第11話 新手のナンパ



 聞いたことがある。ケルン新人ヴァイオリンコンクール。数年前に始まり、他のコンクールから比べると、まだまだ歴史も浅いものだが、第一回から、優秀な新人の発掘に貢献しているという評判のいいコンクールだ。


 コンクールと言えば、審査員のコネ問題や、国際問題等々、審査時代に疑念を持たれている仕組みでもある。昨今では、コンクールよりも、オーディションを重視する風潮にあるものの、それでもなお、コンクールに挑戦する演奏家は後を絶たない。


 そんな中で、このケルン新人ヴァイオリンコンクールは、審査員の生徒は参加できない。各国の情勢は鑑みない、審査をオープンにするため、聴衆たちの意見も反映されるようになっている、先進的なコンクールでもあると言われているものだ。


 ——確かに。視野に入れていないわけではないけれど。


 黙り込んだ関口に、ショルは肩を竦めた。


「You don't think you're going to immediately retract the promises you've made, are you? Good? I think I can do a lot of things. If you don't keep your promise to me, you have no future in this industry.

(まさか、口にした約束をすぐに撤回するわけではないだろうね? いい? 僕はいろいろなことがどうとでもできると思う。僕との約束を守らないってことは、キミはこの業界での未来はないんだ)」


「What are you talking about? You're in the habit of being a fledgling.

(なにを勝手なことばかり言っているんだ。お前だって駆け出しのクセに)」


「But I've already made my debut. What about you? What's wrong with you?

(だが、僕はデビュー済み。キミは? キミはどうした?)」


 ショルティは大きくため息を吐いて、首を横に振った。


「I don't think you're the kind of guy who can protect Ao. Okay? Are you worthy of Ao? Is it the same as whether or not you are a first-rate musician? Nice. Enter the competition. Kei. If you don't make it to the finals, you don't deserve Ao.

(僕はキミが、アオを守れるような男だとは到底思えないね。いいか? キミがアオにふさわしいのか。それはキミが音楽家として一流かどうかってことと一緒だろう? いいな。コンクールに出ろ。ケイ。もしキミがファイナルまで勝ち残らなかったら、キミはアオに相応しいとは言えない)」


 ショルティの言っていることは、独りよがりであるということは理解している。音楽家として一流ではなくとも、蒼とは人間として付き合っていける。それが通常の理論だ。だがしかし、それではダメだと思っている自分もいるのだ。


 ——蒼に相応しい自分ってなんだ。


 日本国内で活動しているオーケストラの一楽団員としての自分ではいけないのか?


 ヴァイオリン講師をしている自分ではいけないのか?


 他者から見たら、どれでもいい。そう言ってくれるのだろう。だがしかし。自分が生きていく音楽の世界は、


 ——世界に飛び出したい。僕だって、ステージの上で思いっきり音楽をやりたい。そしてきっと。蒼に相応しいのはそんな僕だ。


「It's about making it to the finals.

(ファイナルまで勝ち進めということだな)」


「That's what it is. From this year, I will be in charge of the finals. Okay? Compete with me in the finals. Kei. That's all I want.

(そういうことだ。今年からファイナルでは、僕が指揮を振る。いいか? ファイナルで僕と競演しろ。ケイ。僕の望みはそれだけだ)」


 それから、ショルティは蒼を見る。


「Ao. As for me. I like you. Love. If you feel lonely, you can always come to me. Yes that's right. What if Kei didn't make it to the finals——。 I'm coming to pick you up!

(アオ。僕はね。キミ好きだよ。大好き。寂しくなったらいつでもおいでよ。ああ、そうだ。ケイがファイナルに残らなかったら——。僕はキミを迎えに来るね!)」


 ——この男!


 好き勝手なことばかり言ってくれる。一発、殴らないと気が済まない。そう思ったのだが——。側にいた蒼がしがみついてきた。関口の怒りの気持ちを汲み取ったのだろう。


「関口。ダメ。そんなことしちゃ」


「蒼……」


「お願い。ごめん。おれが悪い。本当、ごめん……っ」


 そう呟いた蒼は突然にむせ込んだ。


「蒼!?」


 苦しそうに何度も肩を上下させて、咳き込んでいる蒼のそれは尋常ではなく感じられた。


 ——発作。


 関口は蒼の肩を抱き、それから圭一郎に視線を向けた。こういう時、頼るのが父親であるこの男だと思うと、情けなく思われた。だがしかし、今はそうするしかないということ。


「有田。すぐに金田先生に。それから車を」


「承知しました」


 日本語でやり取りをされると、ショルティは一つもわからないのだろう。ショルティは関口を問い詰める。しかし、そんなものを相手している場合ではない。


「What? What's up with Ao?

(な、なんだ? 蒼はどうしたの?)」


「It doesn't matter to you.

(お前には関係ない)」


 関口は蒼を抱えあげると、そのままショルティを押しのけて部屋を後にした。後ろからショルティの声が響く。


「It's a promise! Kei!!

(約束だぞ! ケイ!!)」


 ショルティとの約束は約束だが。今は蒼のことだけが心配だった。


「蛍くん。こちらです」


 有田に促されて、苦し気に目を閉じて肩で息を吐いている蒼を抱えて、関口はホテルを後にした。



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