第8話
夢を見ている。
夢の中のコモは、小学四年生であり、機竜であった。
コモは髪を桃色に染めた日、教師に咎められた。
コモは初めて人を搭乗させた時、パイロットに褒められた。
コモを咎めた教師は、コモを想って声を荒げた。
コモを褒めたパイロットは、コモを利用する為にお世辞を言っていた。
教師は、飛行テスト後深刻な脳障害を負い、退職した。
パイロットは、夏が来る直前に転勤した。
どちらのことも、コモは好きだった。たぶん。
「ん、わ」
びく、とコモは肩を震わせた。目覚めの瞬間、自分がどこにいるのか思い出せなかったのだ。
コモは膝を抱えるようにして丸くなっていた。眠る時の、いつもの姿勢だ。二年前まで飼っていた猫の真似。そうすると、よく眠れた。
仰向きながら手足を延ばす。手は壁に、つま先は足元に脱ぎ捨てたスニーカーにぶつかる。
周囲は暗く、狭い。
でも寒くはない。毛布も無いのに、ふしぎ。コモは上体を起こす。同時、周囲がふわりと明るくなる。
「起きた?」
「起きた!」
声は耳から聞こえていた。今のコモは、リューイの感覚から遠ざかっている。見えるのは小部屋を形作る滑らかな壁だけだ。モニターは暗く沈黙している。聞こえるのは、自分の鼓動と呼吸の音。空気は無臭だ。
「リューイ、今何時?」
「午前九時三十八分」
機竜ハ号との交戦から約二時間。コモは未だリューイの『中』にいる。
太平洋が見たいコモの願いとは裏腹に、リューイは今山間(やまあい)を飛んでいる。生い茂る木々の真上を這うように、低い位置を取りながら。
「海上は何もないから、すぐ見つかってしまう」
海は、とねだるコモへリューイはそう答えていた。
機竜ハ号が撃墜された事実は、ハ号からの連絡が途絶えたことでいずれ研究所に知れる。そうすれば、また別の機竜か戦闘機かが来るだろう。
コモは何が来ようが負ける気がしていない。なんだって、倒して食べてやる。それはリューイにも十分伝わっていたはずだ。
が、リューイは戦わずに済むのならばそれが一番安全だ。とコモをなだめた。コモは戦闘後の高揚のまま、しばしリューイへ戦闘意欲をアピールしていた。
リューイは粘り強かった。
結局、コモは落ち着きを取り戻し、しばらく隠れながら移動して、追手がリューイを捕まえることを諦めるのを待つ。そういうことにした。
「電話……」
足元に脱ぎ捨てた靴下とスニーカー、その二つを履きながら、コモは視線を彷徨わせる。
白いスニーカーの隣、隅に追いやられるようにしてコモのランドセルはあった。
消えたと思っていたコモのランドセルは、リューイの中、コモとは別の場所に収納されていた。コモはそれにリューイと『繋がって』気付き、戦闘後自分の下に『移動させた』。うたた寝に落ちる直前のことだ。トレーナーを着たまま、中に着ているTシャツの前後をひっくり返すような感覚だった。
ランドセルの中、算数の教科書とノートの隙間にコモの携帯端末はあった。淡いピンク色のカバーも、画面の右上に付いた小さなキズもそのままだ。
周囲の明度に合わせ、ぼんやりと灯った画面には、一件の不在着信通知が表示されている。
おじいちゃんかな。ミチコさんかも。『自宅』と表示された画面を、コモは見るともなく眺めている。
「ミチコサンってだれ?」
「お手伝いさん。うちのことしてくれる人」
独り言言っちゃってたかな? コモは両の手のひらで携帯端末を挟む。
「うちってさ、お父さんもお母さんもいないんだよね」
「そうなんだ」リューイの相槌は、平坦だが先を促す響きを持っている。
「うん。お父さんの代わりにおじいちゃんがお仕事しててー、お母さんの代わりにミチコさんが家のことしてくれてるの」
「じゃあ、寂しくないね」
「うーん、どうだろ」
「どうって?」
「んー」
コモは携帯端末を起動する。ほの明るく灯る画面には、変わらず『不在着信 自宅』と表示されている。
「おじいちゃんは、あたしのこと大事だって言うし、なんだってあたしの自由にしたらいい、って言うの」
ふ、と。携帯端末の画面が消える。黒塗りの画面に、コモの相貌が映り込んだ。桃色の髪が、頬にかかっている。
「でも、それってほんとにあたしのこと大事にしてくれてるのかな」
「髪を染めたこと?」
「そう」
頬に掛かる髪を、コモは耳に掛ける。春に咲く花のように鮮やかな色の髪を。
「先生、今の担任じゃなくて、前に居た先生なんだけどさ、あたしが髪染めた時にすごーく怒ったんだよね。髪の毛が痛むとか、フリョーになるって」
「コモはそれが、嬉しかった」
「うん。あたしの為に言ってくれてるんだなーってわかったから」
あたしの話もいっぱい聞いてくれたし。コモの脳裏には、また明日と言って別れた女教師の姿が、未だ焼き付いている。
「でも居なくなっちゃった。たぶん、ううん絶対おじいちゃんのせいなんだ」
ふ、と息を吐く。俯いたせいで、耳に掛けた髪が再びコモの両の頬を覆った。
「前もそういうことしてくれたし。その時は、あたしのことイジメた奴なんだけどさ」
でも先生のことは、あたし好きだったのに。言葉はコモの膝へ落ちる。
「おじいちゃんは、なんて?」
「あたしの自由のためって言ってた。先生はあたしの自由をソガイするから、遠くに行ったんだって
でも」
顔を上げ、コモは見上げる。ほの明るく光る天井を。視界に広がる淡い白は、リューイの滑らかな手触りを思わせる。
「でもそれはあたしの自由じゃないじゃん。おじいちゃんの自由だよ」
「コモは先生に居てほしかったのにね」
「うん」
強く、強くコモは頷く。次第に熱を帯びるコモの喉とは違い、リューイの声はあくまで冷静だ。
「それにおじいちゃんは、あたしが外に、うんと、街の外ね」
「わかるよ」
「うん。外に行きたい、って言ってもそれは絶対にダメって言うの。
遠足も、町の外に行く時は行っちゃダメって」
「コモのお母さん」
「そう」
薄い記憶。『お母さん』という存在について、コモは髪が長かったことしか覚えていない。『先生』と同じ、長く柔らかな髪だった。そのはずだ。
「お母さんは外に行って、『ダメになった』からって」
「コモはわからないのにね」
「うん。あたしはダメにならないかもしれないのに」
ため息。携帯端末を握ったまま、コモはむき出しの膝を抱える。自分を抱くように、その長い手足を畳む。閉じこもる膝と腹の間は暗い。流れる桃色の髪、その毛先は乾いている。
コモに後悔は無い。髪を染めたことも。
「でも、今は『外』だよ」
「うん。リューイが連れてきてくれた」
「コモが望んだからだよ」
えへへ。コモは丸くなったまま笑う。
街から遠く離れ、今も離れ続けていることも。後悔は無い。
大丈夫。
コモは小さく呟く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます