刑事は現場へ駆けつける
翌朝、9時を回った頃、竜太郎と龍二がラウンジでコーヒーを飲んでいると、サイクルパンツ姿の三輪と川瀬が入ってきた。
「やあおはよう。準備万端みたいだね」
「はい。もうE-バイクも玄関に置いてあります」
「あとの2人はどうしてるんだい」
「千咲は着替えてます。萌衣ちゃんはもう車の中です。新車の中でクーラーをかけてのんびり音楽を聴いてたいとか」
三輪が肩を竦めると、川瀬が笑って続けた。
「アウトドアが得意なタイプじゃないんですよ。退屈しないように、好きそうな曲のリスト作って転送しておきました」
「そうなんだ。川瀬君はマメだねえ。いい事だよ」
「や、それ程でも」
2人と話しているうちに、千咲が入ってきた。膝下丈のジャージにパーカーを着て、うなじの辺りで髪の毛を留めている。
「おまたせー。川瀬さんドリンク持ちました?」
「あ、忘れてた。取って来る」
川瀬がフロントの方へと走って行く。その後ろ姿を見ながら、三輪がしみじみと口を開いた。
「千咲ってほんとオカン気質だよなあ」
「は? 君たちがだらしないだけだから! もー。あ、櫓さんに水田さん。おはようございます。水着のお店の場所、ありがとうございました。昨日の夕方に萌衣と観に行って無事買えました」
「それはよかった。今日は田貫湖までだったね。気を付けて行って来てね」
竜太郎はそう言うと龍二の顔を見た。まるで何か言わなくてはいけないような空気だ。千咲と三輪まで龍二の方を見ている。なんですかこれ義父さん。龍二は軽く咳ばらいをした。
「そうだな。安全第一、交通ルールにも気をつけてね」
それらしい事を言うと、三輪と千咲が「はーい」と声を揃えて返事をした。
「水田さんは現職の警察官なんですものね。気を付けて行ってきます」
千咲はおどけて敬礼をしてみせた。龍二と竜太郎も同じように敬礼を返し、笑い声をあげた。と、川瀬がボトルを持って帰ってきたのをきっかけに、3人は「行ってきまーす」との声と共にラウンジを出て行った。
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ほどなく、龍二と竜太郎も、駅周辺の観光スポットやお店のチェックを開始した。あれが良い、これは良くないとぐるぐると回っているうちに、あっという間に時間が過ぎる。時計を見ると、お昼を回って1時近い。
そんなに距離は歩いてはいないのだが、8月の日差しは容赦なく体力を奪っていく。少しは風があれば少しはマシだが、生憎まったくの無風だ。おかげで空には威勢よく入道雲が張り出し、そこらじゅうから蝉の大合唱が聞こえていた。
「義父さん、いったん休んでお昼にしましょう」
「そうだね。もうクタクタだよ。行きがけに通った浅間さんの横の喫茶店にかき氷があったじゃない? それいただいてから宿に戻ろうか」
「大賛成です」
2人は首尾よくかき氷にありついた。疲れもあり、天候もあり、ちょっと感動するほどおいしい。大満足して宿に帰ると、ラウンジに入って昼食を頼んだ。
「そう言えば、そろそろあの子達も帰ってくる頃ですかね」
「ああ、名古屋の。そうだね。もう先に帰ってきてるかも……おや? 龍二君、噂をすれば、というやつみたいだよ」
竜太郎の視線を追うと、千咲がTシャツにジャージの軽装で、タオルで汗を拭きながらラウンジへと入ってきた。二人に気付くと、軽く手を上げて隣の席へ座る。
「行ってきましたー。逆さ富士、凄い綺麗でした! E-バイクも快適で気持ち良かったです。ここ、いいところですねー」
「いやあ、ありがとう。って、私がお礼を言うのも変な話だけどね。そうだそうだ、お昼ご飯は買えたのかい」
「はい! 途中で窯付きの車で移動販売やってるピザ屋さん見つけて。そこで地元食材のピザっての買ってきました。あれです」
千咲の指さす先を見ると、テーブルの上に3つのピザの箱が並んでいた。その脇には、デザートらしきカップもある。
「あー、青いゾウさんのマークの。あそこのピザなら間違いないよ」
「そうですそうです。よかった。で、その店の方に使ってるチーズを作ってる工房教えてもらって、そこでデザートチーズも買ってきました」
