第6話

 暗い空。リューイが見たのは曇天だ。時刻は午後二時十六分。周囲に広がる海は荒れている。

 破砕した防壁と、強化ガラスとを踏みしめ、リューイは飛んだ。棘を目一杯拡げ、羽ばたくのでもエンジンに点火するのでもなく、ただ『飛ぶ』と意識する。リューイはそれだけで宙へ身を躍らせ、加速した。耳に響くのは、鋭い警報。誰かの叫び声。飛び立つ背後で、折れたガス管から漏れた気体に、火花が着火する。鈍い爆発音。

 空を裂き、可能な限り速く飛ぶ為に、リューイは身体を変化させる。流線型に。空気の流れを掴み、味方につける。

 リューイは逃げたのだ。リューイが『生まれ』、『育った』極秘研究施設から。

 そうしなければならなかった。そうしなければ、リューイは『殺されて』いた。

 リューイは機竜のイ号機で、一番はじめに作られた。その後、ロ号機、ハ号機と機竜は作られていった。

 ニ号機の作成が計画された時、イ号機の運用停止と解体が決定された。リューイの停止が。

 すなわち、リューイの死が。

 リューイはそれを研究員から聞かされた。リューイを作り、育てた者からだ。彼は、リューイへ告げた。

「逃げろ」と。

 リューイは言われずともそうするつもりだった。リューイは死にたくなかった。リューイに刻まれた一番の目的は『生き残ること』だ。

 その研究員の協力もあり、リューイは研究施設を脱出した。どこへ行くかは決めていなかった。ただ遠くへ、自分を害する者から少しでも遠く。それだけを思って飛んだ。

 無論、リューイは追われた。リューイは機密情報の塊なのだ。リューイの身体には、現存する科学技術と『現存しない』技術が詰め込まれている。

 リューイを追ったのは、機竜ハ号機。リューイの二世代後に作られた機竜だ。ハ号機は、リューイから遅れること五分三十四秒後に飛び立った。

 リューイとハ号機には決定的な違いがあった。搭乗者の有無だ。

 機竜は正式名称を『次世代型自律戦闘飛行機』としながらも、単騎での戦闘を認められていなかった。必ず人を搭乗させなければ、戦闘行為の一切ができないように設計されているのだ。

 だからリューイはひたすらに逃げた。加速に加速を重ね、身体を絞り、ハ号機を振り切ることに専念した。

 しかし。ハ号機は、二世代分の技術差でもってリューイへ追いついた。

 そこからは一方的な展開だった。リューイは可能な限り攻撃を避け、いなした。だが棘を折られ、身体を削られ続け、交戦から二時間三分五十六秒後、リューイは航行不能となり海へと落ちた。

 そこから先は、『記憶』が不鮮明だ。リューイはひたすらに、逃げること、生きることを考えていた。その為に殆どの機能を停止し、身体を変え、深く沈んだ。

 潮の流れに乗ったのは、偶然だった。リューイはそこまでを計算していない。計算できるだけの機能は、残されていなかった。


 それからのことは、コモも知っている。


 地面を蹴る。身体は自然に浮かび上がる。

 耳元で風が爆ぜた。廃工場が、林立する電柱が、高速で遠ざかる。

 一瞬で、コモは経験したことの無い高みに至った。コモの知る街がぐるりと見渡せ、コモの知らない街の途切れ目が見えた。太い道路と細い小路とが、血管のように街から伸びている。海すらも、コモの知る水平線の向こう、果ての果てが見通せそうだ。

