第5話 罰



 翌日。蒼は職員駐車場に向かった。


 ——そろそろ……。


 腕時計を眺めながら駐車場に足を踏み入れると、予想通り。小ぶりで真っ赤な外車が駐車場に停車し、中から水野谷が姿を現した。


 蒼は慌てて彼の元に駆けていく。水野谷は車のロックをかけながら、顔を上げた。


「蒼——」


「お、おはようございます」


 慌てて声を上げたので、声が詰まった。


「おやおや。まだ具合が悪そうだねえ」


 水野谷は眼鏡をずり上げて蒼を見下ろす。


「ち、違うんです。あの。おれ……」


 ——社会人にもなって、家出して、しかも仕事をさぼるだなんて……。


 言い訳ではない。ただ、休んでいた理由を上司に説明しなければならないと思ったのだ。しかし蒼の声を遮って、水野谷が首を横に振った。


「悪いけれど、僕は君のプライベートには興味がないんですよ。ちなみに、私情を仕事に持ち込むことも好きではありません」


 言葉の内容は冷たいようだが、彼の目は優しく蒼を見据えていた。


「でも。あの。課長。おれは自分の身勝手で、みんなに迷惑をかけたんですよ」


「だからなんです? 職員が休暇を取る理由を、いちいち上司が管理しなくてはいけないんですか? 年次有休休暇の取得は、雇用される側の権利なのです。職員の誰かが長期で休んで、仕事に穴が開く、なんてことは、管理職として想定済みの案件なんですよ」


「課長。でも。おれ……」


「蒼はまだまだわかっていませんねえ」


 彼はそう言うと、蒼の首根っこを掴まえた。


「さあさあ。こんなところで僕と無駄話をしている時間があるなら、さっさと仕事。仕事。蒼は、お互い様という言葉を知らないんですか」


 まるで野良猫が母親に首を噛まれて連行されていくような恰好で、蒼は事務室まで連れてこられたかと思うと、そのまま放り込まれた。


「ひゃあ」


 思わずよろけて、そばの事務机に手をつく。それから顔を上げると、そこにいるみんなが蒼をじっと見つめていた。


「さあさあ。病弱な蒼くんが戻ってきました。みなさん。彼が戻ってきたら——わかっていますね?」


 水野谷が手を叩き、明るい声で言い放つと、そこにいるみんなはニヤニヤとしていた。そして、星野が手を上げる。


「あのー。鳥小屋の掃除、一週間ですよね?」


「そうですね」


 水野谷は「うんうん」と頷いた。


 今度は吉田が手を上げる。


「大ホールの掃除も一週間ですよね」


「そうですね」


 蒼はきょとんとして水野谷を見るが、彼は笑顔のまま。それから「トイレ掃除一週間」、「遅番一週間」、「お昼確保のパシリ一週間」と次々に声が上がった。


「——ということです。蒼。いいですね?」


 蒼は笑顔を見せている先輩たちを一人ずつ見て、それから水野谷を見た。


「は、はい!」


 これは水野谷の配慮だ。ここで甘やかされたら、蒼はきっとここにいられなかっただろう。今回の件の責任をどうつけたらいいのかと悩んでいたのだ。最悪、退職も考えた。社会人として、やはりこんな自分勝手な理由で休むなど許されないと思ったからだ。


 だがしかし。水野谷は蒼がどう考えるということを予測していたのではないだろうか。蒼が「退職する」などと言い出さぬよう、罰を課すことで、許すという意味なのだろうと悟った。


 蒼は水野谷に頭を下げた。


「課長! 今回は本当に。ありがとうございます!」


「そんなねえ。罰を課してお礼を言われるなら、これからもそうしましょうか」


「う……。それは……」


「ささ。仕事ですよ。仕事」


 水野谷の合図を機に一同は椅子に座る。それを見ながら蒼は、もぞもぞと自席に座った。いつもならば、遅番組は昼からの出勤になるため、こうして朝から全員でそろっていることなど、珍しいものだ。蒼は星野を見つめる。


「星野さん。あの。みんな揃って……」


「お前が休んでいるからだろう? 日勤だの遅番だのって分けていたら人手が足りねーんだよ」


「そうだったんですね。すみませんでした」


 しゅんとして声を潜めると、星野は蒼の頭をくしゃくしゃと撫でた。


「無事ならいいんだよ。無事ならよ。まったく心配ばっかりかけやがって。やっぱり命狙われてんじゃねーの? 蒼」


「ち、違いますけど」


「さっさと仕事しろよ。お前、今日から椅子に座っている暇ねーくらい忙しいぞ」


「は、はい!」


 大きな声で返事をすると、吉田に声をかけられる。


「蒼。鳥小屋掃除、行くよ~」


「はい」


 しょんぼりとしている暇はないし、そうさせてもらえないということだろう。蒼は慌てて吉田の跡をついて事務室を出た。





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