「いいじゃないの。そういえば他の3人はどうしたんだい」
竜太郎が問うと、千咲は少しむくれて笑顔を作った。
「すぐ来ると思います。さっき帰ってきたんですけど、部屋に萌衣がいなくて。ひょっとして車で寝ちゃってるかもしれません。良くやるんですよあの子。今、三輪君と川瀬さんが呼びに行ってます。私はその間に上だけ着替えて降りてきたら、ちょうど櫓さん達に……あ、来た来た。おーい、三輪くーん、こっちこっち!」
ラウンジの入り口からは、ちょうど三輪が入ってくるところだった。だが、なんだか慌てた様子だ。心なしか顔色も悪い。
「ねー、萌衣は車に……」
「千咲、お前車のスペアキー持ってる」
三輪は千咲の言葉に被せるように鋭く言った。
「は? 無いよ。名古屋だっての」
「だよな……くそっ」
どうも様子がおかしい。龍二は席を立って三輪の肩に手をかけた。
「どうした。何かあったのか」
「水田さん、ドアが……車のドアが開かないんです」
「鍵は車内かい。つまり、キーロックしたって事か」
「はい。それで中に萌衣ちゃんが……。声をかけても返事が無くて、それで……」
龍二は竜太郎を振り返って頷いた。この炎天下の中、車内で意識が無いというのは危険だ。なんらかの事故の可能性がある。
「三輪君、駐車場に向かおう。今すぐだ」
「え、はい!」
「義父さんは千咲さんをよろしくお願いします」
「わかった。龍二君、浅間さんの鳥居の所の交番に寄ってきなさい。あそこでハンマーを借りられるはずだ」
「わかりました。三輪君、行くぞ!」
龍二は三輪の腕を取ると、ラウンジから飛び出した。
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真っ先に駐在に寄り、ざっと事情を話して緊急脱出用ハンマーを借り受け、同行を要請する。駐在の
三輪の案内で駐車場に駆け込むと、打ちっぱなしのコンクリの上に1台のステーションワゴンが停車していた。エンジンはかかったままらしく、微かにエンジン音が聞こえる。
「ああ! 三輪! それに水田さん。萌衣ちゃんが全然動かないんです」
車の窓を必死に叩いていた川瀬が顔を上げて叫ぶ。龍二は素早く4つのドア、そしてハッチバックを確認するが全てロックされている。車内を見ると、萌衣が助手席でぐったりとしている。
「竹本さん、消防に連絡を」
「はい」
「いいか2人とも。今から窓を割る。そして助手席から萌衣さんを救出できるよう少し移動させるから、離れて待機していてくれ」
三輪と川瀬の返事を待たずに、運転席側へと回って窓の端をハンマーで軽くたたく。とたんに音を立ててガラスがはじけ、防犯システムの警報音が鳴り響いた。構わずにガラスを打ち落とし、車内に手を入れロックを解除すると、滑り込むようにして乗り込んだ。冷房をかけていたらしく、車内はひんやりとしている。
「萌衣さん! 大丈夫か!」
声をかけつつ、シフトレバーをドライブに入れ、アクセルを踏む。助手席側のスペースが確保できたところで車を止め、外の2人に声をかけた。
「萌衣さんを車から出してくれ。できるだけ頭を動かさないように! 駐車場脇の木陰まで運んでくれ!」
「はい!」
三輪と川瀬は、車のドアを素早く全て開け放ち、萌衣の体を抱え上げる。龍二も内側から手伝った。ゆっくりと木陰へと寝かせ、首筋に軽く手を当てる。体温はそんなには上がっていないようだが、脈も呼吸も細い。少し危ないかもしれない。
後ろで茫然と立ち尽くしている三輪がポツリと呟いた。
「なんでこんな事に……熱中症で萌衣ちゃんが……嘘だろ……」
なぜこんな事に。龍二も同じことを思って振り返った。昨日まで、いや、今朝まであんなに楽しそうだった学生達がなぜこんな事に。
龍二は車が止まっていた場所を見つめた。そこには、打ちっぱなしのコンクリートが、何事もなかったかのように真っ白な姿で佇んでいるだけだった。
駐車場脇の木陰からは、蝉がやかましく泣き続けている。そして、カーステレオからは、この場にそぐわないゆったりとしたバラードが流れ続けていた。
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