#13 呪いはついてまわる。
実際のところ――例えば事情聴取がそうであるように――本当の解決にまで至りたいなら、向き合いたくない、自ら封じた記憶にまで踏み込まなければいけない。
ヨウコの母親でさえそれを理解していなかった。だが当然だろう。普通はそうだ。自分自身に対してでさえ拒否するのだから、他者ならなおさら、“良い大人”ならそんなことはしない。聞いてしまったが最後、相手に対して責任を持たなくてはいけないからだ。
「三十八人。殺した。この力で」
尋常ならざる握力でボールを“圧砕”したヨウコは、白く粉をふく掌を見つめ、抑揚のない声で呟く。三十八人。それを全員、素手で。もしこの世の中でやっていたのならば、立派なスプリー・キラーだ。あらゆる意味で――“人間ではない”と言える。
「それが正しかったのかは、今でも分からない」
「誰にもわかんねえよそんなもん」
「自分で聞いておいて、そういうこと言うんだ」
硬直したヨウコの表情が、少しだけ和らいだ。
「だから“聞いただけ”だよ」
煙草をゆっくりと吸い終えて、ブスジマはまた缶コーヒーを飲む。
「誰が“魔法少女”のことなんか理解できるかよ」
「監察局の人の言う台詞じゃない」
「今日は非番だからな」
「……」
「仕事じゃない日にまで“良い大人”なんて、やってられるわけねえだろ」
―――
どうしてこの男に、自分は話してしまったのだろう。
最初に会った口調も雰囲気もそこにはない。
仕事だとか非番だとかいうことではなく、これがブスジマの本当の姿なのだろう。
それ故に、話せてしまったのかもしれない。
乾いた唇から言葉が流れる。誰にも言えなかった記憶が、口元から漏れ出ていく。
「他の子を見つけ次第、私はすぐに動いた。武器を持ってる子もいたし、私なんかより強くて、早く動ける子もいた。私のギフトなんて大したものじゃなかった。もしあの子達が本気を出していたら、とっくに“七十五人”の中の一人だったと思う。でも先に動けたのはいつも私だった」
一人殺せてしまえば、後は二人も三人も一緒だった。他の子達はそれが出来なかった。ヨウコはその隙を突いた。瞼の裏に浮かぶ彼女達の顔。声。ほんの一瞬の戸惑い、躊躇、恐怖、あるいは――“もしかしたら仲間になってくれるかも”という淡い期待。それらを無視して首に手を伸ばし、爪を突き立て、息の根を止めていった。
ブスジマは何も言わない。もしヨウコがブスジマではなく母親にこの話をしたのなら、きっと彼女は泣き崩れるだろう。
「そして私は生き残ってしまった」
首筋から滲みだす血。固いものを折る手応え。充血し、そして青ざめていく顔。
全部覚えている。
「でも」
今更になって、とヨウコは思う。
「戻りたいほど“幸せな生活”かと言われると。お父さんもお母さんも共働きで、不幸だったわけじゃないけど、だからって、しがみつきたいほど幸福だったわけでもない」
ブスジマは何の言葉を返すわけでもなく、黙って土手の向こうを見ている。
「あの時の私は……とにかく“死ぬのは嫌”だった」
確実なのはそれだけ。なぜそこまでして、と言われても、わからない。
文字通りの“無我夢中”で、ヨウコは誰よりも多くの魔法少女達を殺した。
「あっという間だった。体感としては一ヶ月にも満たなかったと思う。もしかしたら数日だったかも。あそこには……時計も、昼夜も、体内リズムも……とにかく何かを“刻む”ものなんて一つもなかったから」
そうして三十八人目を殺したあたりで、ヨウコの意識は途切れた。
「気が付くと私はここに戻ってた。あの時は何処で目が覚めたんだっけ……とにかく、一年も経ってたのが分かったのは、家に辿り着いた後だった」
―――
「それで、三十八人」
「……」
「殺した人間の顔は覚えてんのか」
