#16 ただの世間話。
十月末。警視庁、某警察署。取調室。
「取り調べって、こんな感じなんですね。もっとこう、机バンバンされたり、グイグイくるかと」
シンゴにとっては精一杯の軽口だった。
「実際はそんなこともないからね。こちらもできる限り協力してほしいけれど……今は喋りたくないというなら喋らなくても構わない」
取り調べ担当の男性は自らをヨシムラと名乗った。
――シンゴが捕まったのは数日前。詐欺の受け子をやっていたところを、以前から目を付けられていた警察によって逮捕されたのだった。
「協力的で助かるよ」
「はあ……」
取り調べで聞かれたのはもちろん死鉤爪のことだ。質問の全てにシンゴはあらいざらい答えた。
一度捕まってしまえば、自分の中で色々と吹っ切れた。黙秘するようなことも特にない。所詮、自分は末端に過ぎないと分かったし、ケンジ達が何をやっていたのか、自分はどこまであの組織について“知らないこと”ばかりだったのかを再確認した。そう考えてしまえば隠す必要もなくなっていった。死鉤爪がどういうグループであったのかも、警察の口によって聞かされた。そして……あの日、自分が運んだ包みの正体が何であったのかも。
だからといって、シンゴに後悔や慚愧の念があるわけでもない。ああそんなものか、と思う程度だ。担当のヨシムラは人当たりもよく、取り調べは世間話も絡めながら淡々と進んだし、シンゴも素直に応じた。これから自分はどうなってしまうのか。どれほどの罪を負うことになるのか、それすらもシンゴにはどこか他人事のように思える。
「じゃあ、今日はここまでにしようか」
「“今日は”?」
―――
翌日。夜。都内某所、ガールスバー・マジカルドリーム。
「と、と、と、と……」
ユキがバースプーンに沿わせてリキュールをゆっくりと流し込んでいく。
「これで二つ目!」
ショットグラスの中にはコーヒーリキュールとアイシッリュクリームが注がれている。その二つは比重によって混ざらず、きれいな二層を形成していた。
「チナツ、どう? ヘンに混ざってない?」
「大丈夫、うまくいってる。今んところキレイ。よし、次で最後だからね。ええと……オレンジリキュール」
シェイクやステアではなく、中身をあえて混ぜず、色の層にする(プースカフェスタイルと呼ばれる)。オーダーが入った時にはどうしようかと困惑した。なにしろユキが練習したのはシェイクのみで、そんな芸当など一度もやったことがなかったからだ。
カクテル名すら初めて聞いた。スマホでレシピを確認しつつ、材料を注いでいく。失敗してもいいから作ってみてくれないか、とは言われたが、曲がりなりにも代金をもらう以上は失敗するわけにはいかない。オーダーした客はユキとチナツがショットグラスを前に奮戦している姿を見て、少し離れたカウンター向こうの席で静かに笑っていた。
「でも」
オレンジリキュールのボトルを手にしつつ、ユキとチナツは小声で話す。
「いきなり来た時はちょっとびっくりしたけど」
「私だってそうだよ」
「……“今日は”お客さんでいいんだよね?」
「そう言ってたし」
「だよね」
「ユキ。お客さんが来たらちゃんと楽しんでもらうのが私達の役目。そうでしょ?」
「うん、そうだね」
最後のオレンジリキュールをバースプーンに沿わせ、ショットグラスの中で三層目を作っていく。
「……よし、できた!」
黒、白、オレンジの三層を成したショットグラスを慎重に持ち、カウンター向こうのバーテーブルに置く。
「お待たせしました。あ、えーと。けっこう上手く出来たと思うんですけど。で、ええと。な、名前は何でしたっけ」
目の前に置かれたそれに関心しつつ、男性は応える。
「“B-52”。いわく、爆撃機のように強いカクテル、って意味らしい」
そういうと男性は――モリワキはひとしきりグラスの中身を眺めたあと、一息にそれを飲み干した。
「これは……作ってもらっておいて何だが、甘いだけだな」
名前が気になって注文したものらしいが、その名に反してオレンジケーキのような甘ったるい味、だったとのこと。
「見た目で楽しむカクテルですからね」
「何はともあれ、無茶な注文に応えてくれてありがとう」
ユキに礼を言うと、続けてモリワキはバーボントニックを注文する。またステアだ(今のところ、ユキが一生懸命練習したシェイクを披露する注文は一度も来ていない)。
彼が来店した時、当然ユキとチナツは警戒した。顔に見覚えがあったからだ。数ヶ月前、営業調査でやってきた男。だが彼は、そんな二人の顔を見透かしたようにこう言った。