 コモは、怖いとは思わない。ひたすらに、心を踊らせていた。今まで見たことの無い光景に。自分ひとりの力では、なし得なかった変化に。

「来たよ」

「来たね」

 リューイが告げるのと同時、コモもそれを知覚している。

 海の果て、水平線の向こうに現れた影を。

 機竜ハ号。リューイを追うもの。

「戦おう」

「倒そう」

 リューイとコモの意識は重なり合っている。

 リューイは身を翻し、追いすがるものに背を向けた。

 どうして? コモは問う。油断させる。回答はコンマ数秒で届けられる。

 ハ号はリューイの再起動に気付いている(だからこうして現れた)。だが、リューイに搭乗者がいることには、気付いていない。

 リューイは機竜専用のデータベースに接続し、自身の再起動を研究所とハ号に知らせた。同時に搭乗者のデータも送られるはずだった。それをリューイは隠蔽した。リューイを逃した研究員が、その権限をリューイに与えていたのだ。望めば、リューイ自身の再起動も隠匿できた。だがリューイはそれをしなかった。

 リベンジマッチだ。

 コモはリューイの思考をそう受け取った。戦って、今度こそ勝つ。その為には作戦が必要だ。

 リューイが向かったのは、コモの街に覆いかぶさるように存在する山だ。その山を堺として緑が広がっている。ハ号の搭乗者は、街の上での戦闘を躊躇するだろう。とのリューイの読みだ。

 コモの街が遠くなる。コモはそれに頓着しない。

 来る、と。追うものの影を、コモは見ている。振り返らずとも見えている、リューイの視界の中で。

 それはリューイと同じ形をしていた。長い首と、目も鼻も口もない、つるりとした頭。膨らんだ胴体に、幾本もの長い棘。

 その色彩だけが、リューイと異なっている。リューイの陶器のような白ではなく、若草に似た、鮮やかで柔らかな青緑。からいガムの色。ミントグリーンだ、とコモは認識している。機竜ハ号は、その全身をミントグリーンで染め上げている。今は速く飛ぶ為に寝かせている棘には、濃紺のラインが引かれている。綺麗な色。コモは素直にそう判じた。

 ビビットな草色の、その頭部が割れた。

 あ、とコモが呟く間に、リューイは左にロールしている。コモにとっては側転する感覚に近い。視界がぐるぐると回る。こういった視点に弱い人間であれば、即座に嘔吐してしまいそうな光景。

 コモは歓声を上げている。両手を広げバランスを取ろうとして、壁に手をぶつけてしまったくらいだ。そのせいで、数秒リューイの視界から遠ざかっている。

 リューイの視界に、感覚に、再度『乗る』。造作なく、まるで気軽に。

 再び『開いた』視界は、荒れていた。濃い緑の地面と、鮮やかな青の空とが、忙しなく上下に入れ替わる。時には前面いっぱいに青や緑が広がり、また消える。

 身体感覚で上下を判別しようとしても、急下降による無重力感や急上昇による加重が、容易く感覚を狂わせる。ジェットコースターみたいだ。コモは、せり上がり突き落とされる最中に呟く。感覚を閉ざすことはしない。恐れることなく、リューイと共にある。

 リューイは自身の行く先、前方を注視しながら、背後――自身を追うものへの注意も怠っていない。距離はある。だが、その姿ははっきりと見て取れる。花開くように、その口を開けた機竜の姿。

 その口腔の奥が、光った。

 光った、とコモが認識すると同時、再びリューイはその身を宙に踊らせている。高度を下げながら、三度の右方ロール。重力による加速がかかる。コモは自身の前髪が逆立つような気がしている。

 リューイがいたはずの空間を、光が切り裂いていた。それはリューイを追うもの、機竜ハ号の口腔から生まれたものだ。なにあれ。コモは驚愕と共にこぼしている。

「ぼくらの武器」

 リューイの返答は短い。それだけで十分だった。『武器』に関する情報が、思い出すが如く、コモの中に流れ込んでいた。

 それはリューイの、機竜の身体の中に蓄えられたエネルギーそのものだ。熱であり、光であり、物体である。この世のどこにも存在しないはずの、開発など不可能なはずの、兵器。

 それと関連して、コモはあることを『思い出して』いる。

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