第17話 わたしたち逆転できるの!?

「――よう。演説会の時、以来だな。元気か?」

「うん。――なんかごめん。顔は大丈夫?」

「このくらいの傷、大したことねーよ。男の傷は勲章だろ? ていうか、おめーみたいな小娘のドロップキック、避けられなかった俺が悪いんだよ」

「あはは。そっか、……でも、ごめん。暴力は、良くなかったよね」

「あやまんなよ。……気持ちわりぃ」


 火曜日の放課後、職員会議の結果を伝えるからと呼び出されたわたしは、会議が終わるまでの間、職員室前のロビーで待っていた。そこにはもうひとり、関係者である男の子が座っていた。今川一騎くん。わたしたちの対立候補で、わたしがドロップキックをかました相手。


 暴力沙汰を起こしたのはわたしなんだけれど、その原因を作ったとして彼も先生たちからかなりしぼられたらしい。でも、頬にはまだ傷を隠すガーゼが貼られていて、それを見るにつけ彼が被害者で、わたしが加害者なんだって、思い知らされる。

 彼にとっても「踏んだり蹴ったり」なんだろうなぁ。――実際にわたしが蹴っちゃったわけだけどね……。


「予備選の結果って見た?」

「もちろん見たさ――。お前らボロボロだったな」

「うん――。ボロボロだった」


 金曜日の放課後に開催された選挙管理委員会の主催による演説会。それを受けて、月曜日には新聞部の主催で選挙権を持つ四年生以上を対象とした全校アンケートが実施された。いわゆる「予備選」。その結果は即日開票され、次の日――今日の朝一番には廊下の掲示板に掲載されていたのだ。

 結果はわたしたちの惨敗。全体投票数240票の内の14票しか取れていなかった。

 先生に怒られて落ち込んでいたわたしにとって、その結果はわたしたちの気持ちをさらに谷底へと突き落とすようなものだった。


「――なんでそうなったと思う?」


 隣に座る今川くんが膝の上に頬杖をついたまま、前を見て尋ねてくる。


「えっと……。知名度がなかったから?」

「まぁ、それもあると思うけどさ。お前らの敗因はそれだけじゃねーだろ」


 唇を尖らせて、そっけない感じ。

 わかるよ。昼休みにメイちゃんと織田くんと三人で、敗因の分析はしたのだ。

 次につなげる反省会。まだ立候補取り消しになるって決まったわけじゃないから。

 でもその結果は、やっぱりわたしにとって、とても重たいものだった。


「うん。そうだね。原因は少なくともあと二つあると思う――」


 そう言って、わたしは今川くんに自分たちの反省会の結果を伝えた。


 一つ目は、そもそも急な出馬で、何をやりたい候補なのかもわからないままに、演説会が何も伝えることも出来ないまま終わったことだ。演説原稿がぎりぎりまで出来なくて十分に練習できておらず、織田くんのスピーチがみんなに届かなかったこともあるだろう。でも、それよりも大きいのは、織田くんのスピーチがちゃんと本題に入る前に、わたしが今川くんを蹴り飛ばしてしまって、演説会をしっちゃかめっちゃかにしちゃったこと。そこでスピーチが中止になっちゃったってことなんだ。――だから、せっかく考えた「公約」も、伝えたかった「想い」も……わたしたちは何一つみんなに届けられなかった。

