#15 迷惑ばかり。
十月半ば。運送会社アントマン西東京営業所、休憩室。
所長室から戻ってきたホノカに、ササキは何と声をかけていいか迷っていた。
「……俺達ァ、気にしてなんかいないからよ」
休憩室に突っ伏すホノカを前に、絞り出せたのはその一言だけだった。
どれだけ動いても疲れない。息切れもしない。若さというだけでは説明のつかない身体能力。確かに、他人から見れば不気味ではあるかもしれない。だが“ただそれだけ”だ。それ以外は勤勉で……真面目すぎるほどの、ごく普通の少女である。
「とりあえず、落ち着くまでゆっくりしておけよ」
「でもまだ荷下ろしが」
「そんくらい俺達に任せておけよ。いつまでもホノカちゃんに頼りっきりでいられねえだろ」
ササキはそう言って、彼女の不安そうな表情を少しでも和らげようとした。
事件が起きたのは昨日のことだ。事件というほど大したことでもないが、少なくとも本人にとっては、そして傍にいたササキにとっても“堪えた”出来事だった。
数日前から妙な噂を耳にすることがあった。曰く、都心の繁華街で、元魔法少女によるものと思われる、良からぬ話題があったという。そして噂というのは恐ろしいもので、背びれ尾ひれがついて人々の間に広まっていく。
――あの会社は元魔法少女を雇っている。
どこから漏れたのかは分からない。だが、いつの間にか話が伝わっていた。
―――
所長は監察局と連絡を取っているという。処遇――といっても、本人が何かをしたわけではないのだが――が下されるのは後日になるらしい。
誰がこんなことを、とササキは憤る。もちろんササキだけではない。事業所にいる多くがそう思っている。所長でさえ本心はそうだ。ただし“クレーム”が本社を伝わって来た以上、何らかの決定をしなければならない。
「ごめんなさい。みんなに迷惑をかけて」
「迷惑だなんて言うなよ、ホノちゃん。誰もそんなこと思っちゃいねえよ」
「出しゃばりすぎたのかもしれません。もっとみんなの役に立たなくちゃって、そう思って。自分の身体が他の人とは違うってことを忘れてまで」
ホノカは自らの胸元に手を当て、視線を落とす。
「他の……その“魔法少女”とやらがどういうものだか、よく知らないけどよ」
買ってきたボトルの水をホノカの目の前に置き、ササキは言葉を慎重に選んでいく。
「ホノちゃんは一生懸命やってる。それだけじゃねえか」
こくん、とホノカは頷く。
「ありが……」
言葉が途切れる。そして鼻をすする音。
「……」
参った。一体誰だ、こんな子を不憫な目に遭わせたのは。
―――
きっと調子に乗っていたのかもしれない、とホノカは思う。自分がもう“人間ではない”存在になっているということを、もっと自覚するべきだった。
かつて身体の弱かったホノカにとって、ギフト――“アイアンラング”は文字通りの贈り物だった。まるで身体に羽が生えたような、例えようのない感覚。
もちろんあの地獄のことは忘れたわけではない。それでも、生き残った自分が出来ることはなんだろうか、と一生懸命に考えた。監察局の斡旋の元、運送会社でのアルバイト。この“異常な身体能力”を存分に活かせる場所。みんな良くしてくれた。自分もそれに応えた。働いて、認められることが嬉しかった。そうして手にしたお金で、迷惑をかけてばかりの母親に恩返しが出来ることも、ホノカにとってはたまらなく嬉しかった。この前に買ってあげたマッサージ機も、喜んで受け取ってくれた。やっと一人前になれたかなと、自信がついた。
けれど、それは自らの力ではない。
だからまた迷惑をかけた。
出先での心当たりはいくつもある。少なくとも、もっと慎重に動くべきだった。
どれだけあっても、私は所詮“元魔法少女”でしかない。
こんなのは本当の自分じゃない。
それはまるで、かつて自分が蹴落とした者、生き残れなかった者達からの呪いのようで。
―――
休憩室から出て、ササキは屋外の喫煙所に来た。いつもの癖でポケットに手を入れ、ようやくそこに煙草がないことに気付く。ホノカが煙草の匂いを嫌がっていて、それで禁煙したのだ。もう何十年と吸っていたのに、きっぱりと止めることができた。彼女の成果はこんなところにまであった。
スマートフォンを取り出し、操作する。
慣れない手つきで検索窓を開き、キーワードを打ち込む。
