#12 赦されてはいけないんでしょうか。

 十月初め。西東京某所。


「すいませんね、突然」

「こちらこそ。いつも娘がお世話になってます」


 目の前にインスタントコーヒーが置かれる。

「こんなものしかご用意がなくて」

「お構いなく」

 一目見て、顔がやつれているな、と感じた。それでも背筋をぴんと張って来客相手にはっきり応答するあたり、根は気丈なのだろう。こう見ると、目元が娘とよく似ている。


「ヨウコは、ご迷惑をおかけしていませんでしょうか」

「いえ」


―――


「身内の……家族のケアが一番重要だというのは分かっています。特に私達夫婦はこれまで共働きでしたから。小さい頃も、遊びに連れて行ったことはほとんどなくて」

 母親の言葉に耳を傾けつつ、ブスジマは視線の端で周囲を眺める。

「だから、あの娘が帰ってきた時、私は仕事を辞めたんです。今までそうしてこれなかった分、これからは一緒に寄り添ってあげようって。あの人も――夫も、その分は自分が働くからって言ってくれましたし」

「なるほど」

「あの娘が“失踪”した時、強く感じたんです。あの娘がいないことの辛さを。いて当たり前の家族が突然いなくなってしまった喪失感を。いなくなって初めて気づく……そういう意味では、私達は夫婦失格だったのかもしれません」

 最寄り駅からもそれほど離れていない場所にある、築年数の浅い一軒家。居間の家具はどれもシンプルだが、つくりは良い。安い海外製の家具とは違うようだ。おそらくそれなりの値段はするだろう。

「ヨウコさんは」

「はい」

「一年前に帰ってきた時、どんな状態だったんでしょう」

 良く言えばすっきりとしたセンスの良いリビング。悪く言えば殺風景。テーブルやソファはきれいに掃除されているものの、広々とした部屋の隅にはうっすらと埃が積もっていた。

「ずっと自室から出てきませんでした。放っておいたら食事もとらずに死んでしまうんじゃないかって。事実、拒食症にもなって、一時はなんとか食べたものでも吐いてしまう有様でした」

「……」

「泣き出したり、ものに当たったり、かと思えば何を言っても無反応な時もあったりして。まるで、私達の知る娘じゃないような……でも精神科やカウンセリングにはいけませんでした。その、原因が原因でしたから」

「そういう為に我々の組織はありますので」

「そうですね。申し出を頂いた時にはすごく助かりました。でも――それで私達は安堵しすぎていたのかもしれません」

 中身がインスタントとはいえ、コーヒーカップもきちんと来客用のものだった。おそらく世間や体裁に関しての気遣いを気にする家庭なのだろう。

 だから、そうなった。

「一年はあっという間でした。あの娘がこれからどうしたいか、どの道を歩むにせよ、私達は親として精一杯応援していこうと思っていました。けれど、また私達はすれ違いを起こそうとしています」


―――


 ヨウコの父親がノイローゼ気味になってしまったらしい。こういった事例は少なくないと局の人間も言っていた。将来への不安、世間の目。それらに晒されて、本人と、そして家族や親族も滅入ってしまうのだと。

 その建前とは裏腹に、この日本はイレギュラーに優しくない。犯罪者への扱いもそうだ。過去、ブスジマは似たような事例を見てきた。刑に服して出所しても、世間のどこにも居場所がなく再犯に及ぶ者もいる。彼女はまだ“まし”な方だ。


「あの娘、今でも時折、夜中に叫ぶことがあるんです。ものすごい勢いで泣いて、取り乱して。殺した子達の顔が夢に出てきたって」

「夢に」

「ええ。そういう時、私はどんな言葉をかけていいのかわからなくて。私に出来ることは、翌朝、いつも通りに接してあげることくらいで」


 カチ、カチ、とリビングの時計が時を刻む音だけが響く。平日昼間、窓の外の住宅街は驚くほど静かだ。時刻は午前十一時半。


「ブスジマさん」

「はい」

「あの娘は、赦されてはいけないんでしょうか」

「……」

「自分の意思でそうなったわけでもないのに。……それでこちらに帰ってきて。あの娘がどんな世界にいて、何をして、どんな思いをしたかは慮ることもできません。どうしたら、ヨウコの気持ちを楽にしてあげられるんでしょうか」

 ブスジマはコーヒーを飲みきる。底に溜まった苦みが舌をつく。

「我々も一緒に、ヨウコさんに寄り添っていきます」

 ブスジマは母親の問いに答えなかった。

 代わりに、そういう“当たり障りのない言葉”を口にした。


 もし“百人”に選ばれなかったら、この家族の関係は変わらなかっただろう。選ばれてしまったが為に本人は壊れ、そして両親もまたゆっくりと壊れた。“痛みを乗り越えて強くなる”なんてことは物語の中だけだ。強くなったはずの絆も、やがてまた擦り切れていく。多かれ少なかれ、そこに例外はない。元魔法少女達は、自分だけでなく周囲をも巻き込み、それらの人生を緩やかに変えていく。