「仕事じゃない。今日はオフだよ――ここの店長さんに“今度は客として来る”って約束したからな」
その言葉に偽りはなく、モリワキはあくまでカウンターで粛々と酒を飲んでいた。執拗に絡んでくることもなければ、声が大きいわけでもない。ともすればそこにいることを忘れるかのように、一人静かに飲んでいる。酔って粗相をはたらく客に比べれば、彼女らにとっては上客だ。
平日夜。やはり客は少なく、店内のBGMも抑えめ。
良からぬ噂のせいかもしれない、とは二人も聞き及んでいる。都内であったと噂される、元魔法少女による暴行事件。客の入りが減ったことと関係があるかどうかは分からないが、とかくこういった話題は広まりやすい。二人が心配することではない、とアカネは言っていたが、それでも気になるものは気になる。
「ところで、ここの店」
バーボントニックを飲み干したモリワキが呟く。
「――“指名”はできるのかな」
前言撤回。
―――
数刻後。
「本当は“そういうお店”ではありませんの」
「そりゃ、申し訳ないことをした」
「とはいえ今日はご覧の通りお客様も少なく。ですので……特別、ということにして頂けると助かりますわ」
事務室の一角で、アカネは突然の来客にも冷静に対応していた。後ろでは、アンナが常に彼の一挙一動を見張っている。モリワキはしかしそんな状況にも関わらず、真っ直ぐにこちらを見据えている。酔った勢いで来たようには思えない。
「何かお飲みになりまして?」
「結構、と言いたいところだけど、指名しておいて何も頼まないのもよくないな。じゃあ、バーボントニックをもう一杯」
注文を聞き、アカネはアンナを使いに出す。
「煙草を吸っても?」
モリワキは内ポケットを掌で叩く。
「ええ。私もご一緒にさせて頂いてもよろしいかしら」
「もちろん」
アカネは机の下から細身の紙巻き煙草を取り出し、火を付ける。
普段は滅多に吸わない。脛に傷のある過去を持つ者も少なくない中では、煙草の匂いを嫌う娘もいるからだ。例えばそれは親族であったり、元彼であったり。ユキもそうだと言っていた。親族に利用された記憶が煙草の煙と共に蘇るらしい。客商売をする上では耐えてもらっているが。
しばらくして、アンナが音もなく戻ってきた。テーブルに二つのグラスが置かれる。
「アカネさんは何を?」
「ロングアイランドアイスティーですわ。私、“紅茶”が好きなもので」
二人は軽くコリンズグラスを打ちつけ合う。
―――
モリワキの後ろを守るものは一切ない。今日は刑事としてではなく、客として来た。それはつまりこちら側にも拒否権があるということだ。タチの悪い客として追い出し、そのまま出禁にすればいい。今の状況ならそれが出来る。
だがアカネはそうしなかった。身分を利用することなく単身で踏み込んできたというなら、何かがあるということだろう。それは見逃すべきことでない――と、アカネは経験上理解している。
「最近、妙な噂が広がってるの、アカネさんも知っているだろう」
そういえば、今日は下の名前で呼んでくれているな、と気付く。
「元魔法少女による暴行事件、でしたかしら」
「よくご存じで」
「こういうことをやっていると、耳にも入って参りますから」
「グローイング・ワン」
「ええ。あの方々が何か」
「連中、さんざんにやられた腹いせに、ネットやらSNSに映像を流しているらしい。以前、別件で検挙した一人に聞いたら吐いた。どこであんなものを手に入れたのやら」
アカネはストローでカクテルに口をつける。ビルドが難しいロングアイランドアイスティーだが、分量もバランスよく仕上がっている。本人は不服だろうが、チナツはそのあたりのセンスがいい。
「無法を働く元魔法少女の存在には、私どもも胸を痛めております。ところで、何故そんなお話を?」
「なに、ただの世間話だよ」
アカネもそうなら、モリワキもまた隙を見せない。
「ところで――これも世間話だが――最近、俺の知り合いが障害事件に巻き込まれてな」
「お気の毒様ですわ」
「いわく“とても人間の力でやられたとは思えない”打撃だったらしい。鈍器の後もなく、単純に殴られただけなのに、だ」
二人はそれきり無言になる。間を、冷たい空気が流れる。
モリワキはバーボントニックで口を湿らせ、続く言葉を紡ぐ。
「酒に酔った勢いということにして、単刀直入に言おう。アカネさん……いや、フロイントシャフトは“どこからどこまで関与してる”?」
―――
