第8話 愉快な仲間たち
「あいや~。参りましたねえ」
昼下がりの
「な、なんです? 課長」
最年長者である
「ああ、すみません。みなさん、お昼寝中だったのにねえ」
水野谷は笑顔でそう切り返すが、本当に眠っていたであろう尾形は口元を拭って、立ち上がった。
「眠ってなどおりませんっ!」
「おいおい。冗談でしょう?」
水野谷は眼鏡をずり上げて苦笑した。水野谷は四十代後半。少し白髪が混ざってきている髪を短く刈り上げている。いつも纏っている海老茶のベストは、彼を年齢よりも老けて見せていたが、細身ですらっと伸びた背筋は、紳士的な印象を与えている。
それに引き換え、直立不動状態を維持している尾形は、長身である割に厚みがある。星音堂事務員の中では、一番の肥満体型と言えよう。
肥満体型だけで言ったら、彼は中年群を抜いての堂々の一位。それだけ尾形は体型を維持するために、間食も多いのだった。
「尾形、お座りなさい」
「は!」
水野谷の指示に、敬礼をした尾形はどっかりと椅子に腰を下ろした。隣の席の吉田は顔をしかめる。
「尾形さんの椅子、いつか壊れるんじゃないかって、ヒヤヒヤしちゃうんですけど」
「ま! なんて小生意気なガキなんでしょう!」
尾形は彼よりも幾分小さい吉田の肩を掴まえた。吉田は蒼のすぐ上の先輩だ。少し抜けているが、心根の優しい男である。彼は小柄で細身だ。尾形になど掴まれたら、躰ごと持っていかれそうだった。
「痛い、痛い! もう、力強すぎなんだから!」
「こらこら。話が脱線するだろ~。素直に謝っておけよ。尾形。睡魔に負けてすいませんだろ?」
「でた! 氏家さんの親父ギャグ」
高田は氏家をヨイショした。この二人。年齢が近いせいか、気が合うらしい。
氏家は今年五十九歳。来年には退職を迎えるが、管理職には縁遠い市役所ライフを送ってきた。自分よりも年下である水野谷のことも、割り切って上司として敬えるのだから、筋金入りの出世欲がないタイプである。少し薄くなってきた髪型だが、それも彼のトレードマークでもある。そしてなにより、彼には『親父ギャグ』という強い味方があるのだ。口を開けば、孫の話と親父ギャグ。昭和のサラリーマンという言葉が服を着てあるいているような男でもあった。
そして高田という男。尾形ほどではないが中年太りが見て取れる体型。そう、腰回りが太っていて、足が細い。昭和のアニメに出てきそうなおじさん体型だ。悪い人間ではないのだが、物事を斜めに見るタイプで、この事務所では突っ込み役に分類される。
「氏家さんも高田さんも、話ずれてますからね。そもそもは、課長が変な声出すから始まったんじゃないですか」
事務所一冷静な男。星野の言葉に水野谷が笑った。
「おう。そうだった、そうだった」
彼は肩をすくめて見せる。
「今年の10月に予定していた、クラシックギターのアンドレ・ロマンツェが病気になったらしい。この分じゃ、来日は無理だな」
「穴が開くってことっすか」
「そういうことだな。星野。さあ? どうする?」
話をふられた星野は、「ええと」と続けた。
「
「そういうことだねえ」
「課長、そんな簡単に言いますけど。来日してくるアーティストはもうすっかり予定がくまれているんですよ。そこに割り込むだなんて、なかなか大変なんですからね」
高田の言葉に氏家もうなずく。
「どうでもいい人では、質が下がりますもんね」
「どうでもいいって、言う言い方は失礼だけどね」
「すみませんね。口が悪くて」
水野谷に頭を下げて、高田は謝罪するが、悪びれている様子はない。
「あのお」
蒼はずっと言いたいことがあって、うずうずとしていたが、やっとの思いで手を上げた。
「はい。蒼くん。どうぞ」
水野谷は、ぱっと蒼を指さした。
「あの、関口のリサイタル……ではどうですか?」
一瞬の間。そして事務所内が笑いに巻きの渦に巻き込まれた。
「え? え? だ、ダメですか?」
「いやいや。わかった。わかった。蒼。大好きな関口君を推したいのはよくわかったよ」
星野は涙を拭いながら、蒼の背中をバンバンと叩いた。
「だって……」
なんだか自分が場違いの発言をしたようで、顔が熱くなった。目の前の吉田が気の毒そうに蒼を見ていた。
「まあまあ。今日ここで話合ってもそう解決策があるとは思えないね。まあ、みんなで考えましょうか。まだ少し猶予はありますからね」
水野谷はそう言うと、にっこりと笑みを見せた。話は終わりだということだろう。一同が仕事に戻ろうとすると、外線電話が鳴った。
「はい、梅沢市星音堂の吉田です」
電話を受けるのは下っ端の蒼の仕事であるが、昨晩のことも手伝っていて、頭がきちんと働いていないのだろう。ぼやぼやとしていたおかげで吉田が先に受話器を取ったのだ。なんだか申し訳ない気持ちになり、吉田の様子を伺う。
「——はい。そうですが。え? 熊谷ですか。少々お待ちください。……蒼。実家から」
「え?」
保留にされた電話を見つめて、おそるおそる受話器を持ち上げる。相手は熊谷栄一郎——蒼の義父だった。
「蒼、仕事中にすまないね。いつ電話したらいいものか悩んでいてね。逆に仕事中のほうがいいのかと思って……」
栄一郎は穏やかの口調で言った。
「
退院してから、すっかり調子がいい物だと思っていた。自分の気持ちを優先して、母親のことを見ていなかったのではないかという後悔の念が押し寄せた。しかし、やはり足を運びたくはなかった。昨日、陽介と会ったばかりで、気持ちの整理もなにもあったものではないからだ。こんな状態で両親に会って、まともに話が出来る自信がなかったのだ。
「あ、あの。今日は……その」
「悪いね。忙しいのはわかっているんだけど。三十分で構わないよ。顔、見せて」
そう言われてしまうと、断るのは難しい。実家に足を運んだからと言って、陽介と会うとは限らないのだ。海の様子だけを伺って、玄関先で失礼しよう。蒼はそう思った。
「——はい。わかりました」
『ありがとう』と言う栄一郎の言葉を最後に、受話器を置く。
——早く関口が帰ってくればいいのに。
蒼はそんなことばかりを考えているが、それがどういう意味なのか、ちっとも気が付いていなかった。
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