第18話 広がる風評被害!?

 次の日の水曜日、織田くんは学校を休んだ。小学校は織田くんの話題でもちきりだった。


 演説会のドロップキック事件から、予備選の結果と、児童会役員選挙を中心に動いていた全校の話題は、ここに来て一気にあらぬ方向へと流されていた。


 織田くんの写真を誰が掲示したのかはわからない。それがただの悪戯なのか、もっと明確な悪意に基づいてなされたものなのか。昨日、張り出されていたその写真や掲示物は、報告を聞いて駆けつけた先生たちによって取り外された。でも、すでにそれをスマートフォンのカメラで撮影していた生徒がいて、その画像はすぐにSNSを通じて生徒たちのあいだで拡散された。


 やっぱり、その話題がセンセーショナルだったのは、織田くんの女装がとても綺麗だったということに加えて、児童会長候補だったという理由もあった。それから一緒に映っていたのが全校の女子に人気の高い有栖川煌流くんだということも、女子たちの間で噂が拡散される原動力になっていった。

 織田くんに関する噂は、それらの要素をまぜこぜにしながら、さらに内容に尾ひれ背びれをつけながら、広まっていった。


『織田くんって、女装して有栖川くんのこと騙そうとしたらしいよー。ありえなーい』

『あれだって。織田くんって性同一性障害せいどういつせいしょうがいってやつなんだってー』

『あんなのが、児童会長の候補だなんてありえないよねー。まぁ、予備選の結果ですでに虫の息だったけどwww まじウケる』

『あの張り紙したの、児童会役員選挙で二番目の今川一騎くんらしいよ〜。木春菊さんにドロップキックされたの、どんだけ根に持ってんのよーって感じ? ちっちゃい、ちっちゃい。そんなんだから式部紫さまに勝てないのよ〜!』


 廊下を歩くと聞こえてくるヒソヒソ声。

 そしてわたしへと、ときおり突き刺さってくる視線。それは珍しい動物を見るみたいな視線だったり、どこか哀れむような目だったり、いろいろだった。

 ――変な男の子の変な友達。そんな風に思われているのかなぁ?


 昼休み。教室で居心地の悪くなったわたしたちは屋上に出てきた。

 わたしと、メイちゃんと、あとなんでだか今川くんも。


「今日は、子分二人は一緒じゃないの?」

「子分? ああ、あいつらか。子分じゃねーけど。……まぁ、いつも一緒ってわけじゃないからな」


 屋上のコンクリートへと腰を下ろした今川くんは、柵に背をあずけて気怠そうに空を見上げた。


「今川くんも大変だね……。でも、何だかごめんね。変に飛び火したみたいで」

「まったくだよ。なんで俺が。――って、お前らにそんなこと言っても仕方ないんだけどな」


 メイちゃんが申し訳なさそうに言うと、今川くんは片膝を抱えたまま、ため息をついた。

 噂って本当に勝手なものみたいで、今川くん犯人説は、かなりまことしやかに全校に広まっていた。わたしのドロップキックの仕返しに、今川くんがあの写真を掲示したのだとか。

 本人は否定しているし、わたしもそれは違うと思う。それでも一応、確認のためにと、今朝も今川くんは職員室へと呼び出されたのだ。二日連続での職員室呼び出しは、さすがの今川くんにも堪えたみたい。

 そして、さらに悪いことに、今川くんが職員室に呼び出されたのを見ていた生徒が、「やっべ、今川、マジで職員室に呼び出されてやんの! あいつ犯人で確定〜!」みたいな噂をまた撒き散らしたのだ。


「誓って言うけどな。おれはそういう卑怯な真似はしない。相手の悪口言ったり、茶化したりするなら、ちゃんと相手のいるところで言う。隠れて張り紙するみてーな、卑怯な真似は絶対しねーよ」

「それ何のプライドよ。そもそも悪口言ったり、茶化したりするのやめなさいよ。演説会の事件で懲りたのならね」

「ちっ、わかったよ」


 意外と素直な今川くん。


「でも誰がやったんだろうね」

「そこよねー。こういうのって犯人探しばっかりしても仕方ないっていう考え方もあるけれど、やっぱり犯人が見つからないと、落ち着かないよね」

「俺への疑いも晴れねーからな」

「それ、ものすごく個人的な問題。今川くん、自分のことばっかり考えない?」

「ほっとけ」


 メイちゃんのツッコミに今川くんが唇を尖らせた直後、わたしたちの頭上から凛とした声が聞こえた。


「ほっとけないわ。――これはわたくしたちの神聖な児童会役員選挙に対する妨害ですもの」


 顔を上げると、そこに居たのは――


「ヴァイオレットさま!」「式部さん!」「式部っ!」


 児童会長選挙戦の大本命――式部紫その人だった。


「わたくし以外の児童会役員選挙の重要人物が大集合しているのね。わたくしもお邪魔してよかったかしら? 木春菊さん?」

「も……もちろんです! ヴァイオレットさま!」

「ヴァイオレットでいいわよ」


 柔らかな笑顔で返すと、式部さんもわたしたち三人の前にちょこんと腰を下ろした。


「ヴァ……ヴァイオレット! そんなコンクリートに直接お尻をつけるなんて、ヴァイオレットさまのお召し物が汚れてしまいますわ?」

「ふふふ。ありがとう木春菊さん。でも、わたくしだって普通の小学生よ? みなさんと同じように座るのを許してちょうだいね?」

「は……はい」


 目を細めて小首を傾げる式部紫さんは、やっぱり気品に満ちあふれていた。


「そういえば、お二人は仲直りされたのね?」

「ん? ……わたしと今川くんですか? ……ハッ……ハイ! 今じゃ、めっちゃ仲良しですっ! ねっ!」

「べ……別に仲良しじゃねーけどな」


 え、そこで否定しなくてもよくない?

