#21 ごめんね。
十二月半ば。都内、繁華街外れの小さな公園。夜。
「で、どうなったの」
「今は謹慎中です。さすがに“やり過ぎ”たようで。追って処分が下されると思います」
「あっ、そう。アホなことしたもんだよ、お前も」
「自分でもそう思います」
あれから数日。モリワキは自分のしたことを全て上部に報告し、現在の立場から降ろされた。今は部下が引き継いでいる。
「じゃ、ここにいるのはマズいんじゃねえのか。しかもオレ呼びつけて」
「マズいでしょうね。でもブスジマさんには一応報告しないと、と思って」
「勘弁しろよ。オレまで巻き込まれたらどうすんだよこの野郎」
ブスジマはベンチの背に身体を預け、内ポケットから煙草の箱を取り出す。
中身は空だった。モリワキはそれを見て、自分の煙草を一本差し出す。
「まだメンソールなんて吸ってんのか」
そう言いながらブスジマは受け取る。
「そろそろ止めますよ」
「昔もそう言ってたよな」
モリワキは白い息を吐いて空を見上げる。
冷たく澄んだ空気。だが高層ビルと街灯に阻まれ、星は見えない。
「“アレ”はたぶん、本当は、俺達が関わっちゃいけないものなんだと思います」
「今さら何を言ってんだよ」
「ええ、今さらですよ。俺は何であんなに躍起になってたんでしょうね。そりゃあ、確かにアイツがクシタニさんに危害を加えたこと……それが引き金になったってのはあります。でも、時にはそれを忘れることすらありました。ああいう理不尽でワケのわからないものを追いかけ、追い詰めること――ただそれだけに夢中になっていたような。まるで、元魔法少女の――魔女の“魔力”に絡め取られたような」
モリワキは自らも煙草に火を付ける。
「ブスジマさんは刑事だった頃、どうしてあんなに犯人を追いかけることに全力になっていたんですか」
「覚えてねえよ」
「俺は……ブスジマさん、あの頃のあなたは、まるで“人間を見ていない”ような気がしていました」
ふっ、とブスジマは口角を上げ、鼻で笑った。
「人情もクソもなく、自分自身すらも捨ててひたすら事件を追い、どんなことをしてでも解決して……そこまでやれる刑事はほとんどいない。そういうのに俺は憧れていたんですよ。でも、俺はそうはなれなかった。俺は、かつてのあなたみたいにはなれなかった」
だが――今の彼は、どこか変わったように思える。かつての狂気はそこにはない。代わりに(刑事としての直感だ)“別の狂気”を孕んでいるようにも見えた。
「もう、しばらくあなたと連絡を取るのは止めます」
「あっ、そう。それがいいよな」
モリワキは煙草を踏み消す。
「あと、最後に一つ」
「?」
「ブスジマさん。俺が言うのも何ですが、彼女らには――元魔法少女には、もう関わらないほうがいいですよ。例えどんなことがあったとしても」
ブスジマは薄く笑った。
「オレ、監察局の局員だぞ。仕事辞めろって言ってるようなモンだろ」
そういう意味ではない、と言いたいのは分かっているのだろう。それはどこか自嘲の笑みにも見えた。“今さら何を言ってる”とも言いたげな顔だった。
そうして二人は別れ、ブスジマは一足先に夜の街へと消えていった。
モリワキはそれから彼の姿を見ていない。
―――
同日。繁華街。
元魔法少女と思われる人物による事件が発生、という連絡を受け、モリワキから立場を引き継いだヨシムラは現場へと駆けつけていた。
数日前の事件のことがあってから捜査網を広げていたのだ。だから、まさか、と思った。
果たして、現場にいたのは二人の女と、肩から血を流して壁にもたれかかる小太りの男が一人。
「……こんなことしやがって、このクソアマが」
男の顔には覚えがあった。死鉤爪の“元”メンバーだ。グループ内では主に運転手を役目としていて、先日の現場には姿を現していなかった。いわば残党の一人だ。
呻く彼の肩口は服ごと爆ぜたような傷跡があり、露出した皮膚は赤く抉れている。まるで“銃弾に撃たれた”ような痕。
