#19 何か考えてる?

 十一月末。西東京、某市。某所。喫茶店。


 予定の時間にブスジマが来るや、喫茶店のマスターはいつものようにドアの看板を『CLOSE』に返し、そして一枚の封筒を手渡した。宛名だけが書かれた地味な茶封筒だった。


 ブスジマは席に着く。何も言わずともアイスココアと灰皿が出てくる。

 咥えた煙草に火も付けずに封を切る。中には一枚の手紙が入っていた。


 ――直接ではなく、手紙でお伝えすることになってしまってごめんなさい。


 その書き出しから始まる、丁寧な字で書かれた文章。

 差出人はホノカだった。


―――


 あれからのこと。


 職場の休憩室で倒れたホノカはそのまま病院に担ぎ込まれ、意識の戻らぬまま即入院となった。病名は急性呼吸窮迫症候群。ただ、後から聞いた話によれば、医者の診断では何の先行疾患もなく、なぜ突然そのような状態になったのか皆目見当もつかなかったのだという。

 当然といえば当然だ。ホノカが倒れたのは他でもない、自らのギフトが暴走したことによるものだったのだから。結局、監察局の介入もあったのか、そのあたりは有耶無耶のままに収束した。


 そして二日後にホノカは目を覚ました。まず病室にいたのは、泣き腫らした顔でベッドに寄り添う母親だった。それから少しあって、連絡を聞きつけたササキや、他の同僚達も見舞いに来た。目を覚ましてさえ、ホノカは周囲に謝ることしかできなかった。自分のせいで皆に迷惑をかけたことをいつまでも悔やんでいた。

 そんな彼女にササキ達は「もう謝る必要はない」と告げた。


 数日が経って、ホノカは退院した。だが元通りではない。彼女の身体はギフトを手に入れる前――呼吸器が弱かった頃に逆戻りし、もう使うこともないと思っていた吸入器もまた使うことになった。鍛えていた身体も、あっという間に青白く痩せ細ってしまった。

 ギフトが消えたわけではない。おそらく……使おうと思えばまた使える。しかしかつてのように使うことはできないし、再び暴走したら今度こそ命はないだろう。


 退院してから少しして、ホノカはアルバイト先であるアントマン西東京営業所を訪れた。噂になっていた元魔法少女による暴行事件の件もあったのか、アントマンは多少の風評被害を被っていた。だから、これ以上自分がここに居ては迷惑がかかる、と決心した故の行動だった。

 所長はホノカの持ってきたアルバイト退職届を受理した。本社の意向もあって、もう“元魔法少女を雇うことはできない”のだという。そして受け取った退職届の代わりに、彼は一枚の用紙を差し出した。「ちょうど今から正規経理事務の求人を出そうと思っていたところなんだが」という言葉と共に。


 こんなに迷惑をかけた自分がいていいのか、とホノカは念を押した。


 所長は「元魔法少女でもなければ年齢や経歴は問わない」と言った。

 もし何かあったら、営業所の全員でシラを切り通すつもりなのだとも。


 そうして、ホノカは決心をした。

 局の支給にも頼らず、元魔法少女ではなく、自立した一人の人間として生きる。そんな決心を。


―――


 ブスジマは手紙を読み終え、封筒に戻す。


 そもそも今日ここに来たのは面談の日程があったからではない。本来は空白になっていた日だ。先月のこともあったから、どうせそんな理由だろうと踏んでいた。

「で、何だ。お前、わざわざここで手紙を読ますためだけにオレ呼んだのか」

 アイスココアを一口すすってから、ブスジマはカウンターに向かってそう言った。


「あの子に頼まれたからね。今時珍しい、律儀な子じゃない」


 カウンターから女の声。

「正規の予定じゃねえから、ここ来るまでの交通費も出ねえんだぞ」

「そんなこと言って。本当はフられちゃって寂しい?」

「ガキに手紙一つ寄越されたくらいで寂しいもあるかバカ野郎」

 マスターはくっくっと笑い、テーブルに皿を一つ置いた。手紙を読んでいる間に作っていたらしい、照焼チキンのホットサンド。

「おい、こんなの頼んでないよ」

「お腹空いたんじゃないかと思って」

「……代金は」

「“正規の予定”じゃないから、ちゃんと頂くわよ」

 ブスジマは舌打ちし、それからホットサンドにかぶりついた。

 そもそも正規の予定でないというなら、看板をCLOSEに返す理由もないのだ。単にこの女の“お節介”なのだろう。


 監察局は元魔法少女の面談の場として、たいてい近場の喫茶店を利用する。約一時間の貸切りで、店のオーナーには供される飲食代や口止め料も込みで相応の料金を支払っている。


 中でも、この喫茶店は少々特殊だ。喫茶店そのものではなく、そのオーナーが。


「今回の子達、結構色々抱えてるのね。まあ“何も抱えてない”子なんてそもそも居ないか」

「ガキどもの相手するの、毎回疲れるんだよ。オレの苦労、わかるだろ」

「まんざらでもないように見えるけど」

「そんなわけねえだろ」

 マスターは自分の分のコーヒーを淹れ、カウンターの席に座る。

 三十前後だという年の割には幼くも、あるいは落ち着きすぎているようにも見える。一見して年齢不詳だ。


「オレじゃなくてお前が面倒を見てやりゃいいんだよ。その方がよっぽど適任だろ」


 当てつけも含めてそう言うと、マスターは笑って返す。

「前に言ったと思うけど。私はただの喫茶店のマスターで、監察局とは何の関係もない。店として依頼を受けて、契約通りにしてるだけ」

 よく言う、とブスジマはホットサンドを平らげ、また舌打ちをした。


―――


「お前、ギフトの暴走やら何やら、実際は分かってたんだろ」

 火の付いていない煙草を咥えたまま、ブスジマはマスターを睨む。

「ある程度はね。でも体質やきっかけなんて人それぞれだし、はっきりした答えが出るわけでもない。迂闊に言えるものじゃない。知っていても言わないけれど。元よりそっちには関わらないって決めてるから」

