第7話 新星あらわる




 新星あらわる——。


 そんな言葉が適切なのだろうか。


 圭一郎に連れられて、渋々と会場に入った。だがしかし——。演奏が始まった瞬間。蒼は息を飲んだ。


 輝かしい光にあふれたステージで、ショルティという男はまるで光の塊みたいに見えた。ライトの光ではない。彼自身が輝いて見えるのだった。


 第一部はプロコフィエフのフルート協奏曲。フルートは、自国ドイツから同伴のフルート奏者らしい。真紅のドレスを纏い、栗色の髪の女性は細身で御伽話に出てくるプリンセスのようだ。演奏中、ショルティと彼女は視線を合わせ、軽く笑みを見せあう。


 純朴な蒼でも、その二人の関係性はなにやら。ただならぬものを感じる。妙にドキドキしていると、隣にいた圭一郎が「ショルはモテるからねえ。世界中のあちらこちらに、がいるんだよ」と、蒼にとったらとんでもないような言葉を囁いた。


 そして第二部はストラビンスキーのバレエ音楽「火の鳥」。どちらも蒼にとったら馴染みのない曲だが、ロシアの重厚感あふれる鬱蒼とした雰囲気が漂う曲だった。


 蒼は驚嘆せずにはいられない。この大人数の演奏家たちを、ショルティという男は、自由自在に操っている。そう。ある意味、独裁者——。


 ショルティの合図で変わる音色、曲調……それらはめくるめく華やかな絵巻でも眺めているかの如くだった。


 音楽のことはわからない。ただ、その会場にいる全員が、彼の後ろ姿に釘付けになっていることはわかった。


 終曲である「カスチェイの城と魔法の消滅、石にされていた騎士たちの復活、そして大団円」。


 ロシア民謡からとられたホルンの旋律をヴァイオリンが繰り返す。ティンパニの音とともに、卵が壊れ、魔法の城も消える。十三人の王女も、石になった騎士も救われる。最後は王子と王女の結婚式典の曲だと、圭一郎が教えてくれた。


 金管楽器たちの旋律は、華々しい式典を彩った。


「ドイツの坊やが。デビュー戦でロシア音楽をチョイスするあたりが、捻くれていていいじゃないか。まあ、デビュー戦としては上出来かな?」


 圭一郎の声にはったとして視線を向ける。彼は椅子の肘置きに腕を着いて、物憂げに視線を曇らせた。


「早く上がってこい。けい——。世界はお前が思っているよりも、もっと早いスピードで進んでいるのだ」


 蒼はじっと押し黙ってステージ上のショルティを見つめる。


 ショルティの神々しさは畏怖すら覚える。なんだか関口の姿が霞んで見えた。圭一郎の杞憂は、蒼も同じだった。 


 ——関口だって、あの場に立てる実力があるのに。それに恵まれないんだ。


 友人の愛弟子ということで、可愛がってはいても、一番可愛いのは我が息子に違いない。


「火の鳥の原典版とは、珍しい趣向ではないですか。しかも、初戦からこの大編成オケ曲を選ぶだなんて。挑戦的ですね」


「そうだね。そういう攻撃的なところが、ショルらしいでしょう?」


 有田と圭一郎の会話は、蒼には理解できない。ただ、なんとなくざわざわとした気持ちを持て余していた。


 なんだか関口に会いたい気持ちになった。それから、はったとして首を横に振った。


 ——違うし。別に関口に会いたいわけじゃないし。気のせいだし。


 一人でブンブンと首を振る。時計の針は夜の九時を指すところだった。


 会場内にいつまでも響き渡る拍手喝采を受け、両手を広げて観客たちに挨拶をするショルティは関口のその出立ちとは違う。たくさんのオーケストラメンバーたちを引き連れ、堂々たる光の塊のような男に、蒼はどこか恐ろしさすら覚えた。



***




「Ao! How was my performance?

(アオ! 僕の演奏はどうだった?)」


 ショルティは嬉しそうに英語でそう問いかけてきた。蒼は目の前にあるグラスを見つめて、じっとしているだけ。


 ——終わったら送っていくって言ったじゃない!


