第23話

 頭部に絡みつく黒の棘。食い込む程の強さで自身を戒めるそれを、引き剥がすために伸ばしていた棘を引き戻す。本数は四。黒の機竜に打ち込んだ棘はそのまま。

 四つの棘は細く長く伸ばしていた。食い込む黒の棘の下に潜り込ませ、少しずつでも隙間を広げられればと思っていた。その棘を今度は纏める。らせんを描くように編み込み、個々の境目を溶かし、太い一つの棘へ。長さはそれほど必要無い。太く、ではなく薄く成形し、鋭利な見目に。

 包丁。コモが想起したのはそれだ。危ないから、という理由で触らせてもらえない刃物。コモはミチコさんが魚の頭を切り落とし、内臓を引っ張り出している光景を思い出す。夕暮れの台所。もはやコモのいる場所から遥か遠くにある。

 一閃。

 それは雷の光に似ている。光った、と思った時には既に光は無く、遠く雷鳴だけが響いている。瞼の裏に白く残る残滓だけが、雷の存在を証明している。

 コモに今残されたのは、幻の痛みだけだ。

「う、ッ」

 呻く。コモには無いはずの口元。犬のように長い口吻、その先を切り落とされた感覚は、生々しくコモに届けられている。リューイには無いはずの血が、熱く垂れ落ちている感覚すらある。

 呼吸のたび、切り口を晒した鼻孔から、血の泡が膨らむ。粘度の高い血で出来た泡は、吐く息でゆっくりと膨らみ、割れる。どろりと濃く湿った、鉄さびの匂い。鼻の奥いっぱいに広がる匂いは、コモの頭蓋を赤く染め上げる。痛みは遠い。今はまだ、深く痺れるような衝撃の余波だけが口元に残っている。それがいずれ、拍動と連なった痛みとなることを、コモは経験で知っている。擦りむいた膝の、何十倍の痛みかは、未知数だが。

 その全てが幻覚だ。

 切り落とされたのはリューイであり、切り落としたのもリューイである。痛みも、機竜であるリューイにはただの数値でしかない。コモには関係の無いことだ。

 だがそれは今、コモだ。

「ッッッ!」

 顔の皮を剥いだのも。

 顔面、そして頭部を成形する筋肉。表情を形作っていると思われる、その上に一枚乗せられた皮膚。頭蓋骨の上に乗っている、それら。

 例えるのならば、チーズトーストの上から溶けたチーズだけを落としてしまった瞬間。例えるならば、山の地すべり。

 ずるり、と。コモの顔と頭の皮が剥がれ落ちた。

「ぐ、うううううッッッ」

 悲鳴を噛み殺す。痛みは、未だ遠い。あるのは顔の、顔の骨の上を重く湿ったものが、ずるりと滑り落ちていった感触だけだ。ぞっとするような空隙が、コモの顔、頭の表面を撫でる。むき出しになった骨の上を。

 棘を成形し作り上げた刃。その一太刀でコモは(リューイは)自身の口先を切り落とした。黒の棘が突き刺さり、開くことが叶わない口を。

 頭部を、機竜を形成する物質。可塑性が高く硬質化、軟質化の容易なそれを、一時的に溶かし絡みついた棘ごと削ぎ落とした。

 棘と同様、機竜は欠損した部位を他の部位から融通した物質で作り直すことができる。これは機竜最大の強みだ。どれだけ攻撃を受けようとも、ある程度までは整備の必要なく自律して行動できる、

 切り落とした口先、砲口でもあるそれを瞬時に作り直す。戒めごと落ちた分、一回り小さくなる。それを加味し、口径を縮め。

 黒の機竜に狙いを定める。

 熱。コモの胸に、喉に灯る温度は高い。

 身体全てが焼け落ちてしまいそうなほどの熱。

「あああああああああぁぁぁぁッ」

 咆哮。リューイには無い声帯をコモは震わせる。叫びは怒りであり、生存への欲求であり、前へ進む意志であった。

 ぶつける。眼の前の、闇色に。

 光が爆ぜた。

 コモは見ていた。瞼も、眼球すらない機竜の視界で。

 目が潰れそうな程の光。それはリューイ『だけ』が放ったものではなかった。

 白く世界を塗りつぶす、強い光の中。人には、いやおよそ生き物にはありえない角度に折れ曲がった首。漆黒の顔(かんばせ)。リューイを、コモを見据えるその顔は、四つに裂け開いていた。

 花開く百合を思わせる開口。

 光は、夜よりもなお深く暗い色の口腔からも放たれていた。

 強い光だ。その漆黒の機体に、これほどの明かりが秘められていたとは、誰にも予測できないだろう。

 それは光で、熱で、エネルギーだ。機竜が、自身の肉体を(機体を)削り放つ、一撃必殺の武器。

 ぶつかり合う力は、より強い方が勝つ。それが摂理だ。

 リューイの機体は、黒の機竜との交戦で削られていた。物理的にも、熱量的にも。

 そこから更に頭を切り落とし、表層を剥ぎ落とした。

 リューイの光弾は、限界の極みの中放たれたものだった。

 では黒の機竜は。

 溶ける。ぶつかり合う光が、力が。熱が。互いに喰らい、削り、消し合う。

 途切れたのはリューイの光だ。もう既に、残されたエネルギーは機体を維持するだけで精一杯のところにまで来ている。それはコモにも感じられている。膝が抜け、崩れ落ちる感覚。

 押し寄せる熱は、コモの視界を白く、白く塗りつぶす。

 光弾を相殺してなお威力を失わない黒の機竜の光は、そのままリューイの機体に襲いかかる。

 焼ける。

 光弾を放った口、砲口が焼け落ちる。

 熱を灯し、通した首が焼け落ちる。

 必中させるために、黒の機竜へ打ち込んでいた棘が焼ける。直撃ではなく、余波で溶け崩れ、流れる。

 熱された空気が歪む。空気中に含まれていた水分が消える。風が巻き起こる。

 コモの顔が、焼け落ちる。


「―――――――――――――――――――――――――――――――ッッッ!!!!」


 絶叫。

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