「もう、覚えてない」
「そうか」
―――
私は、嘘をついた。
―――
「本当に何も言わないの? 私のことを。人殺しだとか、酷いやつだとか」
「言って欲しいのか」
「何か返ってくると思ったから」
「お前、そうやって何もかも他人にやらせようとしてるんじゃねえよ」
「本当に“聞いただけ”?」
「オレが聞かなきゃ自分の口で言わなかっただろ」
「そうだけど」
―――
いっそ罵ってくれたら私だって楽だったかもしれない。
でも、何も言ってくれない。
―――
「じゃ、そろそろ行くから」
ブスジマは腰を上げると、尻についた草をはたき落とす。
「次の面談もちゃんと来いよ。オレ待ってるからさ」
ヨウコは無言で頷く。ブスジマはビニール傘とクッキーの袋を手に、何も言わずに土手を登って去って行った――聞くだけ聞いて、何も応えずに。
ブスジマが去ったあと、ヨウコは砕けたボールと自分の手を見ながら、しばらくその場で佇んでいた。
バイスフィンガー。文字通り、自らの手に万力のような力を付与する“ギフト”。意識して(あるいは無意識のうちに)力を込めれば、ボールから人間の骨まで、あらゆるものを圧砕できる異能力。“ただそれだけ”の能力。それだけを頼りに、ヨウコは三十八人分の首を締め上げ、砕いた。今でも使うことが出来る。だが使うべきところもなく、使いたいと思うこともない。それは、もはやただの呪いでしかない。
横には借りっぱなしのグローブが二つ。川沿いに吹き抜ける秋空の風がヨウコの身体を冷ましていく。
グローブを返して、そろそろ帰ろうか、と思った矢先――ふとブスジマが座っていた場所に視線がうつる。
何かの紙切れが落ちていた。
拾って裏返した瞬間、ヨウコの顔がこわばった。呼吸が荒くなる。背中から冷たい汗が吹き出し、力が抜けていく。紙切れは写真の切れ端。そしてそこに写っていたのは“見覚えのある顔”。その無表情な目がヨウコを見据えていた。ああ、覚えている。覚えていないわけがない。最初にブスジマに会った時、彼はこの写真片を見せてきた。そしてヨウコは眉一つ動かさず、覚えていないと“しら”を切った。名前も知らないあの娘。監察局で探しているのか何なのか――だがその目的は絶対に叶わないだろう。
彼女は“二十三人目”だ。
どうしてわたしをころすの。
家に帰りたいだけなのに。
いきができない。
おねがい。ころさないで。この悪魔。
ひとごろし。
吐きかけられる言葉。それを振り切りたくて、ヨウコは嘘をつき通している。知らない人間だ。もう顔も覚えていない。そう偽り続ければ、いつか忘れられると思っていたから。けれど、いつまでもその呪いはついてまわる。掌にかかる、あの“手応え”と共に。
ヨウコは写真の顔を見つめたまま、しばらくの間そうして低く呻いていた。
―――
――土手の先で、男は立ち止まり、そして遠くを見つめていた。
道の真ん中で立っている男の横を、時おり自転車が迷惑そうに避けていく。
男が見据える視線の先には、しゃがみ込んだ一人の少女。彼女は手にした“それ”を見つめ、背中を丸めて肩を震わせている。遠くからでも、はっきりと分かる。
まだあの娘は、答えを出していない。
“落としてきた”写真片。
そこに写る少女と同様に、男の顔に一切の表情はなかった。
―――
同日。夜。都内某所。ガールズバー マジカルドリーム。
「ホリベさーん」
「……」
「もう九時ですよ、ホリベさーん」
客の少ない平日。
「やっぱダメだ。ええ……どーしよ」
ユキは困った顔をしつつ、コップに注がれた水を飲み干した。
「私はやっちゃっていいと思うけどなあ」
カウンターの隅には酔い潰れたサラリーマン。傍らにはスマートフォン。
「前に行ってたじゃん。ちゃんと連絡しないと奥さんがすごい怒るんだ、って」
