第25話
青い空が、視界に広がっている。雲は無い。ただ遠く、高く、青が広がっている。
身体は地に落ちている。折れた木々が、背の下敷きになっている。土埃が薄く空気に混ざっている。
ここがどこかはわからない。現在地点を観測する器官はすでに無い。機体を取り囲むのが杉の林であることから、かろうじてあのダム湖から遠く離れたわけではないとわかる。
中天で輝く太陽は眩しく、コモを、リューイを焼いた光を思わせた。
黒い影が差す。優美な棘を広げた、美しい生き物を思わせる姿。
それは終わりに似た色をした機竜だった。
コモはリューイの視界でそれを見ている。空を、光を、影を。
コモはリューイの肌で感じている。ゆるく吹く風を、舞い落ちる土埃を、背中に敷いた杉の葉を。
僅かな身じろぎ。リューイは殆どの機能を失った身体を、動かしている。変化させようとしている。リューイは、まだ動ける。砲塔であり主感覚器官である首を失い、棘の六割を失ってはいる。それでもまだ、僅かにだが、動ける。
戦える。コモは頷く。感じ取ったリューイの行動に、自分の意志を重ねる。
戦える。飛ぶことはできずとも、黒の機竜が近くに来れば。残った棘で刺し貫くことくらいはできる。
戦える。コモを誘拐しに来たような男たちが来ようとも、棘を振り回せばなぎ倒せる。
それから、それから。
「えっ、?」
暗転。見えていたはずの光景が。感じていたはずの肌感覚が。唐突に途切れた。
思考の海に沈み込んでいたコモは、目を見開いた。自身の目を。
コモの目は暗闇を見ている。空はない。地面も、杉も。黒の機竜も。
コモはなにもしていない。『繋がり』が途切れるような行動も、思考もしていない。過ぎた苦痛も無い。ならば原因は、リューイの側にある。
「リューイ? どうしたの?」
触れる。傍らの壁に。手触りの良い陶器のような、柔らかな人肌に似た冷たい感触に。リューイの『内側』に。
コモの呼吸、それから鼓動。それくらいしか音の無い世界に、唐突に軽快なメロディが流れた。それはコモの携帯端末がメッセージの着信を知らせるものだ。
狭い空間の中、コモは苦労してスカートのポケットをまさぐった。
ぽつり、と灯る光。
闇の中、浮かび上がる画面には、メッセージアプリが表示されている。
『またね コモ』
差出人の欄に書かれているのは、登録したばかりの名前だ。
「リューイ」
ぐらり、と世界が揺れる。コモは短い悲鳴を上げる。
浮遊感。次いで短い落下。そして衝撃。コモは尻をうち、呻く。
なに。呟く。リューイと『繋がって』いないコモには、自分に、リューイになにが起こっているのかわからない。
まぶしい。コモは目を細めている。まぶしい?
細い光がコモを差していた。黎明のきらめきに似た光源は、頭上にある。コモがもたげた視線の先。僅か数センチ先の天井に、細かなヒビがあった。光はそこから漏れている。
ヒビ。そして光。リューイの『中』に?
触れる。コモは細い指先を伸ばし、僅かに。
「わっ」
たったそれだけでヒビは瞬く間に広がった。細かに枝分かれし、やがてぱらりと『天井』が剥がれ落ち。降り注ぐ光がもはや黎明を越えて溢れ出す。
世界が割れる。
土埃の空気をコモは吸った。生木の青い匂いを嗅いだ。ゆるく吹く風を感じた。
コモは杉林の中にいる。膝を崩した格好で地面に座り込み、胸に携帯端末を抱いている。
見上げた空に、雲はない。
周囲には杉の木が幾本も倒れている。細いものから、太いものまで。まるでなにか巨大なものに押しつぶされたように、コモの座り込んだ周りには、ぽっかりと空間が出来ている。
コモの膝の上や、辺りには、白い破片が散らばっていた。薄い陶器の欠片のような、卵の殻のような切片が。
「リューイ?」
呼びかける。応えは無い。
代わりに、コモの傍らでもぞりと動くものがあった。それは白く、手触りの良さそうな色をした固まりだ。子どもがめちゃくちゃに丸めた粘土のような、白い物体。内側に何かを内包するように、それは蠢いている。何らかの意志を感じさせる動き。それは瞬く間に姿を変える。
優美な棘を持つ姿へ。
風が巻き起こる。コモよりも小さな機竜が飛び立つ風だ。
「待って!」
言葉は届いていたのだろうか。
小さな機竜は瞬く間に加速する。その身軽さを見せつけるように。
加速する。流星のように。しかし落ちるのではなく、青い空に上っていく。飛行機雲のような軌跡。
加速して、加速して。
消えた。
黒の機竜の放った光によって。跡形もなく。
コモはただ、それを見ていた。自分の目を見開いて。地面に座り込んだまま。青い匂いの風に吹かれたまま。
中空に差し伸べた手は、取られることを望んでいたのだろうか。それとも、触れることをのぞんでいたのだろうか。
コモにはわからない。
コモはただ、空を見ている。残像のような機竜が飛び去った後も。
「お嬢ちゃん! 無事だったか!」
少年のような気配を残した男が現れてからもずっと。
コモはただ空を見ていた。
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