第5話 真っ赤に燃える太陽
その日。蒼は休みだった。星音堂の定休日は月曜日。本来ならば、自宅でごろごろとしている時間であるはずなのだが。蒼はとある古びた医院の前に立っていた。
春先ではあるが、少しずつ日が伸びてきているところだ。西の空が赤く燃えるようだった。その赤々とした空を見つめていると、なんだか心がざわついていた。
——何度来ても緊張する。
蒼はそう思って、取っ手を掴む手が震えている様を見下ろした。
蒼の実家である熊谷医院は明治創立の老舗医院だ。外観は石造りのレンガ風。ペンキで色褪せた入り口は木製で、すりガラスがはめ込まれている。本日の診療は終了しているのだろう。『診察中』と赤文字で書かれた、白い木製のプレートが、金色の取手にぶら下がっていた。
子どもの頃、随分と苦しめられた喘息が、社会人になってぶり返している。昨年は、入院までする羽目になった。関口からは「きちんと治療しないと」と釘を刺されたおかげで、こうして月に一回、実家の世話になっているということなのだ。
そんなに来たくないのならば、別の病院に行っても構わないのだが。顔を見せないと、蒼の義父にあたる熊谷栄一郎が心配をして職場にまでやって来るのだ。それはどうしても避けたいことでもあった。そのおかげで、こうしてタイミングを見計らって、蒼は実家を受診しているのだった。
「あら。蒼くん。こんにちは」
若いころは綺麗であっただろう受付嬢の梅宮が明るい声色を上げた。待合室には、誰もいなかった。熊谷医院は、近所の高齢者たちが常連客だ。日中帯は所狭しと患者が並んでいる状況だが、こうして夕方の時間帯になると、閑散とする。だからこそ、蒼は夕方に足を運んでいるのだが——。
「梅宮さん。お願いします」
蒼が診察券と保険証を取り出すと、彼女はマトリョーシカのような丸い躰を揺らして笑った。
「あら、そんなのいらないよ~。それよりもね。今日はラッキーだよ。蒼くん。今日は
「え?」
蒼は心臓がぎゅっと鷲掴みにされた気がした。膝がガクガクとして、指先が震えた。夕暮れの燃えるような夕日が、待合室の窓から入り込んでいて、不気味なほどの明るい。蒼はそれをぼんやりと眺めながら心臓の拍動が早まるのを感じた。
「梅宮さん。ちょっと、今日はやっぱり用事を思い出して……」
そう言いかけた時。診察室の扉が開いて白衣姿の男が顔を出した。
長身で痩躯。長めの前髪を後ろに流し、その下から覗く切れ長の目は、蒼をじっと見据えていた。白衣のポケットに両手を突っ込んでいる男は「蒼、中に入って」と柔らかい声で言った。
「待っていたよ。蒼——」
「よかったね。久しぶりでしょう? 陽介くんと会うの」
受付のカウンターから梅宮はにこにこと笑みを見せる。しかし、彼女の言葉は夢うつつのように空虚に響くだけだ。頭の中で警笛が鳴っているのに、躰は言うことを利かない。
——兄弟なのに、避ける理由はないはずだろう? 今、ここから逃げ出したら、お前たちの関係性を勘ぐられるだけだぞ?
心の中で響く声に突き動かされて、おずおずと歩みを進める。陽介は蒼が診察室に入ると、後ろ手に扉を閉めた。
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