 目の前にいる彼は両手で頬杖をついて、蒼をにこにこと見つめるばかりだった。その笑顔は、ステージの上で見せたあのカリスマ性は形を潜め、蒼とそう代わりのない年相応の、まだまだ無邪気さを残したようなものだった。


 演奏会が終了してから、圭一郎に連れられてホール隣に立地するホテルに連れて行かれた。


 今回は、ドイツからオーケストラを引き連れてきたショルティ。メンバーたちも楽器ケースを抱えて、次々にホテルに入っていくところを見ると、ここが宿泊場所であることはよくわかった。


 その波に押されて、気が付いたらここにいた。そうだ。ここ——ショルティの宿泊部屋。


 圭一郎たちは一時間後に迎えに来ると言って出て行ってしまった。つまり——蒼は彼と二人きりなのだった。なぜ、自分がショルティとの時間を過ごさなくてはいけないのか疑問だ。彼の要件は済んだはずなのに。


「Ao speaks English very well. Japan people are not good at English. I can't communicate, so it's really annoying.

(アオは英語が上手だね。日本人は英語が下手だ。コミュニケーションが取れないから、本当に困るよ)」


 しかし話しをしているのは彼だ。九割は彼。残りの一割が蒼。しかも『はあ』とか、『いや』とか。大した内容は口にしていない。


 ショルティは、日本でのデビュー公演が大成功を治めて上機嫌らしい。テーブルの上に置かれている日本酒の瓶を持ち上げて、それをグラスに注ぎこんだ。


「Nihonshu? This. Keiichiro. He gave it to me. Is it delicious?

(ニホンシュ? これ。ケーイチローがね。差し入れてくれたんだ。美味しいの?)」


「I'm not sure.

(おれは、よくわからないけど)」


「I'm Japan, but I don't understand?

(日本人なのにわからないの?)」


『Solti says so, though. Japan is huge. I don't want Japan to be lumped together.

(ショルティはそうは言うけど。日本だって広いんだよ。日本をひとくくりにされても困るんだけど)」


「I see? Japan is a small country when you look at it on a map. It's interesting to actually visit a few times in this way. The people are interesting, and the cityscape is interesting. Unique and nice!

(そっか。日本って地図で見ると小さい国だけど。こうして実際に何度か足を運んでみると、興味深い。人間も面白いし、街並みも面白い。個性的でいいね!)」


 居心地が悪い。初対面で、しかも共通の話題などあるわけもない。蒼はきょろきょろと視線を彷徨わせながら椅子に座っていた。


「Hey. Ao. What is Sekiguchi?

(ねえ。アオ。セキグチって)」


「What! Maestro?

(え! マエストロ?)」


「No, no. It was Keiichiro's son who was waiting for your picture. The name is uh........

(違う、違う。キミの写真を待ち受けにしていた、ケーイチローの息子のほうだ。名前はえっと……)」


「Kei.(けい)」


「I got it. Kay. It's Kay. Why is Kei only in Japan? Why not go out into the world?

(そうだ。ケイ。ケイだ。なぜケイは日本にばかりいるんだ? なぜ世界に飛び出さない?)」


 蒼は言葉に詰まる。それは彼自身に聞かなければわからないことだ。だが——。きっと。コンクール恐怖症になっていたのが足を引っ張っていると星野が言っていた。今はそれも克服した状況ではあるが。


 ——関口だって、出られるものなら出たいんじゃないかな。


 関口が世界で演奏をする?


 蒼は途端に不安になった。


 今でこそ、彼は不在が多い。東京にばかり行っているからだ。なのに、世界に飛び出すようになったら、きっと自分との時間は少しもないのではないか? そんな不安に駆られたのだ。


「Could it be that you're interfering with me?

(もしかして、?)」


「What! Oh, me? Get in the way. What......?

(え! お、おれ? 邪魔って。なに……?)」


 突然の言葉に蒼は困惑した。





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