探偵は湧き水で良く冷える

 スタッフに案内されて木立ちの中を進むと、檜造りの土台を設えた一角が見えてきた。土台の上には、黒いボディのテントが設営されていた。その天井には、にょっきりと煙突が突き出ている。これか。


 土台の周辺は木々が生い茂っている。見上げた空には枝葉が天然の天井のように緩く重なっており、所々から木漏れ日が差し込んでいる。まるで、森の中の秘密の場所のようだ。龍二は胸を躍らせた。


「このテントはロシア製だそうだよ。ほら、表面が防寒着みたいな素材になってる」

「本当ですね。モコモコだ」


 いよいよテントに入る。内側はうってかわって白い素材になっている。それにしても随分と明るい。見上げてみると、天井の一部が透明な素材となっており、そのまま緑の枝葉が見えた。


 テント内の広さは大人4人がゆったりと入れるくらいだろうか。壁際には3段のひな壇を持つ木製のベンチが置いてある。まるで施設のサウナ室かのようだ。そして、銀色に輝くスチール製の薪ストーブ。先ほど見た煙突は、このストーブのものだろう。ストーブ後ろの壁面には、吸気用のメッシュ素材になっている。


 二人はならんでひな壇に腰掛けた。足元の土台やベンチのものだろうか、木の良い香りがテント内を満たしている。この香りは、ひのきだ。そして、何より、熱い。テント内であるにも関わらず、十分に熱いのだ。


「思ったより全然熱いですね。いやあ、気持ちいい」

「そうだね。予想以上だよ。ほら、あそこにかけてある温度計を見てごらん。90℃近いよ。凄いね」


 ストーブの前で薪の調整をしてくれているスタッフがにこにこと、夏場はもっと温度上げられますよ、その温度計で120℃行く事もあります。と教えてくれた。サウナ用テント、恐るべしだ。


 サウナストーブは縦長でコンパクトだ。持ち運びやすいよう、煙突や足の部分などは分解できるようになっている。さらに面白いのは、側面が2重構造になっており、外側が少しスライドして隙間が作れるようになっている点だ。この隙間が対流を産み、吸気と、そして、テント内の空気の循環にひと役買っているのだ。


 竜太郎は上着を脱ぎ、サウナハットを被った。龍二もそれに習う。サウナハットは持参してこなかったので、頭にタオルを巻いて代用とした。


 薪ストーブの上には、ごつごつとした石が並んで熱せられている。なんでも富士山の溶岩が冷えて固まった石だそうだ。「地元のものを生かしたサウナ」がコンセプトという事で、土台やベンチの木材も、燃やしている薪も全てこのあたりの物を使っているとの事だった。


「ただのテントサウナでなく『富士山サウナ』というコンセプトだそうだよ」

「そうなんですか。いいですね。というか、普通に汗かいて気持ちいいですね」


 しばらく熱さを堪能する。程よく汗をかいたところで、竜太郎がすっとベンチの端に置いてあるバケツを手に取った。バケツの中には、柄杓が入っている。竜太郎は汗まみれの顔のまま、嬉しそうにその柄杓を掴んだ。


「さあ、行くとするか龍二君」

「義父さん、それはまさか……」

「そう。このサウナはセルフロウリュができるんだよ」


 そう言うと、柄杓に汲んだ水をストーブの上の溶岩石に注いだ。たちまちジュワァァァアアっという音がテント内を満たす。いい音だ。が、音を堪能する間もなくすぐに頭上から熱波が降り注いできた。熱い。熱いが、気持ちいい。熱せられた蒸気ロウリュを浴びる熱気浴。たちまち体中に球の汗が噴き出してくる。


 音に熱。そして、仕上げは香りだ。ロウリュ用の水にはアロマオイルにより香り付けがされている事が多い。だが、この香りは少し違った。なんだろう。鼻に心地よい爽やかな香り。これは……。


「お茶ですか、これ」

「そうなんだよ。アロマ水の代わりに緑茶のロウリュなんだ」


 緑茶でロウリュとは。静岡らしい趣向だ。どこか安心するような香りに熱さを堪能していると、竜太郎がバケツを手渡してきた。


「龍二君もどうぞ」

「いいんですか。じゃあお言葉に甘えて」


 龍二は柄杓を手に取った。初めてのセルフロウリュ。なんだか少し緊張する。溶岩石の上に緑茶をかけると、一瞬、黒く染まった石がジュワアアという音を立て、たちまち元の色に戻っていく。その色の変化を見ているだけで心が躍る。そしてすぐに背中に降り注ぐ熱波。鼻腔をくすぐる香り。なんだこれは。なんなんだこれは。


