第7話
曇天の下、光は『コモの』指先を切り落とした。空を掛ける翼としての棘を。突然のことに体幹が崩れる。ぐらり、ゆれる『コモの』肢体を、追撃が襲う。曇天を切り裂く光線。コモは爆ぜる熱を溶け崩れる肉体で感じ取っている。
追憶の中、無かったはずの痛みをコモは知覚している。ハ号の放つ光と熱は、『コモの』棘を次々と焼き、折り取る。コモには為す術が無い。反撃は、出来ない。手足を拘束されているように。ただ無情にこちらを見据えるハ号の姿だけを、知覚しいる。
光は最後に『コモの』頭を焼き払った。コモは悲鳴も無く、皮膚が膨れ、めくれ上がり、沸騰し、蒸発するのを。焼け落ちる自身の頭を、知覚している。あまりにも高温の熱は、焦げる匂いすら残さない。ただそこにあった事実すらも、焼失させる。
頭が無くとも、『コモには』見えている。急速に近付く黒い水面が。渦巻き泡立つ波が。
海へ、墜ちていく。
「コモ」
呼び声がコモを引き戻す。過去の追体験から、現在の戦場へと。
視界は再び薄暗がりの小部屋へと引き戻されていた。コモはリューイの感覚、外の景色と切り離されている。ただ、ほんの僅か、遠く水中から見上げた空の茫洋さで、うっすらとは見えていた。『コモ本来の』視界に重なるようにして、夏の逃げ水か、陽炎のように。
は、とコモは息を吐く。知らず、止めていた呼吸を、再開する。
「無理に繋がらなくてもいい。ぼくと居てくれれば」
「ううん」
大丈夫。コモは閉ざされた薄暗がりの視界の中、深く息を吸う。負けるもんか。拳を握り、呟く。幻視した痛みに対する恐怖は無かった。あるのは、友を、『自分を』傷つけられた怒りだ。
二重写しに見えている、転回する忙しない視界へとコモの意識は飛び込んでいる。
視界だけでなく。更に深く、深く。その先を求め、全ての感覚を重ね合わせる。
無茶苦茶な機動を繰り返しているように思えて、リューイの『鼓動』は落ち着いていた。コモはそれを意外に思うが、自身の鼓動を『重ねる』うちに、落ち着きを取り戻す。
怒りだけではだめだ。冷静に、見極めないと。
ハ号との距離は、縮みも伸びもしていない。数瞬前と変わらず一定の距離を置いている。それはリューイの棘を警戒してのことだ、とコモは知る。リューイから『聞く』。
機竜に搭載された武器は、先程コモが見た『光線』だけだ。それで必要十分。
だが機竜の羽であり、手足でもある棘。それは武器として使うこともできる。
棘の伸縮は、限度はあるが自在だ。硬く鋭くすることもできれば、柔らかく可塑性を持たせることもできる。コモは、リューイが棘を脚として使っていたことを思い起こす。
「ねえ」びっくりさせたくない? コモはいたずらの相談をするように、リューイへ問う。
いいね。リューイの同意。言葉にせずとも、コモの提案はリューイに伝わっている。それでいこう。返答も言葉ではなく、意志としてコモに伝わる。
声も文字も介さないコミュニケーションは、光よりも速い。重なり合う『意識』の上で、コモは密やかに笑う。
誰かと相談して何かを成すのは、初めてだ。
光線は機竜のエネルギーを使う。撃ちすぎれば、機竜自身の行動不能に繋がる。
二度外したハ号は、慎重になっていた。右に左に、時には上下に逃げるリューイの動きをトレースするように、ぴったりと後を追うことに集中しているようだ。そうして隙を伺っているのだろう。
行くよ。リューイが、コモが、同時に告げる。
行こう。コモが、リューイが、同時に頷く。
リューイは蛇行しながら急上昇する。天を、雲を貫くように。
そして唐突にピッチを下げた。急下降だ。リューイの滑らかな身体が、コモの細い肢体が、慣性と重力とで軋む。コモは奥歯を噛む。リューイは背に広げた棘を寝かせる。
空を切り裂き、コモとリューイは一条の白い弾丸となり落ちていく。数瞬遅れ、ハ号もそれに続く。晴天から落ちる雷のように。