 そして二つ目は、暴力沙汰による悪評。対立候補をドロップキックで黙らせるような候補に、誰も児童会役員を任せたいなんて思わないんだ。


「――悪くねぇな。結構、ちゃんと、現状分析できてるんじゃねーか。木春菊って、もっとバカかと思っていたけれど、意外としっかりしてんのな」

「ど……どうも。でもこういうところはだいたいメイちゃんなんだよ? メイちゃんが分析して、教えてくれるんだ。もちろん大切なことは三人で話し合うんだけどね」

「そっか。ちゃんとしたブレーンがいるんだな。羨ましいぜ」


 今川くんがポツリと漏らした「羨ましい」って言葉にわたしは驚いて隣を見た。

 彼は特別なことを言ったという様子もなく、肘をついたまま前を見ていた。

 でも、そっか。今川くんって、子分はいるけれど、自分と対等な立場で、意見を言ってくれるような人って、いないのかもしれないなぁ。


「今川くんたちの結果は――今川くんにとってどうだったの?」


 わたしたちが最下位で、今川くんたちが二位。それはいいんだけれど、問題はその票数だった。四八票。それは本選で一位を狙うには、かなり小さな票数だった。


「最悪だよ。四八票なんてさ。式部たちに三倍以上の差をつけられているなんて、ありえねーよ」


 一位の式部さんたちは178票。もう、圧倒的だった。


「――本音を言うと、予備選で式部たちに勝てるとは思っていなかった。なんてったって相手はあの式部しきぶヴァイオレットだからさ。だから俺たちが設定していた目標ラインは百票。おまえたちが50票にも届かないのは予想済み。だから式部たちが過半数の120票以上をとっても、なんとか俺たちが100票近くとって、引き離されないで食らいつく。そうしたら実質、本選は俺達の決選投票になる。――そういう筋書きだったんだ」


 いつもふんぞり返っている今川くんの横顔は、とても悔しそうに歪んでいた。

 その原因を作ったのは、きっとわたしなんだ。


「――なんだか……ごめんね」

「言うなよ。――俺が調子に乗りすぎたのも悪いって分かってんだ。なんだか自分の演説の後で気持ちが大きくなりすぎていたんだと思う」


 わたしたちはそう言って、お互いに自分の間違いを認めあった。

 しばらくの沈黙の後、「でもさ」と今川くんが口を開いた。


「やっぱり、『立候補取り消し』は嫌だよ。俺たちは失敗した。勝利は絶望的さ。でも――だからこそちゃんと戦いたい。戦って終わりたい。――だから俺は、立候補辞退なんてしないぜ。校長先生に土下座してでもさ」

「それはわたしも同じ! 戦って終わりたい! 戦って――勝ちたい!」

「って、おまえ、まだ勝てる気でいるのかよ?」


 驚いた顔の今川くん。


「わたし――バカだから! バカには未来のことなんて、わからないんだからっ!」


 そう開き直ったわたし。今川くんは目をまんまるに開くと、プッと吹き出した。


「ちげぇねぇ。お前は大バカだなっ! ああ、そうさ。まだ終わっちゃいねぇ。俺たちだって、まだまだ逆転してみせるぜ。選挙なんて、風が吹けば一気にひっくり返るんだ!」

「そのとおりだ~! ちゃんと反省して! ちゃんとがんばるぞ~!」


 わたしたち二人は、そう言うと、顔を見合わせて笑った。

 その時、職員室の扉が開いて、和以貴子先生が顔を出した。


「――今川くん。木春菊さん。入ってちょうだい」


 ☆


 通された面談室で職員室会議の結果は伝えられた。

 わたしたち二人の前に座ったのは、校長先生と貴子先生。

 伝えられた内容は「厳重注意」だけだった。

 あり得るかもしれないと言われていた児童会役員選挙の「立候補取り消し」は必要ないと判断されたみたいだ。


「和以先生からも言われたと思うけれどね、木春菊さん。暴力は絶対にだめじゃよ。児童会役員は全校生徒の鏡。人の和――それが『京都(洛)の和』と書いて洛和学園のモットーでもあるんじゃ。だからよく反省して、みんなの鑑になれるようにがんばっとくれ」


 校長先生に言われた言葉に、わたしは「はい」と神妙に頷くことしかできなかった。


「今川くんもじゃ。児童会は議論してよりよい学園を目指す場所じゃろ? 議論というのは、相手への信頼や尊敬の念を持って初めて始まるんじゃ。茶化さずに相手の話を聞く。相手を馬鹿にしたりしない。それが民主主義の根底にある議論の精神なんじゃ。よ~く肝に銘じておくんじゃぞ」


 予備選の結果も含めて相当こたえたのか、校長先生が怖いからか、いつもは口ごたえばかりの今川くんも、今回ばかりは、「はい。――肝に銘じます」としおらしかった。

 白髪の校長先生は、わたしたち二人を見て最後にニッコリと笑った。


「うむ。よろしい。そういうわけで今回は喧嘩両成敗。二人とも今回の失敗に十分よく学んで、あと一週間の選挙戦。思う存分フェアな戦いを頑張ってほしい。フォッフォッフォッ!」