 食えない女だ。ポケットからライターを取り出そうとすると、マスターはそれを片手で制した。

「そのまま、動かないで」

「?」

 制した掌をくるっと返し、マスターはブスジマを見据えたままフィンガースナップする。ぱちん、と店内に音が響くと共に、咥えていた煙草の先に火が付いた。

「それがお前のギフトか。気にくわない奴なら誰でも“燃やせる”な」

「例えば、私がコレを使いすぎて暴走したら、どうなっちゃうかしら」

「自分が燃えるかもな」

「かもね。でも“こんなモン”がまともな実生活で役に立つ機会があると思う?」

 そう言って、彼女はコーヒーサイフォンの傍にあるライターを手に取る。

「火を付けたければ、ライターを使えばいい」


 “マスター”。本名不詳。


「そもそも自分が持っているギフトを明らかにすること自体が相当にリスキーな行為なの。私達くらいの年代じゃとても考えられない」


 またの名を元魔法少女――第二回帰還者“パイロマンサー”。


「危なっかしいことをやってるな、って思うわ。監察局も、それを利用する子達も。それから――フロイントシャフト、だっけ?」


 得意料理は照焼チキンのホットサンド。

 そして、手作りジャムを添えたベルギーワッフル。


「ちなみに私がギフトを使ったのは数ヶ月ぶり」

「煙草じゃなくてオレが燃えたらどうするんだよ」

「そんなヘマしないわよ」

 ブスジマは顔をしかめる。

「でも――不安定なのは事実よ。“帰還”してから十年以上も経ったけど、これがいつまで使えるか分からない。いつ暴走するか、何が起こるかも分からない。元々、コレはそういう、迂闊に触っちゃいけない爆弾みたいなものなの」

「そこまで分かってんなら、尚更コイツもすぐに止めてやりゃ良かったんじゃねえのか」

 茶封筒を指ではじく。

「言ったでしょ。そっちに関係ないし、介入する気もないって。私はただの喫茶店のマスター。監察局と契約したのも単にカネ払いが良かったから。“元魔法少女”という肩書きなんて、私もとっくに捨ててる」

「じゃあ何で今こうやって話してるんだよ」

「さあ。どうしてかしら」


―――


 言われたとおり、少々お節介だったかもしれない。


 “貸切り”の時間が終わり、きっちりと会計を済ませて出て行こうとするブスジマにマスターは声を掛ける。

「もう一人、いるでしょ」

 ブスジマは振り返りもせず、その場で足を止めた。

「ヨウコちゃん、だっけ。私が言うのも何だけど……そっちはそっちで、お節介にしては少し深入りしすぎているように見えるけど」

 彼は一切応えない。

「何か考えてる?」

「……なんもねえよ」

 それだけ応えた。

「なら良いけど」

 そうしてブスジマは一切振り返ることなく、店から出て行った。


 あの男も、ヨウコも、かなり危うい。

 前任も含め、監察局と元魔法少女のやり取りは多く見てきた。こちら側もそうであるように、監察局の局員に求められるのも“あくまで他人同士”という距離感だ。しかしブスジマはそれを静かに超えようとしている。ヨウコもまたそうあろうとしている。雰囲気で分かる。たびたびブスジマが取り出すあの写真の正体も含め、おそらく何かがあるのだろう。


 だが自分が出来ることは何もない。何をするつもりもない。

 看板をOPENに戻し、午後の営業を再開する。


 自分は、ただの喫茶店のマスターだ。それ以上の者ではない。


―――


 夕方を過ぎた頃。


 一般の客に混じってヨウコが顔を出した。実はこのところ、彼女は面談以外でもよくこの店に来ている。何をするわけでもなく、ゆっくりとコーヒーを飲み、そして帰っていく。


 その頻度が、最近増えている。


 今日もそうだ。一杯のコーヒーで一時間半。

 どこかから逃げてきた。どこにも居場所がない。


 そんな印象だった。


―――


 同時刻。多摩川沿い。


 ブスジマは“寄り道”を済ませ、帰路に着く。途中で川沿いの自転車道路を歩く。


 ポケットから写真の切れ端を取り出す。長く持ち歩いていたせいか、写真は擦り切れかかっており、そこに写る少女の顔もよく見えなくなっている。かすれた記憶と同じように。


 ――行き場のない感情。感覚。その行き先。


 深入りしている、と言われればその通りなのだろう。 


 ホノカは自立し、局からの保護を断ち切り、立派に飛び立っていった。

 だから、もう他に何かを考えることもなくなった。

 だから、やるだけのことはやってやった。


「……」


 ブスジマはもう一度写真を見て、少女の名前を静かに呟く。

 何度呼びかけても、少女の表情が変わることはない。

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