第2話 僕の秘密、キミの秘密
どのくらいの沈黙があったのだろうか。ふと蒼の息遣いが変わったことを確認して、彼の心が動いたと判断した。
「さあ、話してみなよ」
蒼は無言で応えるのではないかと予測していたが、意外にも「話してみなよって……どうしたらいいのか」と答えた。
これは話す気持ちはあることを意味しているのだ。関口はあまり重くならないようにと、軽い口調で促した。
「どこからでも、どうぞ」
「……」
蒼は困惑しているようだった。母親のことを話してくれた時、初対面に近い状態だった。あの頃は、顔を合わせれば口喧嘩ばかり。どうでもいい相手だという条件の上での告白だった。だがしかし。こうして関係性が近しくなると、言いにくいのではないかと直感した。
ならば——。
「じゃあ、僕から話そうか」
「え?」
「僕の秘密。蒼に話していない秘密」
——そう。いつかは蒼に打ち明けなくてはいけないこと。
関口は軽く咳払いをすると、蒼を見据えて言った。
「僕は男性しか愛せない」
「——え?」
「だから。何度も言わせないでよ。僕の性癖の話だ。僕は男性が好きだ。女性とお付き合いをしたことはない。まあ、と言っても男性とだって、そう経験があるわけではないけどね」
「あ——あの。えっと……」
蒼は少し恥ずかしそうに、もぞもぞと躰を動かした。
「勘違いしないでくれる? まあ、蒼が僕と付き合いたいっていうなら考えてやってもいいけど。どうせ、蒼は普通の恋愛遍歴みたいだし。彼女くらい、いたんでしょう——」
投げやりな言い方に、蒼はじっと涙をためた瞳で関口を見上げていた。
薄暗くても、目が慣れてくると、蒼の様子は手に取るようにわかる。だって、その瞳は関口が大好きな濡れ羽色。
彼は小さく頷くと「おれは」と言った。
「おれ。義理の兄がいて」
「お兄さん? えっと。栄一郎さんの連れ子ってこと?」
「そう。兄は……陽介は、いつもおれのこと大事にしてくれた。おれはいらない子だけど、そうじゃないよって。蒼は不幸を呼ぶ子どもだって周囲から言われているけど、そうじゃないよって」
『蒼はいらない子だけど、そうじゃないんだよ』
『蒼は不幸を呼ぶ子どもだって、みんなが言っているけど、それはそうじゃないんだよ』
——陽介という男は、本気でそんな言葉を蒼に投げかけていたというのか。
関口は、違和感だらけのその言葉に気分が悪くなった。しかし目の前にいる蒼は、なんの疑いもなくその言葉を口にした。
それはまるで蒼を縛り付ける呪文のようだ。蒼を救うための言葉に聞こえ、その実、蒼を縛り付ける。
『お前はいらない子だ』
『お前は不幸を呼ぶ子どもだ』
陽介はそういう概念を蒼に植え付けていたのかも知れない。ある種のマインドコントロールのようだと思った。口では優しく蒼の味方をしているようで、蒼をダメな子として決めつけ、本人にもその意識を持たせるのだ。
——汚いやり口だ。
「友達もいない。誰とも仲良くできないおれだったけど、陽介がいつもいてくれた。勉強も教えてくれたし、母さんもいない中で、おれの面倒も見てくれた。いつもそう。陽介は優しくしてくれたんだ」
関口にはわかる。陽介の気持ちが手に取るように理解できた。
——だって、おれも蒼が好きだからだ。
陽介は、蒼が大事で仕方がないのだろう。だが、いつまでも兄弟ごっこを続けられるものか。きっと——ある一定の、欲望のコップがあふれた時に、陽介という男は、我慢が出来なくなる。
陽介が純粋に蒼を大事に思っていただけ、なんて幻想にすぎない。人間の内面にあるのは、肉欲や情欲。男だったら、当然に湧き上がる衝動。現に自分だって——。
手のひらから伝わる蒼の感触に、平然としていられない自分を自覚しないように努力しているではないか。涙でいっぱいで、傷つき、弱弱しく見える彼を、なんとも思わないわけがない。少しでもその
自分の気持ちと向き合うことをやめ、目の前の蒼に視線を戻す。
「で、なに? 躰の関係でもできたの?」
「な、なんで」
「だってさ。そんなのよくある話じゃないの。陽介って男は蒼が好きだったんだ。いや、今も好きなんじゃないの? 今までそれを自分の中に押し込めてきたんでしょう? なあに? 陽介になにかされたの? 今まで一緒に住んできたのに、突然、そんなことを言い出すだなんて。おかしいじゃない」
ぶきらぼうかも知れない。不躾なのかも知れない。だが、きっと。いつまでも蒼の口から、こんな話をさせたくないと思ったのだ。関口は、嫌われても仕方がないと思った。いや、すでに嫌われかかっているようなものだ。
蒼は笑顔を見せてくれるが、自分はどうだ。気の利かない、ただの我儘の塊だ。自己中心的で、そしてこうして蒼を振り回す。
住まいをシェアしようと言ったものの、結局は留守ばかりで、蒼を一人にしておくのだ。彼は一人が好きなことも知っている。だが、それでも時折見せる寂しげな顔を見て見ぬふりではないか。自分勝手過ぎると自分を責めている毎日なのだ。
——なんでも自分の都合だ。どうせ。僕なんて。蒼には嫌がられているんだから。いいじゃないか。吐き出す相手としてはうってつけだ。
一発、殴られるのではないかと思って、身構えてみるが、蒼はただ涙をぽろぽろとこぼすばかりだった。
「関口……。おれ。あの生活には戻りたくない。おれ、今の生活が好きなんだ。なのに、陽介は昔に引き戻そうとする。陽介との関係性は、ずっとずっと積み重なっていって、いつの間にか重い鎖みたいになった。辛くて、辛くて。そう思っていた頃に、陽介が大学に進学した。そしておれも、家を出るって決めた。母さんのこともあったけど。陽介とのことも辛くて。もう熊谷家には帰れないって思った——だけど。やっぱり母さんのことが気になるんだね。梅沢から離れればいいのに。結局はまた帰ってきちゃった。おれって弱い人間なんだ」
——弱い人間なんかじゃないだろう?
関口はそっと蒼の肩を掴んだ。
「蒼は弱くないよ。蒼は強い。
——そうだ。蒼は強い。
「陽介って人とのことだって、逃げる気になれば、どこへだって逃げられたんだ。だけど、きっと、ちゃんとしたいって思っているんじゃないの? ねえそうでしょう? 違う?」
「お、おれは……っ」
蒼は引き釣るように嗚咽を洩らして、そして、必死に自分の気持ちを言葉にしようとしていた。
——頑張って。蒼。
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