第3話
「なんか……おっきくなったねぇ」
コモは腰元に頭を押し付ける『それ』の首を撫でる。人影のない、遊歩道から外れた建物の影、ひっそりと佇む自販機の傍らである。
『それ』は、コモが開けたゴミ箱の中に入り込むと、中に詰め込まれていた空き缶を全て平らげた。
どうやら食べた分は即座に肉体へと変換されているようだ。出てきた時にはひと回りもふた回りも成長していた。ひとりではふらついていた足取りも、今はしっかりとしたものだ。
「元気になった?」
コモの疑問形に、『それ』はまるで言葉を理解していると言わんばかりに二度、頷いて見せた。
よかったねえ、とコモは自身に向けられている頭(と思しき部位)を撫でる。心なしか、見つけた時よりも手触りが滑らかになっている気がする。
「うちで飼ってもいいかなぁ」
コモの独り言は、半ば決意に近い響きを持っていた。食べるものが空き缶なのであれば、飼育するのはたやすく思える。コモの家の庭は広い。大型犬程度の大きさの『それ』ならば、余裕を持って繋いでおくことができそうだ。
家人の反対は勘定に入れない。『家の人間』は、コモの意志をいつでも受け入れる。
「きみ、うちにおいでよ」
思考に沈む数瞬の間。決意を告げた相手は、コモの前にいない。あれ? と間の抜けたつぶやきが落ちる。
同時。ごしゃ、という音。それは、みっしりとゴミが詰められた袋を、収集車が後部の機械で潰す光景を想起させる。
「あ」
コモの傍らにいた『それ』は、成長に合わせ大きくなったその口で自販機を食んでいた。つい数時間前にコモがジュースを購入した自販機が、今は三分の二ほどにまで体積を減らしている。何か配線をちぎってしまったのか、わずかに火花を飛ばしている。が、『それ』は意に介さず、花のように開く口をまた広げた。
「あ、わぁ」
止める間もない咀嚼。ごしゃりごしゃり、音が響く度に自販機はその姿を消して行く。
「すご……」
もはやコモは感心するのみである。破砕と捕食はコモの目前で、三十秒ほどかけて終わった。
『それ』はさらに体長を増している。噛み砕き飲み下した自販機の分、明らかに膨張している。もはや二足で立ち上がれば、コモの身長を軽々と超えるほどになっている。
ありえない成長。コモが知っているどの生き物も、食べたその場で成長するものではない。
しかしコモは『それ』を恐れない。コモの小学四年生の知識では、食べたすぐそばから成長する生き物はいない、ということはわからない。確かにコモは知らないが、「見たことはないけど、いるかもしれない」にとどまっている。
なぜならコモはこの世界の全てを知らない。図書館の本ですら、全部読めてないコモに、世界を断定することはできない。
コモは『それ』を恐れない。
「あたし、きみがもっと食べれそうなとこ知ってる!」
『それ』を先導し、駆け出す。ランドセルの金具を車輪のように鳴らして。
コモは海岸沿いから少し遠ざかり、工場の立ち並ぶ地域に入る。観光客向けに整備されていた遊歩道とは違い、国道から一歩それれば途端に道幅は狭くなる。コンクリートにうっすらと刻まれた溝。残された轍が、今までの車両の往来と月日を色濃く残す。
時刻は大抵の企業での定時退社時刻を過ぎている。が、あちらこちらの工場から未だ低く唸る機械の駆動音が響いている。ある程度の物音ならば、掻き消してしまう音量で。
コモはその中で、一際ひっそりと立ち尽くす工場の敷地へ滑り込む。「立ち入り禁止」と書かれた立て札と、スズメバチを思わせるカラーリングのロープは気にしない。
『それ』も、コモに倣う。ただ、コモが潜ったロープを跨ぐという違いはある。
コモと『それ』は、橙に染まる世界を滑るように進む。腹の底に響く、耳朶の奥を削り取る、騒音を背景にして。
そこは廃品回収を生業にして「いた」工場だ。会社の倒産と社長の夜逃げにより、今はただ負債として工場地帯の一角を塞いでいる。大量の廃品と共に。
コモは建物には興味がない。入ろうにも、窓や扉は施錠されている。押し入ろうとも思わない。自宅にあるのと同じ警報装置があるかもしれない、と感じ取っている。
コモが『それ』を誘(いざな)ったのは、元工場の裏手だ。古い冷蔵庫や洗濯機や、コモには何なのか判別のつかない機械。そういったものが文字通り山を成している。
コモが時たま、学校にも自宅にも居られない、居たくない時間を潰すための場所。
「どうかな?」
振り返り、首をかしげる。コモに対し、『それ』は。
目も、鼻も口も、およそ表情を形作る要素は『それ』には無い。
それでもコモは、細かく幾度も頷く『それ』が、喜んでいると思った。見ようによっては、ただ頭を痙攣させているだけに見える。だがコモの十年と数ヶ月の経験と、霊感とも言える感性は、『それ』が廃品の山を喜んでいると。そう伝えていた。
「これだけあれば、しばらく困らないでしょ」
うん、と頷くコモの傍らを過ぎ、『それ』はさっそく山の根本に食らいついている。オーブンかしら、とコモは咀嚼される元機械について考えを巡らせる。
それと同時。
「あ」コモは、あたりが夕暮れとは言い難い色に染まり始めていることに気付く。
騒音は未だ続いているが、時間は確実に夜へと進んでいたようだ。
「あー」コモは扇風機らしきものの頭に齧り付く『それ』を見やる。
『それ』は、どうやら廃品を食らうことに夢中になっているようだった。自販機と空き缶だけでは、飢えを満たせなかったのだろう。
幸い、この元工場は周りを壁に囲まれている。夜間に人が出入りするとも思えない。
「あしたまた来るから」
ねぇ、とコモは声を張り上げる。『それ』が元機械を咀嚼する音、そしてどこか遠くから響く機械音に負けないように。
「どっか行っちゃダメだよ!」
『それ』は、口元からなにがしかの配線を垂らしながら首を傾ける。
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