 最後は優しいおじいさんの笑いで終えた校長先生。

 和以貴子先生は、ホッとした様子で、その隣で微笑んでいた。

 その微笑みは、わたしにはこう映ったんだ。


『がんばりなさいよ。あなたたちの戦いは――これからよ』


 ――って。


 ☆


 職員室を出たわたしたちは並んで廊下を歩く。

 正直、ホッとした。怒られたのは怒られたけれど、一番怖かったのは「立候補取り消し」だったから。それがなかったことは、わたしの気持ちをぐっと軽くしていた。

 早く、織田くんとメイちゃんに伝えなきゃ!


「おい、木春菊。――お前らも頑張れよな。俺たちはこれから逆転を狙いに行く。お前らも頑張れ。まぁ、お前らがこれから頑張ってどうにかなるとは思えねーけどな。それでもお前らが得票をのばした分だけ、式部たちの票数が削られるんだ。お前らが頑張ることが俺たちのチームのメリットになるんだよ。だから……頑張れよな!」

「――うん、頑張る。今川くんのチームにも、負けないんだからね!」


 わたしは照れくさそうに話す今川くんに、とびっきりの笑顔で返した。

 雨降って地固まる? 昨日の敵は今日の友?

 どっちにしろ、今川くんはわたしたちのライバルなんだ!

 強大すぎるヴァイオレットさま。どこまで届くかはわからないけれど。

 心機一転頑張るぞー! エイエイオーッ!


 そうやって歩く廊下の向こう側にちょうど、織田くんとメイちゃんの姿が見えた。

 こっちに向かって歩いてくる。思わず両手を上げて大きく振る。オーイ! って。

 その向こう側。廊下の掲示板まわりには、たくさんの人が集まっていた。

 ん? なんだあれ?


「――なんだ? あの人だかり?」

「予備選の結果じゃないよね?」


 今川くんも怪訝そうな表情。予備選の結果発表は朝一番にあった。

 その時は人も多かったけれど、昼休みにはみんな見終わって、その後は掲示板の前もいつもどおり閑散としていた。だからまたああやって多くの人が集まるなんて考えにくい。


「俺、ちょっと見てくるわ」

「あ――うん」


 今川くんは小走りに駆けていった。

 その隣をすれ違うように、メイちゃんと織田くんがこちらへと向かってくる。

 メイちゃんが織田くんの肩を抱いて、織田くんは俯いている。

 何か――あったんだろうか?


「織田くん〜! メイちゃ〜ん! 立候補取り消しはなかったよ〜! これでまた頑張れるよ〜! 心配かけてごめんねー」


 小走りで二人にかけよって良いニュースを伝えた。

 それでもメイちゃんの表情は晴れず、辛そうに眉を寄せて「そっか、良かった」と、全然良くなさそうに、つぶやくだけだった。織田くんに至っては、何かショックを受けた後みたいに、うなだれている。


「――どうかしたの?」


 心配になってたずねるわたしに、メイちゃんは無言で、後方の人だかりの方に目を向けた。その原因があの人だかりにあるとばかりに。


「見てくるね……」


 わたしも今川くんの後を追って、廊下の掲示板へと向かう。

 ひとだかりをかき分けて、掲示板の中を覗きこむ。

 みんなが見ていたのは、予備選の結果を掲載した壁新聞じゃなかった。

 その隣に貼られたいくつかの写真。そして煽るような誹謗中傷の言葉。


『児童会長候補の織田呉羽は、女装する変態男子だった!』


 張り出されていたのは、大きく引き伸ばされてプリントされた写真だった。

 それはあの日、二条駅前で、有栖川くんと向き合った織田くんの写真。織田くんがウィッグを取った前と後の写真。女の子みたいな織田くんと、ウィッグを取っていつもの黒髪にもどった織田くんの姿が並べて張り出されていたのだ。

 ただ、織田くんのことを傷つけて、選挙戦の足を引っ張ろうとするように、その掲示された写真に並べて張り出された文書は、ただ悪意に満ちて、面白おかしく書き立てていた。


 織田くんの――わたしの騎士ナイトさまの心に刃物を突き立てて、ぐちゃぐちゃにするみたいに!

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