探偵はゲストハウスで歓談する

 ゲストハウスは、浅間大社脇の隘路を入ってすぐの場所にあった。案内された部屋の窓からは、大社裏の森が見えるほど近い。二人は手荷物を置いてラウンジへと向かった。木製のテーブルセットが並んだラウンジは結構な広さがある。ゲストハウスの宿泊客専用というわけではなく、普通のカフェとしても営業しているようだ。


 席に着くなり、すっ、と生ビールが運ばれて来た。戸惑って竜太郎を見たが、ニコニコと笑っている。


「義父さん、頼んでおいたんですか」


 龍二が尋ねると、竜太郎の代わりにビールを運んできたスタッフが答えた。


「こちら、ウエルカムドリンクとなっています」


 そう言うと、爽やかに一礼して去って行った。


「驚いたかい? 道路を挟んだ向かいにある醸造所ブルワリーで作ってる地ビールなんだ。宿泊客には1杯サービスしてくれるんだよ」

「そうなんですか。車でなく電車で来るように言ってたのは、ですね」

「フフフ。、というところかな。さ、まずは乾杯しようか」


 二人はお疲れ様でした、と言って軽くグラスを合わせた。明るいうちに飲むビールというのは、何か特別感がある。伏流水で仕込んだというビールは、すっきりとした飲み口で、のど越しが爽やかだ。


「おいしいですね! しかし、こんな身近にブルワリーがあったんですね」

「このあたりは水がいいからね。富士山の伏流水由来の綺麗な水を使ったブルワリーや日本酒の蔵元さんがそこそこあるんだよ」

「いやあ、知りませんでした。御殿場ごてんばの方にひとつあるのは知っていましたけど」


 二人がとりとめのない話をしていると、4人の客が賑やかに入ってきた。男2人に女2人といった組み合わせ。大学生くらいだろうか。龍二たちの隣のテーブルへと腰を落ち着け、出てきたウェルカムドリンクに歓声を上げている。


 ぐっと一気にビールを飲み干した女性と目が合って、龍二は軽く会釈をした。向こうも満面の笑みでぺこりと頭を下げる。そして、気さくに話しかけてきた。


「こんにちは。名古屋から観光に来たんです。お二人もですか」

「こんにちは。我々は静岡なんですよ。近くの事って意外と知らないので、ちょっと見て回ろうかという事で、こちらに来てるんです」

「へー! そういうものかもしれないですね。あ、私、酒井さかいと言います」

「水田です。こっちは義理の父の櫓さん」


 竜太郎が軽くグラスを上げて応じると、残りの3人もそれに気づいて頭を下げる。ラウンジのあるゲストハウスならではの交流だ。なんだか懐かしい。龍二は、学生時代にバイクで日本一周の旅をしていた時を思い出した。


 4人組は皆、名古屋のN大の生徒だそうだ。女性陣は、初めに話しかけてきた快活な印象の酒井千咲ちさきと、その妹の萌衣めい。千咲は肩にかかるくらいの長さの髪で、きっちり前髪を流しておでこを見せている。萌衣の方はと言えば、やや短めのふんわりとしたボブカットだ。雰囲気的にもおっとりとしている。


 男性陣は、背が高く、緩く巻いた髪にフチ無し丸眼鏡の川瀬かわせに、がっしりとした体格に短髪の三輪みわとの事だった。2人とも如才なく応対しているが、女性陣と比べると、少し抑えているような印象がある。この年頃の男子というのは、そういうものなのだろう。


 千咲・川瀬・三輪の3人は工学部の同じゼミ生だそうだ。千咲と三輪は4年生、川瀬は研究科――いわゆる大学院の2年。萌衣だけは教育学部で、2年生とのことだった。


 そして、なんとゼミの担当教官は千咲と萌衣の父でもある酒井教授だそうだ。と、いうことは、男子2人は、同じの師の娘と旅行しているという事になる。なるほど、抑え気味なのはそういう関係もあるのかもしれない。――いろいろとあるけど、頑張れよ。龍二は自分の境遇と照らし合わせ、心の中で勝手に親近感を抱いていた。


「皆さんは電車で来たのかい?」


 竜太郎が尋ねると、萌衣がふるふると首をふって答えた。


「いえ、車なんです。お姉ちゃんがこないだ買って貰った奴で。ゼミ生3人の旅行で、私は兼運転手なんです」

「ちょっと萌衣。おまけとかそういう事言わないの」


 千咲が小突くと、萌衣は、はーいと間延びした返事をしてにこりと笑った。仲の良い姉妹なのだろう。すると、川瀬が何やらパンフレットを取り出して机の上に置いた。


「お二人に聞きたい事が。僕たち、明日の朝一で自転車で田貫湖たぬきこあたりまで行こうと思ってるんですよ」

「えっ! ここからかい? 結構な距離あるよ。ずっと登りだし」

「はい。でも、こちらでE-バイクのレンタルがあるそうなのでそれを借りてひとっ走りしてこようかと」


 竜太郎が良く分からない、という顔をしているので助け舟を出した。


「電動アシストの自転車ですよ、義父さん。登り坂でもかなり楽なんです」


 田貫湖は、湖面に映る逆さ富士が有名な人造湖だ。手ごろな広さの野外施設で、散策や散歩に釣り、それに、キャンプやバーベキュー用のスポットとしても人気がある。


 とはいえ、ゲストハウスから田貫湖までは15km以上はある。しかも日本一の高さを誇る富士山に近い場所、つまりは標高が高く、そこそこキツい登り坂の連続だ。車があるのにわざわざ自転車で行こうとは。これが若さという奴だろうか。龍二が半ば呆れ、半ば感心していると、川瀬が続けた。


