第3話 関口家全員集合


 朝。目を覚ますと、腕に繋がっていた点滴はなくなっていた。いつの間に針が外されたのか、気が付かなかった。目を擦って、躰を起こす。点滴のおかげで、随分と体調は改善しているようだ。躰が動かせる。


 蒼はそっと扉を開けて、外を覗き見した。


「え!?」


 そして腰を抜かしそうになった。


 関口の実家は、まるで豪邸だ。


 ——ほ、ホテルとかじゃないよね?


 長い廊下には、いくつもの扉が見えた。民家としては、規格外。まるで、どこかの施設にでも迷い込んだかのような錯覚に陥った。


 ——関口はどこにいるんだろう……。


 狼狽えてしまう自分は田舎者だ。そう自覚をしながら、壁に伝いながら廊下に出る。野生動物の勘とでもいうのだろうか。見ず知らずの場所に来て、堂々と中心を歩くことはできないのだ。隅をそろそろと歩いて行く。


 ——階段は……。一階なのかな。


 廊下の真ん中くらいの距離まで歩みを進めた瞬間。突如、目の前の扉が開いた。蒼は驚いて、躰が竦む。もう微塵も動けないくらいに固まっていた。しかしそこにいたのは、関口ではなかった。若い女性だったのだ。


 髪色は金色。化粧で武装しているものの、その顔の作りは、大理石の彫刻のように彫が深かった。いわゆる「美人」と呼ばれるカテゴリーに含まれるだろう。蒼にとったら、眩しいくらいの存在感。


「あんた、誰? ——ああ。なんだ。昨日の夜、お兄ちゃんが連れ込んだ男か」


 ——お、お兄ちゃん!?


 蒼は口をパクパクとさせて、女性を見つめる。とても関口の妹には見えない。あまりにもカテゴリーエラーである。壁にしがみついたまま彼女を見つめていると、蒼にはそう興味もないらしい。ぷいっと視線をそむけた。


「どうやって取り入ったんだか知らないけどさ。なあに? 一緒に住んでいるんだって? やだ~。どういう関係なの? あ、そう。そういう関係か。ま、恋愛なんて自由だけどさ。あんたも、もの好きだね」


「え、あ、あの。違——、そうじゃなくて」


「そうじゃないってどういうこと? え? 嘘。もしかしてお兄ちゃんが弄ばれているって感じ? きゃは! やだ~。ウケる」


 関口の妹らしき女性は、大して面白くもないような、虚ろな目で蒼を見ている。蒼は、違和感を覚えた。関口とは違う、なんだろうか? 


 彼女は、生きている屍のようだったのだ。


「ねえ、あの……」


 蒼が女性に手を伸ばすと、彼女はそれを、「めんどくさい」と言わんばかりに振り払った。


「触んないでよ。うざ」


「だけど。あの」


「関係ないじゃん」


 二人がもみ合っている声を聞きつけたのだろうか。そこに関口が顔を出した。


「蒼? 起きたの? っていうか。音々おとね。お前、蒼になにやっているんだよ」


「はあ? 私が絡まれているんだっつーの。いい加減にしてよ。まったく」


「お前。そんな恰好して。こんな朝からどこに行くんだ?」


「どこだっていいじゃん。っつーかさ。も帰ってきて息が詰まりそう。家族が勢ぞろいなんて迷惑だっつーの」


 関口の妹である音々は、関口を押しのけて廊下を歩き出した。


「お前」


「お兄ちゃんだって嫌なくせに。あーあ。せっかくの休みなのに~。坂田さんのところにでも行ってこよ」


「坂田って……お前。まさか。またあんな親父と付き合っているんじゃないだろうな」


「いいじゃん。お兄ちゃんにも関係ないって。どうせバラバラな家族なんだし。私がなにしていようと関係ないじゃん!」


 ——関係なくなんて、ないよ。


 心配気な関口の横顔を見て、蒼は「ダメだ……」と呟いた。


「蒼?」


「だ、ダメだよ。そんなの」


「え?」


 音々は瞬きをして蒼を見た。


「せ、せっかくの家族でしょう? バラバラなんてダメだと思う」


「はあ? なにこの人。本当、めんどくさ」


 音々はさっさと手を振って廊下から姿を消した。興奮してしまっている蒼の肩を、関口は両手で抱えた。


「落ち着いて。蒼。あいつはあんな奴だから——」


「関口も関口だよ。妹さんなんでしょう?」


 ——本当は、羨ましい。羨ましい。


 蒼の中でそう叫んでいるもう一人の蒼がいた。


「おれには、血の繋がった家族は母さんしかいないもの。関口の家が羨ましい。ご両親がいて、関口がいて、妹さんがいて……。おれにとったら羨ましいんだ。だから、本当は仲良くしてもらいたくて……」


 圭一郎の関口への思い。蒼には理解できた。圭一郎の思いは一方通行なのかも知れないが、それでも、思いをぶつけることができる相手がいることだけで、蒼にとっては羨ましいとしか言いようがないのだった。


「ごめんね。僕の家のことで思い悩ませるなんて」


「前にも言ったけど、関口はおれのことも背中押してくれたでしょう? おれもなんとかしたいって思うんだ。関口は圭一郎さんと仲直りしたいと思っていないのも知っている。だけどね。やっぱりそのままになっちゃうのは、悲しいと思うんだ」


「蒼……」


 関口が口を開いた時。女性が顔を出した。彼女は、音々と似ていたが、その風貌は真逆。長い栗色の髪をくるくるに巻いて、生成り色の、かわいらしいシフォンワンピースをまとっていた。


「あら。起きたのね。なにやら騒がしかったけど、音々が蒼ちゃんに悪戯でもしたのかしら? けい、怖い顔しているわよ」


 彼女はうふふと、艶やかな笑みを見せた。蒼は、はったとする。彼女は……どこかで見かけた。


 ——この人が、関口蛍の母親。関口圭一郎の奥さんだよ。


 星野が音楽雑誌に載っていた彼女を見せてくれたのを思い出した。


「あ、かおり……宮内、かおり?」


「あら! 嬉しいわ。私のこと、知っていてくれたのね~。まあまあ、かわいらしいこと。この子が蛍ちゃんのお嫁さんになるの?」


 関口の母親は、ぴょんぴょんと跳ねてきたかと思うと、蒼をぎゅっと抱きしめた。ふんわりとせっけんのようないい匂いが鼻をかすめる。


 蒼はもう、これでもかっていうくらい顔が熱くなって卒倒しそうだった——。


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