第14話

「ぼくらを探す人たちの声を、こっそり聞いているから」

「聞こえるの?」

 コモは率直な疑問を口にする。納得したふりはしない。

「暗号化されてるから、詳しくはわからないけど。どのくらいの頻度で、誰に連絡してるのかはわかる」

「……んん?」

 話の内容がわからないのに、どうして探す相談だとわかるのだろうか。コモは更に深く首をひねる。

 リューイを追う研究所が、あちらこちらと連絡を取っているとしても。もしかしたら、それはリューイのことはもう諦めよう、という相談なのかも知れない。もしかしたら、研究所の中の人が家族に晩御飯の相談をしているだけなのかも知れない。なぜ、リューイはまだ危機は去っていないと思うのだろうか。

「聞いてみる?」

「んえ?」

 首をひねる方向にこてりと転がってしまいそうな格好のまま、コモは天井を、リューイを見上げる。聞いてみる、とは何を?

 疑問を差し向ける暇は無かった。

 ざわり、とコモの背中が総毛立つ。キャミソールの薄い生地一枚に覆われた、細い背が。

 聞こえる、とコモは思った。思ってから即座に、聞こえているのではない、と思い直す。それは『繋がっている』時のリューイの声と似た響きでコモに届けられていた。耳で直接聞くのではない、鼓膜を通さず届けられる『意味』。

 それは物音だ。木製の引き戸一枚を隔てた向こう、幾人もの生徒が椅子を引き、机の中を探り教科書を出す、休み時間と授業時間の合間に聞こえる物音の連なり。それに酷似している。

 否。コモは自身の思考を否定する。それは声にも聞こえる。休み時間、給食時間、放課後。そういった自由な会話の許された時間に、コモを取り囲む幾つもの言葉のやり取り。一つひとつが重なり、群がり、もはや意味を汲み取ることの難しい、会話の渦。

 否。再びの否定。コモはその両方だと察する。コモの耳に擬似的に届けられるそれは、物音であり意味を成す音の連続であった。

「これがそう?」

「そう。研究所の中と、外に向けられた通信の一部。」

 リューイの声は、擬似的な音の渦に紛れぼやけて聞こえた。

 コモは意識を研ぎ澄ませる。集中して、言葉を、音を理解しようと努める。

 しかしそれは徒労に終わった。教室でなら、自分に向けられていない会話も集中すれば聞き取れた。ときには聞きたくないと思っても聞こえてしまうくらいだったのに。

 聞こえてくる音は、コモには聞いたことの無い不可思議な音に聞こえた。金属が擦れ合うようにも、木々が風に軋むようにも聞こえる。結局のところ、それが何から発せられているのか、見当もつかない。

 聞こえてくる声は、コモには聞いたことの無い言葉に聞こえた。抑揚は確かにコモの知る言葉に似ているのだが、単語のひとつすら聞き取れない。一度だけ聞いたことのある、お経のようにも聞こえる。ただの唸り声だと言われても、納得できてしまうほどだ。

「んんんー」

「コモにはうるさかったかな」

 ごめんね、とリューイが謝罪すると同時、その音はぷっつりと途絶えた。知らず眉を寄せ、耳を押さえていたコモは、ぱっと天井を見上げる。

「全然何言ってるか、わかんないね!」

「うんそう。ぼくにも全然」

「これ、リューイはずっと聞いてるの?」

「うん」

 うへえ、とコモは舌を出す。そんなことやめちゃいなよ、と言いかけ、それが必要なことであると思い出す。

「大変だね」

「そうでもないよ。ぼくにはフユカイとかわからないし」

「うーん、でも、ありがと」

「どういたしまして」

 コモはつるりとしたリューイの顔を、無性に撫でてやりたくなった。が、今は空を飛んでいる最中で、コモがそうする為には一度安全な場所に降りる必要がある。

 そうであるので、コモは傍らの壁をそっと撫でた。手触りは、リューイの表情の無い顔と同じ手触りだ。これもリューイの一部である。

 それでもコモは、明日にでもリューイの『中』から出た暁には、リューイの顔を撫でようと心に決めた。

「今の音が、リューイを探してる相談なの?」

「おそらくは。研究所の中では、こんなに頻繁に警備部門と研究部門が連絡を取り合うことなんて無いし、外にも連絡は殆どしない」

 それに。リューイは続ける言葉を一度切る。

「コモの街と、たくさん連絡を取っている」

「あたしの街と?」

 コモの脳裏にまず浮かんだのは、おじいちゃんの存在であった。それから、コモに関心を寄せない学校の教師たち。そして、遠巻きにコモを眺める街の大人。

 彼らが、リューイを追うたちと結託して、リューイを捕らえる算段を立てている?

 何のために。それはもちろん、コモを街に連れ戻すためだろう。主導しているのは、コモのおじいちゃんだ。

 コモは意識の外に追いやっていた、ランドセルとその底に押し込めた携帯端末を思い出す。お昼に見た時には、不在着信は一件だけだった携帯端末。今、その件数がいくつにまで増えているのか、コモは確認していない。忘れたふりをして、必死に思い出さないようにしていた。見れば、すぐにでも街に連れ戻されてしまう気がしていた。せっかく抜け出せた、あの街へ。