「でもさ、これって悪いことだし。うう、テンチョーがいれば叩き起こしてもらうところなんだけどなあ。こーゆー時に限って戻ってきてないし」
「私達なりの“ココロヅカイ”ってことで」
「なにそれ……うーん……ええー」
しばらく逡巡した後、ユキは意を決してホリベのスマートフォンを手に取った。
画面をタッチする。
「しょーがないか。あんまり使いたくなかったんだけどなあ」
パスワード入力画面が出る。四桁の数字。
ユキはそのキーを押すでもなく、掌で画面全体に触れ、軽く撫でる。
パスワードが必要なはずのロックが、一瞬にして解けた。
続いて顔認証。ホリベは意外にセキュリティ意識がしっかりしているらしい。ユキは自らの顔をカメラに向ける。ロックが解ける。
「やっぱり、なんか悪いことやってる気になる……チナツ、あとはお願いしていい?」
「うん」
チナツはロックの解けたスマートフォンを受け取り、メールアプリを起動する。最初に送信済みメールを見てホリベ本人の送った文章を確認、それから奥さんと思われるアドレスに“それっぽく”メールを打ち込んでいく。
『上司に連れられて飲んでる。連絡が遅くなった。今からタクシーで帰る』――送信。
次にホリベの個人情報から電話番号と住所を確認しつつ、チナツはカウンターのコードレスフォンを手に取る。
「あ、お世話になってます。マジカルドリームです。一台お願いします。ええ。で、ちょっとお客さんが寝てらっしゃるので、先に行き先の住所を伝えておきますね。東京都――市――」
そして数十分後。未だ意識の朦朧としたホリベを何とかタクシーに乗せ(もちろん、きっかり会計だけは済まさせた)二人は繁華街を去っていくテールランプを見届ける。
ここ最近、休前日や休日はともかく、平日の来客が極端に少ない。ホリベや一部の客が足繁く来てくれるくらいだ。もちろん給料を減らされたりはしないし、少ない分には楽なのだが――どうも“面倒”が増えている気がする。
二人は盛大にため息をつく。
「……使っちゃった、ギフト」
ユキはがっくりと肩を落とした。
―――
マジカルドリーム従業員、ユキ。またの名を第六回帰還者、元魔法少女“マスターキー”。彼女のギフトはその名の通り、物理錠はもちろん、電子ロックやセキュリティでさえ、あらゆるものを突破する能力である。
それは直接戦闘に関与するものではない。ユキが帰還できたのはまったくの偶然だった。第六回のルールが分隊単位での貢献に拠るものでなければ、彼女もとっくに“七十五人”の中に含まれていただろう。
そしてそのギフトは、帰還後、思わぬ形で利用されるようになった。
「もうあんな思いをしたくないから、あたし、絶対使わないようにって決めてたのに」
「ユキ、大丈夫だって。私達、良いことしたんだから」
チナツの慰めが救いだった。
「前にテンチョーが教えてくれたんだけど」
「うん」
「ギフト、ってどういう意味か知ってる?」
「“贈り物”でしょ」
「そう。でも、もうひとつ意味があってさ」
チナツは少し間を置いてから、続く言葉を呟く。
「――ドイツ語だと“毒”って意味なんだって」
あの地獄から戻ってきてなお、身体に付与され続ける異能力。贈り物であり、そして自らを蝕む呪い、あるいは“毒”。自ら望まぬそれらをなるべく使わずとも済むよう、アカネはこの店を立ち上げたという。
「使ったことがもしバレたら、あたしテンチョーに怒られるかな」
「その時は、私も一緒に怒られてあげる」
「ありがと」
それから来客はなく、アカネが店に戻ってきたのは閉店直前のことだった。
もちろん、二人はギフトを使ったことを黙っていた。
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