探偵は犯人候補とテントに入る

「さあ、どうぞ」


 龍二が促すと、2人の学生がテント内に入ってきた。既に竜太郎はストーブに近い側のベンチの端に座っていた。それを見た三輪と川瀬は、戸惑っているようだった。無理もない。「昼間の件で相談したい事がある」と呼び出され、「ゆっくり相談するならサウナだ」と、よくわからない理由でこの場所に来ているのだ。しかし、それでも素直に並んでベンチに腰掛けた。


「2人共きてくれてありがとう。今日は大変だったね」


 竜太郎がそう声をかける龍二はベンチには座らず、用意して貰ったキャンプ用のパイプ椅子を広げてベンチ前に陣取った。何かあれば、すぐに対処できるように。


「それで櫓さん、話というのはなんでしょうか」


 川瀬が切り出すと、竜太郎が頷く。


「萌衣さんの件でね。君たちに少し確認したいんだ。というのも、ほら、龍二君は警察官だろう? いろいろと細かい事情を聴くことになるだろうけど、どうせ聴くならリラックスできるこの場で、あらかじめ聴いておきたいって事でね」

「そうなんですか。わかりました」


 竜太郎は汗を拭いて、バケツを手に取った。テント内の温度は少し低めにしてもらっていたが、それでも熱い。


「ふう、熱いね。夏の車内もかなりの温度に達するというけど」


 三輪と川瀬の体がぴくんと揺れた。無理もないだろう。


「でも、冷房を入れておけばそこまではならないよね。それに、サンシェードもかけていれば」

「はい。僕たちもそう思って油断してました。でも萌衣ちゃんは熱中症に……」

「そこなんだよ」

「え」


 竜太郎は柄杓を手に取り、石へと水を一杯かけた。ジュワアアアという音が会話を遮り、テント内にはたちまち熱い蒸気が降り注ぐ。


「熱中症。本当にそうなんだろうか。詳しくは検査待ちだけどね、私は萌衣さんは熱中症ではないんじゃないかと思っているんだ」

「そんな。じゃあなんで萌衣ちゃんは……」

「その理由を聞きたいと思って君たちを呼んだんだよ。三輪君、川瀬君。萌衣さんが乗った車に細工をしたのは、少なくとも君たちのどちらかだよね」


 三輪が腰を浮かしかける。が、目の前の龍二が身構えて手で制したのを見て、再び座った。川瀬も動揺しているようだが、それでもまだ落ち着いていた。竜太郎は2人の顔を交互に見ると、話し始めた。


「一番ひっかかった点はね、龍二君が救助に行った時の様子だ。車を止めてあった箇所のコンクリートは綺麗なままだった。そうだね」


 竜太郎の確認に龍二は頷く。確かに、萌衣を救出するためのスペースを作るために車を少し動かしたが、そこには何の痕跡も無かった。その指摘に三輪が食って掛かる。


「それがなんですか。何もないなら、怪しい事もないんじゃないんですか」

「いや、あるはずのものが無いんだよ。発見した際にはエンジンがかかりっぱなしだった。エアコンもつけっぱなしだった。だったら、なければおかしいんだよ。がね。いくら熱く熱せられたコンクリとはいえ、ストーブ上の石とは違う。濡れたら黒い跡を残していなくては、おかしいんだよ」


 そうなのだ。気温に関わらず、ガソリンを燃焼すれば酸素と水素が結合することで水が発生する。走行中であれば排気ガスと一緒に空気中に排出される事も多いが、長時間同じ位置で停車しているのであれば、地面に跡が付くほどにマフラーから流れ出るのが普通だ。現場のコンクリには、その後がまったくなかった。


 すぐにその意味を悟ったのか、三輪と川瀬は言葉が出ないようだった。竜太郎はさらに続ける。


「それが思考のスタート地点になった。なぜ、跡が無いのか。実はエンジンは切っていたのかというと、そうではない。エアコンも付けっぱなしだったようだ。すると、わざわざマフラーの下に、水滴を遮るような何かが置かれており、発見した時にはそれが取り去られていたという可能性が高い。でも、いったい、何のために」


