第8話 阻害因子


 蒼の戸惑いを他所にショルティは言葉を続けた。


「I listened to Kei's sound. Sounds great. Deep, tremendously deep. However, there is also glossiness and glamour. She was like a maiden in love! Among the many sounds of the orchestra, Kei's sound reached my ears directly. I'm Ao. I love Kei! I want to know everything about Kei! I'm very interested in it.

(僕はね、ケイの音を聴いたよ。素晴らしい音だ。深い、とてつもなく深い。だが、艶やかさや華やかさもある。まるで恋する乙女みたいだった! オーケストラのたくさんの音の中でも、ケイの音は僕の耳にダイレクトに届いた。僕はね、アオ。ケイが好きだよ! ケイの全てを知りたい! とっても興味があるんだ)」


 ショルティは頬を上気させ、とても嬉しそうにそう言った。

 蒼からしてみれば、ショルティのほうが、まるで関口に恋しているように見えた。


「I wanted to make music with Kei.

(僕はケイと一緒に音楽を作ってみたいと思った)」


 彼はグラスを見つめながら声を潜めて言った。


 ——これは、恋? 違う。これはきっと……。


 蒼はふと、栄一郎が「魂が呼応する」と言っていたことを思い出した。


 ——これは音楽家が抱く独特の感情なの?


「I really wanted to know about Kei. I listened to it all the time! Hey, what kind of person is Sekiguchi? Then. The clarinet lady told me more about it. I love women! On the bed, she is kind to me.

(僕はねえ、どうしてもケイのことが知りたくなってね。あたり構わず聴いてまわった! ねえ、セキグチってどんな人って! そしたらね。クラリネットの女性が詳しく教えてくれたんだ。女性は大好きだよ! ベッドの上では僕に優しくしてくれるもの)」


 ——この人って……。


 蒼は呆れるばかりだ。圭一郎が演奏会中に教えてくれたことは、本当だったらしい。ショルティという男にとって、人との交わりは挨拶程度のことなのかも知れない。関口のことを『好きだ』という言葉ですら、それがどういう意味なのかわからない。いや、もしかしたら、彼自身すらわかっていないのかも知れないと思った。


 関口圭一郎という男に出会って、唖然とすることばかり経験してきたが、この目の前の男も相当、世間から逸脱しているように見える。偏見なのかも知れないが、指揮者という職業を生業にする人間は、かなりの変人なのではないかという考えが、確信に変わる。


「Then I found out that Sekiguchi was Keiichiro's son. Also, he said he hated competitions and couldn't go out into the world. But there is one thing. What I didn't understand was Ao, who was reflected in the standby. Nobody knows. But it hit the mark! I'm sure Kay is in love with this girl. That's why I wanted to take a look. You that Kei cherishes so much.

(それで、セキグチっていうのは、ケーイチローの息子だってわかった。それから、コンクールが嫌いで世界に飛び出せないって。だけど一つ。わからなかったのが、待ち受けに映っていたアオのこと。誰も知らない。だけど、ピンと来たね! きっとケイはこの子に恋しているんだって。だから見てみたかった。ケイがそんなに大切にしているキミを)」


 ショルティは長い腕を伸ばしてきたかと思うと、蒼の腕を掴んで引き寄せた。小さなテーブル越しに距離が近づく。


 ショルティの碧目が蒼を見据えていた。


「Ao was as he had imagined. I understood that Kei was going to be obsessed with it. Hey, Ao. Kei can't go out because Ao is in Japan. If it's that important, I should take Ao with me. Hey. What is the relationship between Kei and Ao?

(アオは想像通りだった。ケイが夢中になるわけだって理解したよ。ねえ、アオ。ケイは、アオが日本にいるから外に出られないんだね。そんなに大事なら、アオを連れて歩けばいいのに。ねえ。ケイとアオはどんな関係なの?)」


「What's that?

(ど、どんなって)」


 蒼にはそれが答えられない。関口は蒼を好きだと言ってくれた。だけど、自分は? 自分はどうなのだ。関口が遠くに行ってしまうのは嫌だと思うくせに、彼に対する思いがはっきりしないのはどういうことなのだろうか。


 まっすぐに見つめられると、彼の視線を交わすことは出来ない。優しい瞳の色なのに、なぜかそれは蒼の心を追い詰めてくる。ショルティと対峙しているはずなのに、蒼は心の中で自問自答を繰り返し、すぐに得られるものでもない答えを求めて惑っていた。


 いつまでも黙り込んでいる蒼に痺れを切らしたのだろう。ショルティは声色を緩めた。


「Friend? Chum? Or is it a lover? Hey. Are Ao and Kei lovers?

(友達? 親友? それとも——恋人なの? ねえ。アオとケイは恋人なの?)」


 ドキドキと動悸がした。耳元に心臓があるみたいに、大きく拍動が響くのだ。言葉に窮して黙り込んでいると、ショルティは待ちくたびれたのか、『ま、いいか』と肩をすくめた。


「Ao. Kei is a violinist who shouldn't fit in such a small country. If you really care about Kei, you should stay away from her.

(アオ。ケイはこんな小さな国に収まってはいけないヴァイオリニストだ。ケイのことを本当に思っているのなら、キミはケイから離れるべきだ)」


 ショルティの目は笑ってはいなかった。これは本気の警告だ。そう思ったら、途端に落ち着かなくなって、なんだか悲しい気持ちになった。視線を伏せてじっとしていると、ショルティは明るい声色で叫んだ。


「Don't look like that. No problem! I'll take care of you. Rest assured! Ao. As for me. I love cute things. If you walk with Ao, I think people all over the world will envy you. Hey, Ao. Come with me?

(そんな顔しないで。大丈夫! 僕が相手してあげるよ。安心して! アオ。僕はね。可愛いものが大好き。アオを連れて歩いたら、世界中の人が羨ましがるんじゃないかなー。ねえ、アオ。僕と一緒に来る?)」


 ショルティの話の内容は、支離滅裂だった。蒼には到底理解し得ないことばかり。ただ一つ、わかったことは、自分が関口の成長を阻害している要因なのではないかということ——。


「Oh, I am. I also have a job. That kind of

(お、おれは。仕事もあるし。そんな)」


「You shouldn't quit that. It's okay. What I am. ...... Anyway, today is my happy day. Shall we have a toast?

(そんなの辞めちゃえばいいじゃない。大丈夫だよ。僕がいるもの。……ともかく今日は僕の嬉しい日なんだから。乾杯でもしようか)」


 どうしたらいいのかわからない。困惑してる蒼のことなど気にも留めないのか。ショルティがグラスを差し出す。蒼は釣られるがままに、自分のグラスを当てた。


 



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