「ゆるやかな互助会、相互扶助組織。大抵、はじまりはみんなそんな感じで“健全”なものだ。だがそれが発展して何になったかを、俺達は嫌というほどよく見ているし、今も相手にしている」
「私どもはルールの範囲内で“健全”に活動しております。それは変わりませんわ」
「見回りをしていただけの警官を後ろから殴るのもルールの範囲内だというなら、あんたらはずいぶん社会を舐めているものだ」
モリワキの言葉に、ほんの少し熱がこもる。二十五度のアルコールを口にしながら、アカネは彼に悟られることなく思考を巡らせる。
「では、私も単刀直入に申します。モリワキ様。“ご希望は”?」
「あんたらが死鉤爪に寄越した元魔法少女の情報が欲しい」
「私どもが――フロイントシャフトが、あの方々に関与し、メンバーを派遣していると?」
「そうは決めつけてない。ただの推察だよ。推察で組織は動かない。だからこれはただの“世間話”だ。あくまで酒で饒舌になった客の独り言、名探偵の推理もどきとして聞いてもらえればと思ってな」
「それはそれは。見事なご推理ですわ」
モリワキが煙草をくわえたタイミングで、アカネはライターを取り出し、テーブルごしに火を付ける。モリワキは礼を言い、続けてポケットから紙切れを一枚取り出す。
「そういえば、話は変わるが――」
A4用紙が一枚。学生証のコピー。
「あの子。チナツちゃんって言ったっけか。接客もよければ器量もいい。年は十八だったか、ここで働くのも法令的には問題なし。――高校生じゃなければ、の話だが」
モリワキは口の端をつり上げて笑う。だが目は笑っていない。これはアカネも初耳だ。本人はもう学校なんかとっくに辞めた、と言っていた。だからここで働くことを許可した。だが目の前にあるコピーには、まさに彼女の高校在籍中を示す証拠だ。
「ちょっと、あの娘の過去を調べさせてもらってな」
刹那――背後のアンナが殺気をまとうよりも早く――アカネはテーブル下に手を入れ、“それ”をモリワキに突きつけた。
アカネの顔色から一切の笑みが消える。ガールズバーの店長としてではなく、元魔法少女“エンフォーサー”としての、冷徹な顔。
そしてその手に握られたのは、一丁のソードオフダブルバレルショットガン。
本来、飲食店の事務室にあってはいけないものだ。
鈍色に光る二連の銃身に睨まれてなお、モリワキはしかし動じることなく言葉を続ける。
「これを公表するかどうか、ちょうど迷ってるんだよ」
部屋の中の空気が変わった。
「……」
誰にだって言いたくないことはある。だからフロイントシャフトという組織がある。アンナも、ユキも、チナツも、みんな同じ。過去を探られたくはない。だがこの男はそこに踏み込んできた。故にアカネは“抜いた”。疑われたとか、脅迫されたとかが原因ではなく、それが理由だ。
背後にいたはずのアンナもまた、音も無くモリワキの背後に移動し、フォールディングナイフを手にしていた。
「風営法違反どころじゃなくて、銃刀法違反も追加だな」
モリワキはナイフとショットガンの両方を突きつけられつつ、それでも臆せず煙草を吸っている。
「だが、今日の俺は刑事じゃない」
「ずいぶん余裕がおありのようですけれど」
「ナイフはともかく、弾の入ってないモノを突きつけられてもな」
アカネは小さく息を吐き、ショットガンの銃口を下ろす。トップレバーに指をかけ、ブレイクさせる。モリワキの指摘通り、中に弾は込められていなかった。
「持っているだけで違法の代物だがな。そんなもの、何処で手に入れた?」
「ええ。色々とございまして」
アンナに目配せする。アンナは殺意を堪えつつ、フォールディングナイフを袖下に納め、ゆっくりと元の位置と戻っていく。
「俺の言いたいことが分かってもらえたようだが」
アカネもまたショットガンをテーブル下に戻し、一呼吸置いてからモリワキの顔を見据える。
「確かに――モリワキ様のご用件、お伺いいたしましたわ」
―――
そうして客は去り、事務室内には再び静寂が戻った。
煙草の匂いを感知した空気清浄機が唸る。その音だけが、ごうごうと耳につく。
「お姉様」
アンナはテーブルに水を置く。
「ありがとうアンナ。……少しだけ、私を一人にして頂ける?」
アンナは不安そうにアカネを見ながら、部屋を後にした。
「……」
――元魔法少女にも色々な種類がある。
あの地獄でのトラウマや現実に戻った時のギャップ、そしてギフトを得たことで彼女らは変質する。だから多くは社会に馴染めない。
そして、大きな力を手にした者ほど“生きづらい”と言われている。
ミナミもその一人だった。元魔法少女“ジャガーノート”。