 そこで竜太郎はいったん話を切ると、急に話題を変えた。


「君たちは工学部だったよね」

「え、はい。僕も三輪もエンジン工学ですが」

「なら車や、車で起きやすい事故にも詳しいよね。夏場で言うと、熱中症。エアコンをかけていても、直射日光は危険だ」

「ええ、まあ」

「じゃあ、冬場はどうかな」


 竜太郎の言葉に、川瀬は黙り込む。三輪も探るように竜太郎と川瀬の顔を目で追っていた。


「知っているよね。冬場は、一酸化炭素中毒だ。積雪で立ち往生した車内で、窓を閉め切ってエアコンをかけていると起きやすい事故だ」

「……知っています。知っていますが、それが何か今回の件と関係あるんですか」

「少し似ていると思わないかい? エアコンをかけっぱなしで、屋外で」


 すると、三輪が会話に割って入った。


「似てませんよ! だいたい冬の一酸化炭素中毒なんてのはエアコンが原因というよりは、マフラーから出る排気が原因じゃないですか! 雪で車体の周りが覆われて、排気を逃がす場所がなくなって車の下に溜まってしまう。それが車内へと入ってきて起きる事故です。萌衣ちゃんの車の周りには雪なんて無いじゃないですか」


 竜太郎は三輪の顔をじっと見つめて、ふっと笑った。


「さすがに詳しいね。その通り。通常時の一酸化炭素は大気と同じくらいの重さだけど、エンジンの燃焼で産まれたそれは、暖められている分だけ、上に行こうとする。立ち上る蒸気ロウリュや、サウナストーブ内の煙突効果と同じようにね。それが車体の下に溜まる事によって、上方向へと昇って行って車内に入り込んでしまうんだ。実験によると、5~10分ほどで車内が意識レベルの低下を招く濃度に達する事もある。それが事故に繋がるというわけだね」

「だから、それは雪が必要で……」

「その通り。夏場はその条件が揃わない。車の周りが空いているからだ。――でもね、埋まっていたらどうだろう。囲われていたらどうだろう。ストーブの周りを囲うテントのように。雪ではなく、他ので囲われていたとししたら」


 さらに竜太郎は畳みかける。


「そこで水の跡だ。水の跡が無かったのは、で囲われていたためなのではないか。意図的に一酸化炭素中毒を起こすための何かに。そう考えたんだ」


 三輪と川瀬は汗みずくだ。その汗の原因は、熱さのせいだけではないだろう。


「だから探すように頼んだんだよ。そのをね。付近の植え込みの中に目立たないよう隠してあったのを見つけたそうだよ。千咲さんの車と同じ車種専用の純正ボディカバーをね。しかも、そのボディカバーは濡れていた。その成分を調べれば、なにが由来の水なのかもはっきりするだろうね。そして、工作があったとすれば、それが可能なのは2人だけだ。三輪君、川瀬君、君たち以外にはいないんだよ」


 三輪は項垂うなだれて肩を落とした。だが、川瀬の方はまだ抵抗を続ける。


「でも、あの車は人気の車種です。たまたま同じ車種の……」

「川瀬先輩、もういいです。やめて下さい」

「三輪……」

「櫓さん、それに水田さん、俺が全部やりました。川瀬先輩は後から気づいただけで、俺を庇ってくれてるだけです」

「三輪! 違います。逆です。俺がやったんです」


 竜太郎はしばらく腕を組んで2人を見ていたが、やがて口を開いた。


「そうだったんだね。2人のうちのどちらかかもしれないと思っていたけど、共犯とだったんだね」

「はい」

「一度一酸化炭素中毒の工作を疑い出して見直してみると、細かい所が気になってきたんだよ。詳しい方法と、それに、理由を話してくれるかい」


 探偵がそう言うと、2人は黙って頷いた。

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