現場には既に数名の警官がいて、容疑者と思われる二人の若い女を囲んでいる。二人はどちらも小柄で、先日の事件で逃走した特徴とは似ていない。別人だろう。
「違うんです! チナツは悪くないんです!」
女の一人は地面にへたり込み、かちかちと歯を鳴らし、身体を震わせていた。右拳をもう片方の手で押さえ込み、“自分がやってしまったこと”の結果を見て呆然としているようだった。その右拳には鮮血がべっとりと付着し、身に着けている服にも返り血がついている。
そしてもう一人の女は、震える血塗れの女に抱きつき、庇い、周囲の警官達に向けて必死に訴えていた。服は乱れており、肩からは強引に引っ張られたと思しき下着が露わになっている。
「……ん……んね……ごめんね……うう……」
「この人が、いきなり路地裏に引っ張り込んで。あたし、何も出来なくて、そしたらチナツが……」
警官の一人が資料を手にしてヨシムラの元に近寄る。男には婦女暴行の前科があった。死鉤爪のメンバーになってからは無かったようだが、おそらく“タガが外れた”のだろう。
「だから! あたしが悪いんです! あたしが襲われなかったら済んだだけで……チナツはあたしを守ろうとしてくれただけで。だから、この子は全然悪くないんです!」
訴えが本当だとすれば正当防衛。しかしそれは“拳の一撃で肩の肉ごとぶち抜いて”いい理由にはならない。
「うるせえ! ッ……クソ痛ぇ……おい、俺の肩をよくも、こんな……人間にこんなことしてんじゃねえよ! いいか、テメエらなんて人間じゃねえんだよ、このバケモノが!」
男は痛みに呻きながらも、二人に暴言を吐く。警官達はすぐさま制止にかかる。
二人はお互いの身体を抱きしめ、嗚咽に震える。
ヨシムラは男の傷口と女の右拳を交互に見て戦慄する。ただの打撃でこうはならない。“人間離れした”一撃。これを? あんな女の子が、拳で?
これが“元魔法少女”の力。バケモノだというなら、確かにバケモノだろう。
こんなモノを、モリワキは相手にしたのか。
遠くで救急車のサイレンの音が聞こえる。
警官達は二人に毛布をかけ、現場の収集に動きだした。
―――
後日、チナツと名乗る女はこう言った。
――なんでこうなっちゃったんだろう。
――使っちゃいけないって分かってたのに。
――でもあの時は、自分が自分じゃなくなったような感じがして。
――ずっとついてまわってる。
――こんなの、いらなかったのに。
―――
「なんでこうなっちゃったんだろうね」
十二月某日。早朝。
二人の女はベンチに腰掛け、遠くを見つめていた。
吹き付ける冬の海風が、身体を容赦なく冷やしていく。
「なんで、も何もないか」
外はどんよりと低い雲に覆われ、鈍色の海と灰色の空が広がっている。
「寒い?」
小柄な女が――ユイが優しく声をかける。もう一人の高身長の女――ミナミは無言で首を横に振る。今の彼女にとってはこの冷たい風すら心地良いらしい。サングラスとマスクで覆われた顔から、その表情は読み取れない。
「私はちょっと寒いかな」
やがて二人はベンチから腰を上げ、部屋へと戻っていく。
洋上。北海道行きのフェリーにて。
人もまばらなロビーを過ぎ、暖房の効いた部屋に戻った二人はベッドに腰掛ける。
客室の中でも上等なツインの個室。乗船名義はユイで取ってある。さすがに乗船時は少し緊張したが“お連れ様”のことを深く訊ねられなかったのは幸いだった。
乗船し、夜を越し、目的地まではあと数時間。ゆらゆらとゆっくり揺れる船内。最初の内は船酔いと嘔吐を繰り返していた二人も、だいぶ慣れてきた頃。
ユイはバッグから旅行雑誌を手に取り、ミナミの前に広げた。
「降りたらどこに行こうか」
ミナミはサングラスとマスクを外し、軽く息をつく。
「どこでもいいよ」
そう言って彼女は穏やかな笑顔を浮かべた。顔半面の火傷痕は相変わらず痛々しく見え、さらに首筋にも赤く痕が残っている。
