雰囲気が似ていることで有名だった。


わたしも、その映画が好きだったので、入学当初から〈第一食堂〉で昼食をとるのが日常となっていた。


他の大学の学食でも食べたことがあるけど、それらに比べても〈第一食堂〉のメニューは、美味しい。


〈第一食堂〉へは、正面入口から入った。



幸いと言ってよいだろう・・・その中は、白に浸食されてなかった。



つまり、ここで終わりを迎えた人間はいないということだ。


そういえば、大学図書館内もほとんど白色に浸食されていなかった、とあらためて思った。


やはり、この奇病に感染した人間は、空の下での“終わり”を望む傾向があるのかもしれない。



そんなことを・・・またあらためて考えた。






   【4】


大学の中庭は、まるで雪に覆われているように静謐な空間と化していた。

この白の“真実”を知らなければ、わたしも、その表面的な美しさを享受することができたと思う。

しかし、その“真実”は、あまりにも醜悪である。

もうわたしは、吐気に囚われることはないけど・・・いまだに嫌悪感はある。


白が世界を覆い続け、いずれ「世界」は“終わる”。


ただ、その“終わり”は、わたし達人間にとっての“終わり”であり、それ以上でもそれ以下でもない。

わたし達がいなくなった後も、世界は続いていく。



それなら・・・



何も問題はない・・・かな?






  【5】


『多文化社会Ⅱ』オンライン講義


【沢木】ついに出席者は、姫川さんだけでになりましたね。  


【姫川】はい。

    でも、仕方ないですね。

    わたしだって、次の講義に出席できるかわかりません。


【沢木】はい、私も同じです。

    姫川さんは、食事は、どうしていますか。


【姫川】最近は、コンビニから缶詰をもらってきて食べることが多いですね。


【沢木】はい、私も同じです。

   少し前までは、カセットコンロを使って自炊とかしていましたが、

   もう、それも止めました。


【姫川】どうしてですか?


【沢木】……もう、疲れましたからです。


【姫川】……。


【沢木】話は、逸れますが、私は、始発の電車が好きでした。

    特に、平日の都心から郊外へ向かう始発電車です。

    この乗客達のほとんどは、

    どこか現実離れした雰囲気を持つ人達が多かったです。

    私は、気分が落ち込むと、

    よく池袋駅から始発電車に乗り郊外へ向かいました。


【姫川】先生……そろそろ講義を始めてもらえますか。


【沢木】川越を過ぎたあたりから、落ち込んでいた気分が回復してきます。


【姫川】先生……そろそろ……


【沢木】ただ、気分が良くなったとしても、

    それは一時のことで、

    時間が経てば、今の絶望的な状況に引き戻されてしまいます。


【姫川】先生……


【沢木】だから……自ら[終わり]を選びたくなります。 姫川さんも、そう思いませんか?   






【6】

金曜日の午後。


わたしは、『多文化社会Ⅱ』の講義を受けるために自宅の前で待機していた。


いつもは、14時半にはウェブ会議アプリ内のミーティングルームに「入室」が許可されるはずが、講義が開始する14時45分を過ぎても「入室」できなかった。




そして、15時が過ぎたとき、わたしは理解した。



もう……先生も[終わった]ということを……そして、その[終わり]は、おそらく、先生が選択した……。


わたしにとって、他者とのつながりを認識できる唯一の手段がなくなってしまった。

その事実に、久しぶりに感情を揺さぶられた。



怒り。

悲しみ。

諦め。



そのどれでもない限りなく黒に近い灰 色の感情が込み上げてきた。


この感情は……なに?


ああ……そうか……


この感情は……


喜び……?


そう……


これは、唯一の他者とのつながりが切れ、[終われる]ことに対する激しい喜びだった。

そんな歪な感情に支配されるほど、わた しの身心は限界に来ていたのだろう。


だから……

わたしは……


部屋を飛び出した。

そして、真っ白な「世界」を見上げながら叫んだ。



ありがとうございます!


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