白チ世界
Brain B.
〈第一章〉Side:私 a Man
【1】
池袋駅北口の階段を登り切ると、昏い灰色の空を背景に大きな「白い塔」が現れた。
確か「豊島清掃工場」の焼却炉の煙突だったはずだ……。
近くで事務所を構えていても、自分とは関係ないと判断した「存在」の認識なんてひどく曖昧になる。
私は、ゆっくりとその「白い塔」へ向かって歩を進めて行く。
その方向に、私の事務所がある。
今では、池袋駅北口から通称「ラブホ街」入口あたりにある私の事務所までの道では、誰ともすれ違うことはなくなっていた……。
道は、細い[白]で覆われている。
いや、道だけではない。
今や私を取り囲む「世界」は……すべて”白”で覆われていた。
生きているモノを敵視する「白い世界」。
それに……もう慣れた。
静かに……ただ静かに「世界」は、[白]で覆われて続けていた。
初めの頃は、ひどく違和感に悩まされていた私も、その違和感の正体さえも思い出せなくなっていた。
もうどれぐらい経ったのだろう……
私を取り囲む「世界」が……“終わり”を始めたのは……。
【2】
テレビやネットで「移民」という言葉が存在感を持ち始めたと思った頃、その影に隠れるようにして一つのニュースが流れていた。
身体が白く結晶化し、死に至る奇病の流行。
ただ、その白チ病という通称名が与えられた奇病のニュースは、[予言者コウジョウ]という名とともに広がっていった。
この白チ病の存在が世間に周知されるまでに一年、そして、感染者と非感染者の数が逆転するのにもう一年の時間がかかった。
いわゆる感染爆発のような、わかりやすい変化もなく、ただ世界は、淡々と“白”で覆われていった。
そして、白チ病は、人口減少、少子高齢化と言われ、暗い未来に向かって歩いていた日本の雰囲気には違和感なく受け入られていった。
この静かに自らの運命を受け入れて行く日本人の姿に世界から多くの「非難」と一部の「称賛」が向けられた。
そして、賛否両者からその日本人の姿は、まるで「殉教者」のようだとの声があがった。
もっとも全ての日本人が、このような「殉教者」になったわけではない。
移動が制限される前に国外へ逃げ出す者はいた。
ただ、その者達も、白チ病が日本だけでなく世界規模で発生し始めたことを知ると、自らの行動の無意味さと愚かさを知った。
そして、彼らは、移動が制限された状態では、帰国することもできず異国の地で白い結晶となった。
私は、彼らのことを「哀れ」だとは思わない。
また、日本に移民してきた外国人達が、祖国ではなく日本の地で白い結晶になったことも哀れむことではない。
前者も後者も自らの意思で祖国から離れたのだから。
これも一つの帰結であり、必然である。
【3】
「あっ……」
半ば自動的に私の口から声がこぼれ落ちた。
今では雪原のようになっている広いコインパーキングのほぼ中央に、白いワンピースを着た少女が立っていたからだ。
小学校低学年ぐらいの少女だった。
結晶化していない人間の姿は、まだ時折り見かけるので、少女の存在自体は、それほど驚くものではない。
私が、驚いたの理由は、少女が歌を歌っていたからだ。
誰に聞かせる事もなく歌い続ける少女の姿に狂気のようなものを感じた。
また、それと同時に“ひどく美しい”とも感じた。
自動的かつ無目的。
圧倒的な主体性の確立。
救いを求めるのではなく、ただ自らの存在を主張する。
それは、やはり“ひどく美しい”ものであり、やはり、どこか“狂って”いた。
他者の狂気に虜まれて、死を迎えるのは避けたい。
私は、歌い続ける少女の姿から目を逸らすと、再び事務所に向かって歩みを進めることにした。
私が、事務所に着くと、ひとりの「訪問者」が来ていた。
「訪問者」としたのは、もう出入国在留管理庁等の行政庁が機能していない現状では、「依頼者」が行政書士事務所を訪れることはないからだ。
「失礼かと思いましたが、中で待たせてもらっていました」
そう言って、ソファーを立ちがったのは、十代後半と思われる女性だった。
「大丈夫ですよ。もう中も外も曖昧になっていますから」
「確かにそうですね」そう言って微笑む彼女の姿は、十分に魅力的だった。
「申し遅れました。私は、智雪麗と言います」
「智さんですか……中国の方ですか?」
「はい。小学生の頃に母が日本人と再婚したので、私も来日しました。純粋な漢民族ですがまだ結晶化は進んでいません」と微笑み、
少女は、右腕を捲り上げた。
白くなめらかな肌が露わになる。
白チ病は、日本人よりも漢民族に対しては進行が早い傾向にあった。
したがって、当初は、漢民族特有の奇病ではないかとネットを中心に広まり、在日漢民族に対するヘイトスピーチにまで発展した。
しかし、その流れも日本人にも白チ病が広まるにつれ鎮静化していった。
「智さんは、どうして私の事務所に来られたのですか?」
「先生に永住権の申請をお願いする為です」
この少女の躊躇いない言葉に、私は、半ば混乱し「今のビザは定住者ですか?」と、行政書士として“正しい質問”を返した。
「はい。そうです」
「三年?」
「はい。在留期限は、来年の8月まであります」
この答えを聞いた私は、ようやく判断力を取り戻し、
「こんな状況で永住権を取る意味は?」と“正しい質問”をした。
「こんな状況だからこそ……永住権を取りたいんです」まるで懇願するかのように少女は、私にはっきりと告げた。
彼女は、何を言っているのだろうか?