「温浴施設のサウナよりも天井が近いから、ロウリュがすぐに降って来るね」

「はい。かけた途端に一気に来ますね。いやあ、それにしてもいいですね」

「うん、いいねえ」


 十分すぎる程汗をかいた二人は外に出た。テントのすぐ脇には、鏡開きに使うような日本酒の酒樽が置いてあり、そこに水が貯められている。桶を手に取り頭からバシャバシャと水を被る。と、驚くほど冷えている。龍二は思わず声を上げた。


「冷たいですねこれ!」

「フフフ。これなんだよ龍二君。この水。どこの水だと思う?」

「そう言うということは、この水も地元の何かなんですよね。……まさか」

「そう、昨日見てきた湧玉池や神田川と同じ水を使っているんだよ」


 湧玉池。神田川。富士山の伏流水由来の水であり、年間を通して14℃ほどに保たれている清流。14℃! 冷たいはずだ。


「そして水風呂ももちろん」


 竜太郎は酒樽の横のビニールプールに目をやった。龍二は思わずごくりと喉を鳴らす。ビニールプールに並々と湛えられている水。これも湧き水由来の水だとしたら。竜太郎と目が合うとニヤリと笑って頷く。そして、すっと手を向けて、水風呂に入るように促した。


「お先にいただきます」


 龍二は一気に肩まで浸かった。思わず声が出る。冷たい。冷たいが気持ちいい。真夏の暑さが問題にならないほどの爽快さだ。いつの間にか隣に浸かっている竜太郎も気持ちよさそうに目を閉じている。


「なんですかこれ」

「フフフ。最高。いや、最の高だろ?」

「はい」


 存分に冷えた二人はプールから上がり、すぐ傍のリクライニングチェアに深く腰掛けた。ゆったりとしたチェアは、ほぼ寝そべるくらいまでリクライニングが可能となっている。ヘッドレストに頭を預けて目を閉じれば、まるで無重力の中で横たわっているかのようだ。気持ちいい。ただただ気持ちいい。


 のどの辺りから、額の方へ向かって、すっと何かが抜けていくような感覚。ああ、すっかりととのった。龍二が目を開けると、頭上には夏の木々の重なり合う枝葉と木漏れ日が。


「まるで森林浴みたいですね」

「本当だね。いやあ、すごいねサウナ用テント」

「まったくです。予想以上でした」

 

 テントに目を向けると、煙突の先の空気がゆらゆらと揺れている。


「煙がモクモク出る、というわけではないんですね」

「薪の燃やし方にもよるんじゃないのかな。完全燃焼しているときは、かえって煙は出ないものだよ」

「なるほど。薪ストーブとはいえ、物を燃やしてるんですものね」

「そうだね。それに、煙突を出しておけばいわゆる『煙突効果』で効率よく吸気と排気の循環もできるしね。まあ、仕組みはともかく、凄いねえ」


 龍二は寝そべったまま深く頷いた。こぢんまりとしたテントとはいえ、セルフロウリュができるサウナ。14℃の天然水の水風呂。森林浴まで堪能できるリクライニングチェア。


 そして、その3つの工程が、ひとつの敷地内にコンパクトに収まっているというこのパッケージ。温浴施設では水風呂に行くまでや、休憩に行くまで、そこそこ移動距離があるのが普通だが、ここではまったくない。2歩だとか3歩のレベルだ。やりたい事がすぐにできる。まさにサウナのためだけのスペース。


 さらに、貸し切りという贅沢さ。サウナ好きの間では「一番良いサウナは、空いているサウナ」という言葉があるが、貸し切りであれば間違いが無い。あるのはサウナと、自然と、自分たちだけ。贅沢だ。身近にこんな施設があったとは。


「龍二君、どうやらわかってきたようだね」

「はい。義父さんがこのゲストハウスを選んだ理由が分かりましたよ」

「そうではなく、今回の件だよ」


 そして、竜太郎は高らかに宣言した。


「ととのいました」


 探偵・櫓竜太郎は、普段はただの冷え性のお爺ちゃんだが、サウナで暖まり、水風呂で冷え、椅子で休憩する事により心身をととのえるのだ。そうして活性化された脳は現役時代の鋭さを取り戻し、瞳には、かつて龍二が憧れた光が復活するのだ。


「義父さん、わかったんですか」

「ああ。すべての謎の答えは、サウナが教えてくれる」

「サ……サウナが? とにかく、今回の件の謎がわかったんですね」


「そうだ。それはそれとして」

「はい」


 探偵はリクライニングを元に戻すと、サウナハットを被りなおした。


「まずはもう2セット堪能しよう」

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