第21話

 コモは、落下の衝撃を和らげるように身を丸めたまま、暗闇に収まっている。既に落下の浮遊感は無い。それでも身を丸めたままだ。

 それはひとえに、空間の余裕が無いせいであった。

「ごめん、コモ」

 ううん。コモは暗闇の中、首を振る。再会、それと同時にリューイと『繋がった』ことで、コモはリューイの状態を察知していた。

 状況は、芳しくない。

 まずリューイの機体は、コモと別れた時の七割程度の大きさしか残されていない。消失した三割は、黒の機竜との交戦でエネルギーとして消費され、また物理的に削ぎ取られた。機竜の特性上、行動は可能であるし失った機能は無い。だがコモの収まる空間が、コモひとりを収めるので精一杯であることからもわかるように、今のリューイに余裕は無い。

 黒の機竜は手練である。リューイの感じ取った情報を、コモは共有する。

 勝てる見込みは、薄い。

 それでも。

「戦おう。リューイ」

 そのために、コモはここまで来たのだ。

 コモは『目を開く』。

 今までの視界とは違う、前方だけではなく背後にまで広がる視界。リューイの見る世界をコモは見る。

 空は青く澄み渡っていた。雲は大きく丸く、点々と転がっている。柔らかなその形に、コモはいつか触れてみたいと思っている。

 眼下に流れる河は広い。そう、コモはその流れを河だと認識していた。

 広い視界を得た今冷静に見回してみれば、自身が見ていたのは湖の一部分に過ぎなかった。

 コモは知る。周囲に広がる流れは広大で、河と呼ぶには複雑な形をしている。遠くに巨大な水門が見えた。

 コモとリューイが辿りついたのは、人の手が作り上げた人工の湖。ダム湖であった。

 人工の湖の上で対峙する、人造の生命。黒と白の機影は、青い風の中浮かんでいる。羽ばたきも、エンジン音も無く。

 その内にそれぞれの思惑を秘めて。

 黒の機竜が威嚇するように棘を広げた。離れていても、リューイの優秀な感覚はぶつかり合う棘が立てる音を拾っていた。コモはリューイの感覚に乗り、美しいが未調律の楽器が奏でる音楽のようなその音を聞いている。陽炎のように揺らめくその棘に、漆黒と見紛うほど濃いブルーのラインが引かれていることに、コモはその時初めて気がついた。

 リューイは器用にその場で転回し、黒の機竜に背を向けた。棘を寝かせ、加速。眼下の景色が高速で流れ始める。

 コモはリューイの行動に反対しない。

 このままリューイが黒の機竜と交戦を続ければ、近いうちにエネルギーが枯渇し行動不能に陥る。コモと合流した今、使用できるようになった光弾を無駄に使ってもそうだ。それでは何の意味もない。

 黒の機竜は、リューイが背を向けた今、リューイがこのまま逃げ続けると判断するだろう。搭乗者を回収したリューイに、無理な戦闘を続ける理由は無い。

そこが狙い目だ。勝つために、生き延びるためにまず隙を伺わなければ。

 加速する最中、コモは背後を見ていた。対峙していた黒の機竜を。黒の機竜もまた、広げていた棘を寝かせ加速姿勢に入る。

「速ッ」

 コモは驚愕する。先に加速したのはリューイの方である。それであるのに、コモの視界の中、黒の機影は遠ざかることなく、むしろぐんぐんと近付いて来ている。獲物を追う猟犬のように、忠実な追跡。