リューイの、コモの眼前に緑の濃い葉群れが広がる。茂る葉の一枚一枚が、手に取れるほど近付く。耳の奥が痛む。
今。コモは、リューイは鼻先を引き上げる。
衝撃。ど、とまず音が認識される。次いで脳が揺れ、痺れるような痛みが認識される。ばきばきと、太く細く破砕音が連続する。がさがさと重なる音は、乾いた草の擦れ合う音だ。
木々をクッションとして地面に叩きつけられたリューイは、コモは、慣性に引きずられるまま身を捩っている。振動の収まらない視界。緑、茶、青。色彩が次々と流れ、やがて砂埃に包まれる。
墜落の衝撃は大きい。だがコモは、リューイは、衝撃を意に介さない。
自ら望んでの墜落だ。痛みに備えるのは容易い。
見上げる。頭上に広がる空と、リューイに続くことなく宙へ浮かんでいる、棘を広げたハ号を認める。悠然とした、勝ち誇ったかのように見える、無防備なその姿を。
ハ号の頭部が開く。開花する百合を思わせる動き。
光。
同時、コモは吠えた。
否、その咆哮に音は無い。ただ吠えるように、口を開いている。目の前の存在を、敵を、向けられる殺意を喰らうように。
負けない。あたしは。リューイは。あんたなんかに。
コモの薄い胸に、細い喉に、熱が灯った。
世界が爆ぜる。
コモはそこに、世界の始まりを幻視した。宇宙が生まれた瞬間の、巨大な爆発。幼い意識に刻まれていた、ビッグバンという言葉が蘇る。
機竜ハ号の放った光線と、リューイのそれとがかち合う。熱が、光が、純粋な力が、真正面からぶつかる。強すぎる光は、ただただ白い。目が痛い。コモは何度も何度も瞬いた。
どう、と強い風が吹いた。リューイの、コモの肌を撫でる風は、土埃をさらっていく。
頭上にハ号の姿は無かった。雲ひとつ無い、抜けるような青空だけが広がっている。消えた? コモの意識は周囲を探る。
いた。ハ号は、茂る緑に埋もれるようにして落ちている。その首は、根本から消失していた。
断面は表層と同じミントグリーンだ。ただ滑らかな表層とは違い、炙られたプラスチックのように、どろりと溶け崩れている。配線のようなものは見当たらないが、時折火花が飛んでいる。
頭は無いけど、動くかもしれない。コモは警戒を怠らない。
大丈夫。唐突にコモは理解する。ハ号はもう動けない。
ハ号の損傷は、頭部だけに留まっていなかった。回り込んで初めて確認できたその胴体も、半分近くが溶け出している。
三度の光線射撃と、物理的損失。目測では、残存エネルギー量は活動限界を大幅に上回っている。
誤作動か、それとも回避行動の残滓か。数本残された棘が、ひどくゆったりとした動きで揺れていた。てんでバラバラに、中空を掻き混ぜるように。
このまま放っておこうか。動けないだろうし。コモはリューイに問う。
否。リューイの返答は記憶の想起を伴う。
リューイも、同程度の損傷を負いながら逃げ延びた。機竜は無機物であれば何であれ、自身のエネルギーと肉体に変えることができる。
「ああ」とコモは頷いている。空き缶を咀嚼する、まだ猫ほどの大きさだったリューイの姿を思い出したのだ。随分と昔のような気がしているが、つい昨日のことだ。
じゃあどうしようか。それはリューイも同じであるらしい。逡巡がコモに伝わる。
食べてしまおうか。ふと過ぎったのは、コモの思考かリューイの意志か。
いいんじゃないかな。コモは頷く。無機物を食べて自身に変える機竜ならば、機竜自身も無機物のはずだ。
そうしよう。それが良い。数十分に及ぶ回避飛行と、光線射撃でリューイもまた消耗している。それを補うのに、これほど最適なものはないだろう。
いただきます。呟くコモに、「どういう意味?」リューイの問いが重なる。
ごはん食べる時の挨拶。答えを思い浮かべながら、コモはハ号の機体を咀嚼する。
酷いノイズ混じりの男声が聞こえた気がしたが、気のせいにして。
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