探偵は普通に観光する

「いやあ、これは壮観ですね」


 富士山世界遺産センターは、駅から徒歩で10分もしない場所にあった。入り口には湖に映った富士、いわゆる「逆さ富士」をイメージした巨大な格子状の木組みのオブジェが待っていた。オブジェの周りは水盤になっており、そこには「逆」ではなく「順」方向となった木組みの富士が映っている。見た目に非常にインパクトがある上に、水盤に流れる水が目に涼しい。


「そうだろう。ほら、龍二君、あっちには本物も」


 竜太郎の指さす方向を見上げると、確かにそこには本物の富士山が鎮座していた。見る方角によってさまざまな顔を見せる富士だが、富士宮からの顔はとてもスマートだ。頭は三角。そこからすんなりと左右に稜線が伸び、向かって右側の稜線の途上には、ちょこんとした膨らみが見える。


「本当ですね。宝永山ほうえいざんもくっきりですね」


 静岡から見れば『女富士』、山梨から見れば『男富士』、とは良く言ったものだ。山梨側から見る角ばった力強い富士とはかなり印象が違う。富士宮から見る富士は、全体として伸びやかで、美しい。そしてなにより、大きい。龍二の住む静岡市からも富士山は見えるが、その大きさは全く違う。


 風もなく、濃い青色に染まった夏空には、背の高い入道雲がどっしり構えている。それにもかかわらず、富士は負けないどころか、むしろ入道雲を従えるかのような圧倒的な存在感で雄大な姿を晒している。こちらまで開放感を感じる程の堂々たる姿だ。見ているだけで気持ちいい。


 富士宮には何度も訪れている龍二ではあるが、それでもやはり、足を止めて眺めてしまうだけの美しさがある。


「よし、ここは採用だね。じゃあ、次行ってみようか」

「はい」


 二人がそのまま神田川かんだがわ沿いに歩いていくと、赤い大きな鳥居が見えた。富士山を祀る浅間せんげん神社の総本宮ほんぐうである、富士山本宮浅間大社ふじさんほんぐうせんげんたいしゃだ。大鳥居の脇には交番があり、龍二は心の中でお疲れ様です、と声をかけた。


「浅間さんも押さえておこうと思ってね」

「富士山頂の所有者、でしたっけ」

「そうだね。富士山の山頂は、静岡のものでも山梨のものでもなく、浅間さんの土地だからね。ここでひとまず手打ち、というわけだよ」


 そう言って竜太郎は笑った。二人は大鳥居を抜け、そのまま境内の参道を歩いて行く。参道は木々の木陰となっており、日差しが遮られている。綺麗に掃き清められた小路は涼しくて気持ちが良い。しばらく歩いていると、少し広いスペースを持つ馬場が横切っていた。桜の馬場、流鏑馬やぶさめ祭を行うコースだ。


「5月だったら流鏑馬も見られたんだけどね」

「茉祐を連れてきたのは去年でしたっけ。馬に大興奮してましたね」


 そんな事もあったね、などと話しつつ、なおも桜の馬場を越えて境内を進む。朱塗りの桜門をくぐると、そこが拝殿だ。せっかくだからと御賽銭を納めて手を叩く。夏の青い空の下に、朱塗りの拝殿、そしてその奥には拝殿よりも頭一つ高い本殿が良く映えている。二人はしばらく青と赤のコントラストを見上げていた。


「よし、龍二君、湧玉池わくたまいけの方を周って行こうか」

「はい」


 拝殿から右手に向かって門をくぐると、涌玉池が見えた。国の特別天然記念物に指定されているこの池の水源は、富士山の伏流水だ。こんこんと湧き出る泉の水は澄んでいて、底まではっきり見える。


「いやあ、今日みたいな日は、この場所は涼しくていいですねえ」

「だろう? 湧玉池の水は、1年中13℃ほどらしいよ」

「そんなに低いんですか。どうりで」


 泉の傍らまで行くと、風が無いのにも関わらずひんやりとした空気を感じる。見た目にも涼しく、実際に涼しいとはありがたいスポットだ。


「この水がそのまま流れ込んだのが、神田川になるんだよ」

「さっき歩いてきた道沿いの川ですね」

「そうだね。夏には御神火ごじんか祭りというお祭りをやるんだけど、その時には神輿を担いで神田川へと入ったりもするんだ」

「13℃の川にですか」

「うん。江美も学生の頃入ってたよ。もっとも、神輿を担ぐ側じゃなくて、上に乗る側だったけどね」

「あー、その写真、見た事あるかもしれません」


 龍二は目を細めて記憶をたどった。竜太郎の娘であり、龍二の妻である江美。その江美が昔に見せてくれたアルバムの中に、そんな写真があった気がする。髪をぎゅっと頭の後ろでお団子にまとめ、ねじり鉢巻きに法被はっぴ姿の江美が、炎を上げる篝火かがりびと共に神輿の上に担がれて、イキイキと扇子を振り上げている写真が。


 いきな姿の良い写真であったが、今思い返すと、あの頃から江美は神輿の上からきっちり目を光らせている側の人間だったのかもしれない。龍二が思わず身震いをすると、竜太郎と目が合った。恐らく、同じ事を考えていたのだろう。二人は無言で頷き合った。


「さて、と。龍二君、それじゃあ宿の方へ行ってみようか。今回はね、ここからすぐ傍のゲストハウスを予約してあるんだよ」

「ゲストハウス、ですか」

「うん。元旅館なんだけどね。最近改装した所なんだ。とはいえね、凄い秘密兵器が……ふふ、おっと。これはまだ内緒にしておこう」

「ええ? 何ですか。気になるじゃないですか」

「フフフ、後で分かるよ。だがね、ひとつだけ言っておくとね」

「はい」

「江美には内緒にしておいて欲しい秘密兵器なんだよ……」


 探偵は片眉を上げて龍二を見た。なるほど。しっかり者の江美は無駄使いには厳しい。おそらくは、の何かだろう。龍二は神妙に頷くと、黙って親指を立てて見せた。

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