 何故か拗ねたみたいに唇をとがらせる今川くん。男の子って素直じゃないよねっ!

 そんなわたしたちを見て、式部さんはふふふと笑った。


「演説会の件はすみませんでした。もう二度とああいうことはしません。誓って」

「うん。いいのよ。わかってくれたなら。それにちゃんと、今川くんとも和解してくれたみたいだし。そのことは水に流して、残り三日間の選挙戦を戦いましょう」

「は……はいっ!」

「ふん。言われなくてもそうするさ」


 わたしたちはそうして晴れてスタート地点に立ち直したわけだ。

 でもわたしたちの走るコースは今、ぬかるんだ泥道みたいにぐちゃぐちゃだ。


「あなたたちの暴力事件も困ったものだと思っていたけれど、候補者に対するこんな匿名の誹謗中傷で神聖な児童会役員選挙を妨害するなんてね。とても卑劣な行為。――わたくし、本当に許せないと思っていますのよ?」


 わたしは式部さんの表情をうかがう。その瞳の奥には、静かな炎が燃えていた。

 思わずわたしは生唾を飲み込んだ。隣を見ると、メイちゃんも驚いたように目を開いていた。――式部さんは、本当に怒っているのだ。あの式部紫さんが。


「第一、悪質にも程がありますわ。ただ候補者に対して誹謗中傷をするだけならまだしも、ああやって偽物の写真を作り出してまで、デマで選挙を妨害するなんて」

「――偽物の写真?」


 何を言っているのだろう? と、わたしは首をかしげる。


「ええ? そうでしょう? 木春菊さん。あれはあなたのお友達の女の子の顔を織田くんの顔に差し替えたいわゆるコラージュ写真なのでしょう? それでなければ、あの織田くんがあんな可愛らしい女の子に変身するはずがありませんし、おとなしくて本ばかり読んでいる織田くんがあんな女の子の服を着て街を闊歩するなんて、ありえませんわ」


 ちなみにコラージュ写真というのは、複数の写真を合成して作られる写真のこと。

 最近はスマートフォンのアプリとかでも、簡単に作れちゃう。

 式部さんはきっと張り出されたあの写真がただのコラージュ写真だと思っているのだ。

 織田くんの顔写真を別の女の子の写真の上に合成した偽造写真なのだと。


「まぁ、合成写真としてはこの上なく良く出来ていたとおもいますから、その技術力は評価いたしますけれど。……そういえば木春菊さんと皐月さんも一緒に写真に写られていましたけれど、あんな可愛らしい女の子の友達が洛和小学校の外におられたのね? 幼稚園の時の友達とかかしら? いずれにせよ、交友関係が広いのはよいことだわ。――お友達は大切にね」


 そう言って、式部さんはにっこりと微笑んだ。完全な誤解をしたままで。

 なんだか都合の良い誤解をしてくれているみたいだし、もし全校生徒が同じ誤解をしてくれたら、何の問題もなくなるのかなって思うけれど、現実はそうじゃないんだ。

 そして現実に蓋をしたままじゃ、何も変わらないんだ!

 だから、式部さんにも本当のことを伝えなくっちゃ!


「ありがとう。でもね、式部さん。一つ修正するね」

「――何かしら?」


 わたしは大きく息を吸う。これは秘密。親友の秘密を誰かに伝える。

 それは彼の苦悩を一緒に背負う覚悟。相手を巻き込んでいく覚悟。


「あそこに写っていた女の子は洛和小学校の外の生徒じゃないんだよ? あの子はこの小学校にいる。わたしたち6年2組のクラスメイトなんだ」

「え? ……でも、わたくし、あんな女の子、知らないわよ?」


 式部さんは狼狽する。いつも冷静沈着な彼女らしくない表情で。


「うん。式部さんは知らないかもしれない。だってあれは――わたしたちの親友、織田呉羽くんの本当の姿なんだから」


 昼休みの陽気が屋上を温める。空は青くて太陽とわたしたちの間に雲はない。

 涼やかな春の風がわたしたちを包んだ。

 目を見開いた式部さんと、神妙そうな顔の今川くん。

 メイちゃんとわたしはお互いの顔を見て、微笑みあった。きっとこれでいいんだって。


「――いた。幸子ちゃん! 照沙ちゃん!」


 その時、屋上への入り口、ステンレスの扉が外開きに開いた。

 ドアノブを手に持って、屋上へと現れた少年。

 それは――有栖川煌流くんだった。


 その後ろには、どこかで見たことのある女の子がうつむきがちに立っていた。

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