『元魔法少女 事件』
大手マスメディアの扱うニュースサイトはどこも取り上げていなかったが、どこかの個人ブログや掲示板の書き込みと思われるものがいくつかヒットした。古くは数年前から、新しいものは数日前まで。大抵は誹謗中傷、デマ同然の中身のない記事、陰謀論、人間関係や容姿などに言及する下卑た話題、そしてレッテル貼り……ササキが見ていて面白い内容ではない。だが世間は“そういうもの”にこそ興味を持ちたがる。
『監視カメラがとらえた! 人間離れした怪力で男に暴行をくわえる謎の影 正体は元魔法少女?』
都心。暴行事件。センセーショナルな見出しが躍る個人ブログの記事を開く。その記事の画像には、薄暗いどこかの路地が写った写真が貼られている。しかもその“影”とやらが写っているのは画像の隅だ。これだけでは何が何だか分からないし、合成写真でないという確証もない。結局、噂は噂に過ぎない。もし本当にそんな危険な人物がいたとしても、それが全てではない。少なくともあの子は違う。それでも――どんな事実や例外を差し置いても広がっていくもの――それが噂の厄介なところだ。
ササキは溜め息をつく。午後の仕事は他のメンバーに任せていいから傍にいてやれ、と言ったのは所長の取り計らいだ。少し一人にさせてやった方が良いと思ったが、そろそろ休憩室に戻らなければ。彼女は――まだ泣いているだろうか。
―――
ササキが休憩室に戻ると、ホノカはテーブルに突っ伏したままでいた。
「なあホノちゃん。今日はもういいから、そろそろ帰――」
言いかけて、そこで異変に気付いた。
ホノカは肩を大きく揺すり、不安定な呼吸を繰り返している。
「大丈夫か?」
「……ぶです。だいじょうぶ……」
どう見ても大丈夫には見えない。一瞬の躊躇はあったが、ササキは傍に寄り、ホノカの小さな肩を掴む。顔を上げたホノカの表情は、異常なまでに紅潮していた。
「どうした! 何があった?!」
「ごめんなさい。ごめんなさい、ササキさん。私」
「水、飲めるか? 深呼吸して落ち着け。ゆっくりだぞ、ゆっくり」
熱中症にも似た症状。だが違う。呼吸がおかしい。ホノカは小刻みに震え、荒く呼吸をするその口からは涎を垂らしている。そこから漏れ出るのは、誰へのものともつかない謝罪の言葉ばかり。
「ちょっと。その……うまく、息が……ない……けで……迷惑ばかり……て……私……こんな……じゃ」
ひゅ、と奇妙な声と共に、ホノカの息が止まる。
「ごめんなさ――」
同時に、身体のバランスが崩れ、椅子から転げ落ちる。
「おい……おい! ホノちゃん! ホノちゃん!」
―――
肩から床に落ちた。ぐるん、と視界が一回転し、ホノカの目には休憩室の天井だけがうつっている。全身から力が抜ける。うまく息ができない。ササキが声をかけてくれているが、なんと言っているのかは分からない。
薄れゆく意識の中で、ホノカは思う。
ギフトのせいだ。私は“アイアンラング”を使いすぎた。だから暴走した。
それは大いなる力になり、やがて毒にもなる。本来、人間の力では制御できない異常な力。制御したつもりになっても、いつかは裏返る。弱ったところに追い打ちをかけてくる。
そう。これは、ギフトに頼りきった私への罰。
視界が霞んでくる。息ができない。やがて目の前が真っ暗になる。そして最後に瞼の裏に浮かんできたのは、社内のみんなの笑顔。そして――。
……おかあさん。
―――
十月末。西東京、某市。某所。喫茶店。
ブスジマは手元にあった二杯目のアイスココアを飲み干し、時計を見た。
約束の時間はゆうに過ぎている。約束を破られたことは珍しいことでもないが、少なくともホノカはいつも正確だった。
灰皿を手元に引き寄せ、煙草に火を付ける。ホノカが来るならと堪えていたが、きっと今日は来ないだろう。
煙草を途中まで吸ったところで、業務用携帯が鳴る。
発信元は局の事務からだった。半分も残った煙草を灰皿に押しつけ、告げられた内容をメモし、通話を終える。そして二本目の煙草に火を付け、たっぷり時間をかけて吸う。
煙草を吸い終え、ブスジマは書類をまとめて喫茶店から出て行く。
終始、その顔にはやはり何の表情もなかった。
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