「速いね」間延びした感想。リューイの『声』はいつもと変わりなくコモへ届いている。

 感想を交わし合う間に、黒い機影はすぐそこまで来ていた。今に棘を伸ばせば届く距離へ入り、恐らく黒の機竜はリューイを捕まえにかかるだろう。

 だからリューイは棘を広げる。目いっぱいに、加速する最中巻き起こる風を捕まえるために。棘は風を掴み、それはリューイの身体を引き止める。

 同時、急制動。加速を止めるだけではない。その場で停止するために、後ろ方向への加速も含めた制動を行う。

 慣性がリューイの、コモの身体を軋ませる。数度の交戦で削られた身体が、ちぎれそうなほどの勢い。

 コモはリューイの感覚に同期したまま、自分の身体を強く抱いた。リューイの『中』で身を丸めるコモは、慣性の巻き起こす衝撃に耐える。

 黒の機竜は瞬く間にコモが同調するリューイの視界いっぱいに接近する。棘の射程距離の限界を超え、噛み付ける程の距離にまで入りそうだ。このままでは衝突する。

 動いたのは、黒の機竜の方だった。機首を下げ、リューイの下をくぐり抜けるようにして衝突を避ける。黒い棘が空を切る音を、コモは聞いていた。

 すれ違う瞬間。リューイは既に次の動作に入っている。いっぱいに広げエアブレーキとしていた棘を引き戻し、斜め下方向へ突き出す。黒の機竜、その後部へと向けて。

 ぱ、と赤い花が散った。それは金属同士が噛み合う刹那に生まれる、小さな火。火花だ。美しい小さな花を生み出した攻撃は、耳障りな音を伴っていた。醜悪な獣の断末魔に似た、高く歪んだ音。

 コモはリューイの手触りを共有している。棘は確かに黒の機竜に突き刺さっている。しかし浅い。機体をえぐり取るほどではない。だが十分だ。刺さらなかった棘は、黒い棘に絡める。

 ぐん、と、先程の急停止とは逆方向の力がコモの身体に掛かった。リューイの『中』で振り回されるコモは、身体を丸めたまま力の流れに翻弄される。リューイの『中』の狭さが幸いして、頭や腰を強くぶつけたりすることはなかった。コモは小さな空間で揺られながら、リューイの感覚と同期し続ける。

 黒の機竜はリューイの思惑に気付いたのだろうか。緩めるかと思われた黒の機竜の加速は、更に勢いを増した。突き刺さったリューイの棘が、軋みを上げる。棘が抜けぬように、リューイは棘の先端を変化させる。鋭く尖った先端に、銛のような返しを作り上げる。

 加速を続ける黒の機竜は、鋭角に方向転換する。黒の機竜にぶら下がるような格好になるリューイは振り回され、『中』のコモもまた加速と遠心力に振り回されることになる。

 リューイの『中』で壁に肩をぶつけ、コモは呻く。だが、悲鳴を上げたりはしない。

 リューイの思惑を誰よりも理解しているからだ。

 黒の機竜の加速が弱まる。機体のバランスが崩れたのだ。リューイを振り回すということは、振り切れなければその慣性や衝撃の影響を少なからず黒の機竜も受けるということだ。反動が黒の機竜の姿勢を崩した。

 リューイは棘の伸縮を利用し、一気に黒の機竜との距離を詰める。後部、漆黒の棘が密集する機体が接近する。

 外すことは許されない。リューイは接近と同時、また別の棘を黒の機竜に打ち込んでいる。確かな手応え。

「いくよ」

 口を開く。コモも同調している。胸が、喉が燃える。

 光弾を放つ。

 その刹那、視界に広がる黒の棘が、展開した。

 引き裂くように開いたリューイの口腔に、漆黒の槍が突き刺さる。同時、幾本も伸ばされたそれはリューイの口に巻き付く。そこから放たれる光弾を、封じる。

 痛み。鋭い感覚がコモを襲った。リューイと同期するコモには、自身の口に棘が刺さる感覚がある。しかしコモはひるまない。一度目の戦いでもそうだった。痛みを得ることは、覚悟していた。

「リューイ! このまま撃てない?」

「だめ、暴発する。最悪頭だけが壊れてあっちにダメージが通らない」

 むう、とコモは唇を尖らせる。その口元には未だ鋭い痛みが残っているが、コモは意識から遠ざける。

『やめろ』『子どもだ』

 戸惑いは、流れ込んできた言葉から生まれた。

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