「その自転車です。4時間レンタルってのがあるんで、借りてひとっ走りしてこようかと。逆さ富士のインスタ撮ってみたくて。で、地元の方に聞きたいんですけど、その辺りまで含めておいしい店ってありますか? できればテイクアウト可能だと嬉しいんですけど」

「おいしいお店かあ。テイクアウトするのかい?」

「はい。ここは飲食OKなので、帰ってきてから食べようかと。疲れた後のご飯って、メチャクチャおいしいじゃないですか」


 川瀬の言葉に、三輪と千咲がうんうんと頷く。


「なるほどねえ。テイクアウトできておいしいとなると……定番は富士宮焼きそばになるけど、田貫湖の方まで行くなら朝霧高原あさぎりこうげんの牧場系の奴もあるかなあ。乳製品とか豚肉とか。あ、テイクアウトなら高原チーズ使ったピザもいいかもね」


 竜太郎が地図を指さしながらあれやこれやと提案すると、3人の生徒はその周りに集まってなんやかんやと相談を始めた。ひとり、萌衣だけは席に着いたままニコニコと笑っている。


「萌衣さんはいいのかい?」

「はい。私はサイクリングには行かずにお留守番なんです」


 笑って軽く舌を出して見せる。その会話が聞こえたのか、千咲が振り返る。


「萌衣も来ればいいのに。最近のE-バイクほんと性能いいから大丈夫だって」

「いやー、でもパスで。車の中でクーラーかけて音楽聞いてるー」

「ほんとぐうたらなんだから。せっかくの旅行なんだから行こうよ」


 男性陣2人も気が付いたのか、こちらへと目を向けた。萌衣は、ちょっと困ったように軽く左手をおなかに当てて首を振った。


「うーん。楽しそうだけど待ってる。……タイミング的にもちょっとあれで」

「あれ、生理? だったら無理しなくていいけど。てか大丈夫?」


 千咲があれやこれやと世話を焼き、萌衣がそれに大丈夫大丈夫と応じている。男性陣2人は、ちょっと気まずそうに眼を逸らしていた。

 

「ほんと大丈夫。もー、心配しすぎ。それにね、三輪さんも川瀬さんも、お姉ちゃんだけの方がいいもんね。私、邪魔しませんからー」

「いやいやいや、何言ってるの萌衣ちゃん」

「そうだって。俺も三輪もそんな、あー、アレだよ」


 男性陣2人が慌てて取り繕おうとするのを見て、酒井姉妹は噴き出した。千咲が場を納めるように、ポンと手を打つ。


「はいはい。じゃあ萌衣は留守番お願いね。3人で行ってくるから。お昼買ってくるから、楽しみにしててね」

「はーい。期待してる」


 4人のじゃれ合いがひと段落した所で、竜太郎が口を開いた。


「疲れた後のご飯が最高と言えばだけど、君たちは、このゲストハウスにもうひとつ最高な物があるのを知っているかい?」

「え? なんですか? あ、地ビールですか?」


 千咲が答えると、竜太郎はニヤリと笑って首を振る。そして自慢げに胸を反らして人差し指を立ててみせた。


「それはね。――サウナ。それも、テントサウナなんだよ」

「テントサウナ?」

「サウナって熱いあの?」

「へー、そんなのがあるんだ」

「知りませんでしたー」

「義父さん、本当ですか!」


 4人に混ざって、思わず龍二も声を上げた。


「うん。オプション料金がかかるんだけどね、少し離れた場所に宿泊客用のテントサウナがあるんだ。時間制で貸し切りのね」

「うわー、チャリで汗かいた後に野外でサウナですかー。いいすねそれ」

「飯食う前に汗流して入りてー」


 男性陣は興味津々だったが、女性陣はそれほどでもなさそうだった。


「水着着用なんだけどね。その代わり、男女一緒に入るのもOKだよ」

「え、じゃあみんなで入れるって事じゃん」


 千咲がぐいと体を前に乗り出す。


「いーじゃんそれ! 予約してみようよ」

「え、うん。でもお姉ちゃん水着どうするの。浴衣しか持ってきてないけど」

「この際、適当なの買っちゃえばいいでしょ。萌衣、留守番してるときに買ってきてもらえる? 櫓さん、あとで水着あるお店教えてもらっていいですか」

「ああ、構わないよ」

「やった! じゃあ決まり! 楽しみー」


 テントサウナ。これか。竜太郎が言っていた秘密兵器はこれだったのか。話には聞いた事はあるが、龍二はまだ未体験だった。これは楽しみだ。きっと竜太郎の事だ、もちろん手配済みなのだろう。


 4人の生徒も思わぬ体験ができる事にはしゃいでいる。と、川瀬が思い出したように荷物を探り出した。


「そうだそうだ。明日のチャリ用にスポドリ作って凍らせて貰うんだった。ちょっと頼んでくる。あ、ついでもテントサウナも空いてるか聞いてくる」


 そういって、プラスチックの水筒とスポーツドリンクの粉末を取り出してラウンジを出て行った。懐かしい。学生の頃、部活前によく用意したものだ。龍二は学生時代の長い夏休みを思い返していた。


 部活に明け暮れたり、課題に苦戦したり。思わぬ出費に苦労したり。いろいろと大変な事もあったが、楽しい思い出も多い。良き日々だった。目の前ではしゃいでいる学生たちにも、ぜひ、楽しい思い出を作ってもらいたいものだ。


 明日、彼らが帰って来てこのラウンジで顔を合わせたら、その時は思い出をちょっぴり聞かせてもらおう。龍二はそんな風に考えていた。


――だが、翌日龍二たちが耳にしたのは、思いもかけない知らせだった。

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