 目に見えない檻に覆われた、コモの街。

「たぶん、街へ調査に入った研究員に調べさせたことを報告させてるんだよ。コモの街の人は関係無い」

 コモの不安を読み取ったかのように、リューイは続けた。

「ぼくのことは、誰にも知られたくないことだから。街の人には、何か適当に言ってるんじゃないかな? 自衛隊の無人機が落ちたとか」

「そうかな……?」

「うん。ぼくら機竜のことは、まだ誰にも知られちゃいけないことだから」

「あたしにも?」

「うんそう。だからぼくのことは、誰にも言っちゃだめだよ?」

 今更のように神妙な声音で告げるリューイへ、コモは思わず笑みをこぼす。

「フェイスブックにも書いちゃだめ?」

「だめだめ。写真ももちろん撮っちゃだめだよ?」

「えー? 一緒に写真撮って、太平洋なう! ってやりたかったのに」

「だめー」

 溢れるままに、コモは肩を震わせ笑った。連れ戻される、という不安はとうに消えていた。

 不在着信のことも、海を見ながら感じていた閉塞感のことも、笑う間は思い出さなかった。

「これから想定される自体なんだけど」

「うん」

「まず確実に、もう一度機竜と戦うことになると思う」

 うん。コモは力強く頷く。

 戦う。その言葉と共に、あの高揚感が思い出される。リューイと繋がり、空を駆け、敵を焼いたあの時。

「問題はどの機竜が来るか、だ」

「何が来たって、問題ないよ」

 あたしとリューイなら。コモは言外に力強く思いを込める。

「うん。でも一応、きちんと伝えておこうと思って」

 コモは足の間に落としていた尻を足の裏に乗せる。背を伸ばし、腿の上に手を揃える。キャミソールにショーツ一枚の下着だけという姿ではあるが、居住まいを正す。

「自律飛行型戦闘機、機竜はぼくであるイ号機の他に、ロ号機、ハ号機、構築は途中だけど二号機がいる。

 ロ号機はぼくよりもあまり成績が良くなかったから、ぼくよりも先に運用は停止されてる。ハ号機は」

「あたし達で倒した」

「その通り。では次に来ることが予想される機竜は?」

「ええと、ロ号機は止まってて、ハ号機は倒して」

 細い腕を組み、ううん、とコモは唸る。

「だから、フアンなんだ」

 不安。そう言いながらも、リューイの声音は全くその色をにじませていない。

「不安なの?」

「うん。一番可能性が高いのは、二号機を突貫運用すること」

「トッカン?」

「突貫。急いで、無理矢理動かすこと」

「できるの?」

「一応は。でもぼくらの経験の蓄積があっても本体の経験はほとんどない機竜だ。搭乗者も定まっていないなら、連携の乱れは必ずある。その隙を突けば」

「楽勝じゃん」

「油断は禁物だよ」

 それに、とリューイは続ける。コモは組んでいた腕を解き、再び膝の上に置いた。

「ロ号機の運用は停止されているけれど、機体はまだ手を加えられてはいない。だからバックアップファイルからサルベージして、再起動するかも」

「ちょっとまってリューイ」

 はい。と高く手を掲げ、コモは授業時間にもやったことの無い挙手を行っている。

 なあに、とリューイは柔らかく先を促す。

「ええと、まずリューイの停止って、どういう風なの?」

「どんな風、って言って良いのか、ぼくも経験したことがないから憶測でしかないんだけど」

 前置き、一拍。

「身体はそのままあるんだけど、意識だけが消えてしまっていること、かな。コモの場合、ずっと眠ってしまって起きられない、みたいな感じかも」

「ずっと……夢を見てるの?」

「ううん。意識がないから、夢も見られない。消えてしまっている状態、かな」

 夢も見られず、眠り続ける。コモはそれを経験したことはない。

 明けることことのない夜に落ちてゆく。想像したコモは、小さく背を震わせる。

「再起動、は?」

「再起動はねえ、うーんコモがもう一人いる、という感じかなぁ」

「あたしがもう一人?」

「うん。ぼくらは、定期的にぼくらの『記憶』をコピーして保存しておくんだ。他の機竜が参照したり、ぼくが破損した時に途中からやり直したりできるようにね」

「日記みたいな?」

「日記……うん。まあそんな感じかな。

 とは言っても、ぼくは今スタンドアロンだからやってないんだけどね」

 コモはリューイが雰囲気だけで肩を竦めるのを感じ取った。

「で、再起動は何らかの理由で消えてしまった機竜の『中身』を、そのコピーを移植することでまかなうこと」

「思い出せない日のことを、日記を読んで思い出す。みたいな?」

「というよりは、コモじゃないもうひとりのコモが、今のコモになるために日記を読んで、コモになる。ということかな」

「あたしじゃないあたし?」

 あたしはあたしなのに、あたしじゃないあたしがいる? それはあたしなのにあたしじゃないの?

 両の頬を押さえるコモが、床を見たまま固まっているのを見取ってか。

「この話、やめよっか」

 リューイの声音はあくまでも優しい。

「ちょっとまって……」

 コモは自身の頭が発熱しているような気がしている。悲鳴を上げそうになりながらも、しかしコモは思考を回す。

「ここにいるあたし、じゃないあたし、がもう一人いるのね」

「うん、例えて言うとね」

「そのあたしは、あたしのコピーだから、あたし自身じゃない」

「うん」

「で、なにかがあって、あたしが居なくなっちゃった時に、もう一人のあたしが、あたしの代わりにあたしになる。それが『再起動する』こと」

「うん、そう」

 はあ、とコモは大きく息を吐いた。同時、こわばっていた肩を落とす。口に出して思考して、ようやっとリューイの言っていることがわかった。今まで生きてきた中で、一番頭を働かせた。そうコモは確信している。

「それでその、あたしの代わりにあたしになるあたしが、日記を読んでちゃんとあたしになるのね!」

「そうそう。そういうこと」

 回りくどい。コモはリューイにではなく、自身の膝に呟いた。

「でもそれ、あたしじゃないよね」


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