馬の世話係
でも奏山さんもいまでは立派な馬になった。
馬の世話係のお仕事。
朝、ちょっと早めに学校に来る。裏庭の簡易厩舎で寝ている馬を起こし、まずなによりも先に、五年一組の教室に連れてくる。
どうして一日じゅう厩舎で過ごさせちゃ駄目なんだろうと切子は疑問に思って、シスター・ルチアに質問した。もといた環境でしばらく過ごすことによって改心できて、人間に戻れたパターンもいままであったから、と答えが返ってきた。歴史上、そのパターンはすごく少なくはあるらしいけれど。
五年一組の教室のいちばん後ろのいちばん窓がわは、馬の居場所になった。たいした設備ではないけれど、いちおう人間の腰あたりの柵で区切られ、馬の鼻輪は窓ぎわのロッカーに新たに打ちつけられた釘に、しっかりと固定される。切子の席もいちばん近いし、なにかと都合がよい。
そのスペースで、餌をあげる。馬は、食べるのをいつも嫌がる。早朝、警備員さんが馬専用の餌は用意してくれている。バケツいっぱいの、得体の知れない茶色いもそもそした餌。これをどうにかして馬に食べさせる。
切子にとっては、食べるどころかとても臭いそれらは、でも馬からしてみれば食べられるものなのかなと最初は思った。でもいろいろ調べているうちに、動物化した人間の味覚は基本的にそのままなのだとわかった。だからおんなじくらい臭く感じているのだ。吐きそうなほど。だから食べるのを嫌がるのだとわかったが、食べてもらわないと困る。栄養バランスは動物化した身体をよく考えてつくられているらしいし、そもそも馬はそれしか食べていいものがないのだ。
日を重ねるうちに、馬も諦めたのか餌をちゃんと食べるようになっていった。ときには切子の手から、ときには切子の持つバケツに顔を突っ込んで。
そうやって餌をやっていると、クラスメイトたちが登校してくる。おはよう、と言い合う回数は、馬が来る前よりずっと増えた。みんな馬のことが気になるから、切子によく話しかけるようになったのだ。それとたぶん神田さんが手伝ってくれるから、というのも大きい。神田さんは、案の定、このクラスの新しいボスとなっていた。
やがてシスター・ルチアがやってきて、お祈りをしたあと、朝のホームルームと授業がはじまる。静かな授業中には、馬のときおりもぞもぞ動く気配が、教室いっぱいに伝わったりする。
一時間目と二時間目が終わると、二十五分休み。そのときに、馬の健康観察。クラス名とはみんな馬に興味しんしんで、スペースを囲む。教室の人口密度は、馬が来る前からぐっと上がった。
このとき、排泄物の処理もする。動物だからその場でいたしてしまうのは仕方ないのだけれど、やっぱり教室じゅうに臭ってしまうのだ。こまめに取り除かなければいけない。嫌な仕事だけれど、神田さんが嫌な顔ひとつせずに手伝ってくれるから、思っていたよりはけっこう楽だった。
三時間目と四時間目、そして給食。このときには馬には餌をやらない。馬の餌は、朝と夜だけなのだ。馬は恨めしげに給食を食べる五年一組を見ている。でもお待ちかねの給食の時間に、馬のことなんかだれもろくに気にしない。談笑して、おいしくいただく。
掃除の時間。普通は持ち回りで掃除する場所は変わるのだけれど、一学期のあいだは例外的にずっと、切子の担当場所は馬のスペースになった。散らばったさまざまなゴミをほうきで掃き、ちりとりに集め、馬自身もブラッシングしてやる。馬は洗わないと、すぐに臭くなる。
お昼休みには、馬も連れて校庭に出る。シスターたちの監督を頼んだうえでの乗馬は、五年一組のブームだ。
五時間目の授業のあと、帰りのホームルームとお祈りをしたら、放課後になる。切子は鼻輪についた紐で馬を引っ張り、厩舎まで曳いていく。神田さんはいつもいっしょについてきてくれて、ふたりで談笑しながら往復十分の楽しいときを過ごす。ほかの子たちも教室で待ってくれている。
馬を置いたらランドセルを背負って、みんなといっしょに並んで帰る。ときには、寄り道とかもするし、そのままだれかの家に遊びに行ったりもする。
そういう生活が、気がつけばひと月続いた。
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