第4話
コモは、まさか『それ』が一晩で廃品の山を片付けはしないだろう、と思っていた。
コモは、まさか『それ』が見上げるほどの大きさになったりはしないだろう、と思っていた。
コモは、まさか『それ』がしゃべったりはしないだろう、と思っていた。
「おはよ、昨日の子」
まさか、は全て『まこと』になっていた。
「……おはよ」
『それ』は、かつて廃品が山を成し微かな悪臭と諦念を漂わせていた場所に座していた。『それ』の足元、ひび割れたコンクリートの隙間から、青い草の芽が覗いている。
『それ』は、コモの背丈を越え、首を伸ばせば元工場の屋根に届くまで、成長していた。見上げるコモの首が痛くなるほどだ。
『それ』は。
「昨日は、ありがとう。助けてくれて」
流暢に話した。未だ目も鼻も口も見当たらない顔を、コモに向けて。
「どういたしまして?」
コモはランドセルを背負い直す。中に収められた筆箱が、かちゃんと鳴る。
午前六時半。登校にはまだ早く、しかし陽の光だけはすでに昼を思わせる強さで降り注ぐ。
「昨日の子ってあたし?」
「そうだよ。昨日の子」
『それ』はその滑らかな体表を陽光で光らせ、コモを見下ろしている。体型は、巨大化した以外はほとんど昨日と変わりない。水滴を縦に伸ばしたような体躯に、いくつもの長い棘。体側に沿った二対の棘を、足のようにしているのもそのままだ。
ただコモには、昨日よりも少し体色が鮮やかになっているような気がしていた。体表のほとんどを占める白はより澄んだ白に。棘を彩る濃い茶色のストライプはより濃く。奇異ではあるがどこか優美なその見目に、コモは以前テレビで見た魚の姿を思い出している。ハナミノカサゴ。幾本も枝分かれしたヒレが、今目の前に座す生き物の棘に似ていた。
行きたかったけれど、行けなかった、遠足の水族館で見るはずだった魚。テレビでは大きさはわからなかったが、もしかしたらこのくらい大きかったのかもしれない。
ともかく。元気になったんだな、とコモは目の前の生き物の変化をそう判じる。
「あたし、小桃だよ。コモって呼んで」
「コモ」
「きみは? 名前」
なまえ、と『それ』は繰り返した。考えるかのような、数瞬の間。ハナミノカサゴかしら、とコモは少しだけ期待する。
「ぼくは、次世代型自律戦闘飛行機・仮設イ号」
「じせ?」
音だけがコモの耳を通り抜け、幼い思考は意味を捉えることはできない。かろうじてハナミノカサゴではない、とは理解する。だがそれ以上の意味は捉えかね、ただ首の角度を通常よりも深くする。
コモのその仕草を見てか、それとも伝えるつもりが最初からあったのか。
「通称は、機竜イ号」
『それ』は自身をそう呼称した。
「きりゅういごー……長いからリューイでいい?」
「いいよ。リューイ、いい名前だ」
通称すらも更に省略されたが、『それ』――リューイは特に何の抵抗もなく、新しい名前を受け入れた。
「リューイ」
「なんだい、コモ」
えへへ、とコモは照れたように笑った。呼び掛けに続ける言葉はまだ無い。ただ呼び掛けただけだ。
呼んでみたかっただけ。誰かにアダ名をつけることなど、久しぶりだったのだ。会話を続けるために、コモは質問をひねり出す。
「リューイはさ、どこから来たの?」
「詳しくは、言えないんだけど。日本の沖、太平洋のどこかにある人工島とだけ」
「たいへいよう!」
その単語を繰り返す、コモの声音は跳ねている。
「太平洋、好き?」
「好きっていうか、見たい!」
「昨日、見てたよね」
「あれはちがうよ。太平洋はね、もっとずーっと先の方!」
踊るように腕を拡げ、コモはその場で一度回転する。言葉と共に跳ねる鼓動のままに。
「きっとリューイが来たところ!」
「見たい?」
「みたい!」
見せてくれるのかな、とコモは思う。目の前に、躾の良い犬のように座る、今までコモが出会ったことも見たこともない生き物が。地図でしか見たことの無い、ベタ塗りの水色の海を。
学校と家との往復で終わる毎日を、ひとりきりで街を歩くだけの日々を、変えてくれるのだろうか。
物語のように、劇的に。
出会いは変化の始まりだ。コモは幾つもの物語でそれを追体験している。誰かと話すこともない空隙を埋める、本という世界。その中でコモはいつも夢見ていた。変化を。革命を。
「リューイ」コモは幼い期待を込めて、その名前を呼ぶ。
滑らかな顔(かんばせ)は、何かを嗅ぐように空中へ向けられている。
「コモ、お願いがある」
「なに?」
お願いをしたいのは、コモの方だ。言い出す前に被せられた『お願い』。しかしコモは不満も戸惑いも持たない。
ギブ・アンド・テイク。幼い知識の中にある、理論。お願いするのならばお願いを聞かねばならない。洋服箪笥の向こう側へ行った子どもたちも、ライオンと共に世界を救った。コモはリューイのために、自分を救ってくれるかもしれない者に、自身の力を貸す準備をする。
「ぼくと一緒に、戦ってほしい」
それは小学四年生に向けられるのには、過酷な願いであった。
「いいよ!」
それをコモは知らない。戦う、という言葉に伴う行動の厳しさを。本当の意味を。世界を物語でしか知らない、生まれてから十年と少ししか経っていないコモには、それがわからない。あまりにも軽やかな返答は、コモの幼さそのものだった。
「ありがとう」
リューイはコモの答えの浅慮を知ってか、知らずか。
行動を、始めた。
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