数ヶ月前、アカネの元に現れた時、ミナミは切実に悩んでいた。何をやっても上手くいかない。カネを稼げる仕事を紹介してほしい。そんな彼女の願いを拒まず、アカネは仕事を斡旋した。ガールズバーの従業員ではなく、溜まりに溜まった“力”を振るうことの出来る、ミナミに最適な職業を。
ユキやチナツにはギフトを無闇に使ってはいけない、と言っている。その反面、そうすることしか上手く生きられない者達には、それに相応しい場を用意することもある。
何をしてもいい。使えるものは使ってやる、とミナミは言った。だが実際は“使わなければどうしようもない”状態に陥っていたのだ。彼女はいわゆる戦闘狂い(ウォーモンガー)と成り果てていた。
それに対する罪悪感はある。故にアカネは彼女にこう付け加えた。ギフトに頼りすぎてはいけない。自己を保ち、どんな時にも冷静に判断しなければならないと(だから彼女は元魔法少女をドイツ語で魔女……“ヘクセ”と呼称することがある。ギフトが“贈り物”ではなく“毒”であることの戒めとして)。
だが甘かった。
アカネは椅子にもたれかかり、天井を見上げる。
部屋の隅には、古ぼけたウサギのぬいぐるみがちょこんと座っている。
当然、例の暴行事件の話題は耳に入っていたし、それがW……もといミナミのことではないかとは踏んでいた。モリワキは、それをフロイントシャフトが主体的に行った仕業ではないかと睨んでここに来たのだ。
そう勘違いするのも当然ではある。実際、アカネは死鉤爪にミナミを斡旋するだけで終わらせてしまっていた。もう少し見ているべきだったのだ。彼女があちこちで死鉤爪の言いように使われ、“やり過ぎ”てしまっていることは予想外だった。ミナミは静かに暴走を始めていた。半グレ同士の潰し合いだけならともかく(正直なところ、それを狙っていたのも確かだ)まさか警官まで手に掛けていたとあっては、もはや擁護することもできない。
もちろん彼女一人のせいだけだとは思っていない。そこはアカネにとっての矜持でもある。“ジャガーノート”としてのミナミの性質、そして死鉤爪を含めた半グレ達を追うモリワキの執念。それらを見極められなかったこと。自分のツメの甘さも原因だ。
だからそれは苦渋の決断だった。アカネはモリワキとの取引に応じ、ここマジカルドリーム、そして他にもいる元魔法少女も含め、決着をつけた。それから彼は噂の収束にも尽力して、監察局とも話をつけると言っていた。彼なりに筋を通そうとしているのだろう。
大勢の“おともだち”を守るため。
その代償として、フロイントシャフトは一人の“おともだち”を売った。
―――
こんな時、あの人ならどうしただろうか。
テーブル下にある一丁のソードオフダブルバレルショットガン。
あの人の残した、大事な形見。すべてを行動で示す力の象徴。数多の悪魔を屠ってきた“スレイヤー”愛用の銃。現実に戻ってきてからも、どこから調達したのかは分からないが、彼女はいつの間にかそれを手に入れていて、いつでも大事そうに持っていた(ちなみに部屋の隅にあるウサギのぬいぐるみも彼女が残したものである。何故か彼女はウサギをこよなく愛していた)。
そして“スレイヤー”が去る直前、アカネはそれを譲り受けた。もちろん彼女は一言も喋らなかったが、それが意味することはアカネにもよく分かった。
今、これを使いこなせるのはお前だけなのだと。
アカネはその想いに応えようとした。だからこれまで必死にやってきた。
もっと自分に力があれば、上手くいったのだろう。あの人のように。
けれど――それはまだ叶わなかった。
―――
しばらくしてアンナが戻ると、アカネはテーブルに頬杖をつき、静かに寝息をたてていた。
アンナは近くにあった自分のコートをそっと肩にかけると、椅子を移動させて隣に座った。まだ起きる気配はない。アンナは安らかに眠るその顔を見つめ、そして袖の下からナイフを取り出す。
アカネはいつも“あの人”のことばかり見ている。もういないはずの背中をずっと見ていて、その視線が自分に向くことなどないことも、それ故に自分の想いが決して叶うことはないのも分かっている。
でも、今はそれでいい。
アンナは、いつまでもアカネの傍にいることを改めて心に誓う。
自分を拾ってくれたことへの恩返し。
より強い力を持つ元魔法少女への畏敬の念。
そして――いつか彼女をこの手で殺す、という自らの夢のため。
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