もう、永住権など無意味ではないか?
まだ結晶化が始まっていないとしても、来年の8月まで生きているはずはない。
それに、もう永住権の許可権者である法務大臣自体が存在していない。
既に入管をはじめとする日本政府機関は機能していない。
だから、そもそも永住権の申請なんてできるはずがない。
彼女は、私に何を求めているのか?
「っ!」
突然私の左腕に痛みが走った。
思わず身体のバランスを崩して、床に膝をついてしまった。
そして……理解した。
私にも……“終わり”が、始まったのだ。
【4】
パーン、と軽い音がし、塩のような白い結晶が、私の左頬をかすめていった。
また、誰かが……“終わった”のだろう。
今この世界を覆っている“白”は、光に反射して美しく輝いている。
この白い世界は、残酷までに美しいと思う。
“白”は、人の成れの果て。
もうすぐ私も、この白い世界の一部になるだろう。
そう言えば、この前事務所に来た彼女は、どうしているだろうか?
彼女は、私が永住許可申請の依頼を断ると、そのまま黙って事務所を出て行った。
あの私の態度が正解かどうかは分からない。
ただ、職業倫理として許可されるはずもない申請について受任するわけにはいかなかった。
此の期に及んでの職業倫理。
此の期に及んだからこその職業倫理。
人を最後に律するのは倫理という名の自己満足であり、
それは、耐えることができない偽善性である。
だったら彼女の願いについてもっと向き合ってもよかったのではないか?
いずれ私も白い世界の一部になるのであれば、その直前まで何かに向き合ってもよいのではないか?
そんなことが頭をよぎっていく。
いや……やはりそれも……
自己満足か。
【5】
まるで吹雪のように白い結晶が、私の足下で走り回る。
それを目で追うと、池袋駅北口の階段前で駅頭(駅前で演説)をしている男に目がいった。
確か、彼は豊島区議会議員のオオバヤシだったか……。
保守系無所属で若い層からの支持を得ていたはずだ。
もう選挙もなく、また議会も開かれることがないだろう。
豊島区民さえもほとんど生き残っていない。
それなのにオオバヤシ区議は、駅頭を続けている。
その姿に・・・私は、“嫌悪”とも賞賛“とも判別がつかない感情を抱いた。
そして、この感情は、今私がいる「世界」にひどく似合っているように思えた。
すべてが曖昧になっていく「世界」においては、好悪の感情さえも混ざり合っていく……。
この「世界」を誰が創出したのか、はわからない。
この「世界」の創出を予め示唆していた[予言者コウジョウ]自身の愉快犯的行為であるという見解がマスメディア等の“大きなメディア”の通説となっていた。
ただ、此の期に及んで、私自身が、この「世界」に“救いのようなもの”を感じている。
〈予言者〉は、被〈救済者〉となり、被〈造物者〉に至る。
かつての「人」の残滓である白い結晶は、本来であれば嫌悪感を覚える対象なのかもしれない。
しかし、私には、その白い結晶を美しく感じている。
まるで、自らの一部のように。
それは、おそらく私自身が、白い結晶に近づいているからだろう。
だからこそ、この美しく愚かな白い世界で、また自らの日常を取り戻したくなった。
次に、彼女……智雪麗と会ったなら、彼女の永住許可申請を受任しようと思う。
それが、私の倫理にしたがった“正解”だと思う。
だからこそ……
まだ、私は生きていたい。
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