「もう! 行きたいところがなかったら決められないじゃない?」
「あたし、ユイと一緒だったらどこでもいい」
ミナミは浅く息を吐く。
「まだダルい?」
「ううん。大丈夫」
ギフトの暴走、そしてその反動は、ミナミの身体に少なからぬダメージを与えていた。身体にはまだ熱がこもっていて、全身は重なる筋肉の酷使によって痛むのだという。以前までの彼女とは、何もかもが変わってしまっていた。それでも、ミナミはミナミだ。そこだけは変わっていない。
あれから――二人はアパートから出来るだけのモノを持ち出し、逃げた。もはや頼れる場所はない。いつまで逃げ切れるかも分からない。だから、二人はかねてより計画していたことを決行した。すなわち温泉旅行である。島へ行きたいという希望があって、場所は北海道にした。帰るあてのない、行ったきりの気ままな旅行。
「どうせならうんと寒いところに行こうよ。もっと北のほうとか」
「でも、すごく広いんでしょ?」
「時間ならいくらでもあるじゃない」
「そうだね。ふふ。あたし、楽しみなんだ。本当だよ」
ユイはミナミの隣に腰掛け、肩へともたれかかる。ミナミもまた、そんな彼女を慈しむように寄り添う。静かな部屋の中で、二人はしばらくそうしていた。
「ねえ、ミナミ」
「うん」
「十七回」
「?」
「あの日から、ミナミが私に謝った回数。ごめんね、ごめんね、って何回も」
「……うん」
「でも本当は、謝るのはこっちなの。大切なことを言えなかったから。だからミナミを危険な目に遭わせた。言ってたら、こうはならなかったかもしれないのに」
「どっちにしたって、あたしはもう行き着くところまで行っちゃってたんだよ。今さら引き返せなかった。何があってもそれはあたしのせいだし、仕方ないかって思ってた。でもあの時、いざ追い込まれた時に――やっぱり嫌だって思った。ユイと会えなくなったら、やってきたことに意味なんか無くなっちゃうから」
ミナミはユイの前髪を優しくかき上げ、額同士を当てる。
熱をもったその額は、海風に冷えた肌には熱いくらいだった。
「確かに、あたしは“ああなる”と、自分が自分じゃなくなるような感覚がある。“エンフォーサー”の言ってた通り、衝動にかられて自我を失ってしまう。あの時もそうだった。でも、ユイが助けにきてくれたのは、すごく嬉しいって思った」
「迷惑じゃなかった?」
「そんなわけないじゃん」
あの日――ユイは、自らのギフトを使った。“ライトウェイト”。身体能力を何倍にも引き上げ、尋常ならざる速度で跳び跳ね、どんな体勢からであっても着地できる能力。だが、助けに来たはずのユイはギフトを上手く使いこなせず、やはりミナミに頼る羽目になり、彼女が持っていた激情の引き金を引くきっかけになってしまった。そうして罪を重ねてしまった。
後悔してばかりだ。お互いに。
「だからさ。色々あるけど、もう後ろは向かないでおこうよ。もう二人とも“ごめんね”は無しにしよう」
そう言って、ミナミはユイにキスをした。小鳥の啄むような、軽いキスだった。
「ひとりぼっちの二人が出会って、ひとりぼっちじゃなくなった。それだけでいいんだよ。何度も言ってるでしょ。それは変わらないの。この後はもうなんだっていいの。世の中がどうなっても、あたし達はずっとこうしていればいいの」
「そうだね」
ユイは応えた。
「地獄が終わって、それでもあたし達はまだ続いている。続いている限り、今がいちばん幸せなんだから」
いつまで続くのか。
きっといつか終わりは来る。
きっと世の中は、二人を赦してはくれない。
でも、それまでは、めいっぱい幸せな時を過ごそう。
二人は窓を見る。曇り空の一部から薄明が差し、鈍色の海を照らしていた。
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