 地獄は終わった。だが、まだ続いている。


 それを変えるためには――。


―――


「あの娘も、最近は少し良くなったようです。今日も、買い物に出かけるって。一年前には外にも出たがらなかったのに」

「そろそろですか」

「ええ。お昼には帰ってくるって言ってました」

「ココノエさん、今日のことは」

「はい、本人には知らせないようにします。あの娘も、心配するでしょうから」

 ブスジマは席を立ち、空になったコーヒーカップを返して礼を言う。


「ご協力ありがとうございました。またお声がけさせて頂くこともあるかもしれませんが、その際はよろしくお願いします」


 ヨウコの自宅を後にし、ブスジマは時計を見る。約束の時間まではまだもう少しある。駅前に戻り、コンビニの前で煙草を一本吸い、昼食の菓子パンを買う。店から出て、もう一本吸う。


 本人抜きの家庭訪問。ヨウコの母親にはそう嘘をついた。本来、監察局の仕事にそれは含まれていない。本人の意思なくして局は動いてはならない。そもそも――今日は仕事ですらない。


 有給休暇なんて、前の仕事では存在すら失念していたもの。

 ブスジマは、今日、それを使った。


―――


 同日。午後。多摩川沿い。午後二時。


「局のカネで買ったモンだから返さなくていいって、オレ言ったろ」


 ヨウコのほうから連絡があったのは先日のことだ。局の事務以外から滅多にかかることのないブスジマの業務用携帯が珍しく鳴った。


 最初は何事かと思ったが、その用件は気が抜けるほど単純なものだった。


「こんな晴れた日に持ってきてどうすんだよコレ」

「借りたものは返さないと、って思って」

 洒落っ気のないパーカーとジーンズに身を包んだヨウコ。その手には小さな紙袋。そして、秋空の下には似つかわしくないビニール傘が一本。

「だからってお前な、オレにこれ持って帰れってのかよバカ野郎」

 傘を差し出すヨウコを見て、ブスジマは悪態をつきつつ、鼻を鳴らして笑った。

あまりにも妙に真剣な面持ちで言うものだから、つい笑ってしまった。


 持ち帰って玄関の傘立てに入れておいたまま、ずっと気にしていたらしい。

 次回の面談の日にでも渡してくれれば、そのまま喫茶店の置き傘にでもしていただろう。これを返すためだけに、ヨウコはブスジマを呼んだらしい。


「それから、あと」

 傘と一緒に、ヨウコはもう一つの紙袋を差し出す。


「一緒に、お礼もしたほうがいいと思ったから」


 紙袋の中身はクッキーだった。駅前にある小さな洋菓子屋の名前が書いてある。

 これを買いに、午前中は出かけていたらしい。


―――


 ――数刻後。


 ヨウコは右腕を一回転させ、ボールを放つ。キレの良いウインドミルで放たれたボールが、ブスジマのグローブに吸い込まれていく。

「部活でやってたのは中学生までだけど」

「うん」

「早く家に帰っても誰もいなかったから。他の事を何も考えなくて済んだし」

 ブスジマの投げ返したボールを、ヨウコはなんなくキャッチする。

「仲の良かったチームメイトもいたはずだけど、もう全然思い出せない。まるで遠い昔のことみたいで。でも、投げ方なんかは意外と身体が覚えてる」

「他には何か思い出したのか」

「ううん。なんにも」


 平日の川沿いは人も少なく、せいぜい老人がウォーキングをしている程度。そんな緩い空気が流れる秋空の昼下がり。近くで借りたグローブ二つとボール一つを使って、二人はキャッチボールに興じていた。


 近くに転がっていたボールを見るなり「そういえば」とヨウコが切り出したのがきっかけだった。聞けば、昔はソフトボールをやっていたらしい。

「身体を動かしてみよう、なんてコニシさん……前の人は言ってたけど、その時は全然そんな気力もなくて。だから、すごい、久しぶり」

「オレだってこんなこと久々だよ」

「子供さんとやってたりしなかったの」

 ブスジマはボールをキャッチし、しばらく留まってから、また投げる。

「いないよガキなんか」

 嘘をつく。

「そうなんだ。いそうな顔なのに」

「いないっつってんだろ」

 再びボールが飛んでくる。今度はやけに挙動の怪しい投球だった。


「あんま変なところに投げるなよこの野郎。腕伸ばすの痛てえんだよ」

「久しぶりなんだから、コントロールなんて期待しないでよ」


―――


 しばらくキャッチボールに興じてから、近くの自販機で飲み物を買い、二人は並んで土手に座る。前に来た時は暑い最中だったか、二ヶ月も経っていないのにあっという間に秋になってしまった。今日は、風が妙に冷たい。


「……母さんにも、コニシさんにも、他の大人にも、さんざん聞かれた。どうしたの、大丈夫なの、って。そのたびに私は、大丈夫だよ、って答えてた。そう扱われるのが当たり前だと思ってたから」

 握ったボールを弄びつつ、ヨウコは呟く。

「それで良かったのか」

「わかんない」

 ヨウコの口調や態度は初めて会った時のそれよりもだいぶ変わっていた。

「大丈夫かって言われれば大丈夫って答えるしかないし。でも“どうしたんだ”とか“一体何があったのか”って踏み込む人はいなかった。もちろんそれは当たり前で……だって、それを聞いたところでどう反応していいのか普通はわからないだろうし」

 対話の基本は“寄り添うこと”だ……と監察局の研修では言っていた。させたいようにさせ、言いたいように言わせる。「過去の辛いことは忘れて前を向こう」「これからのことをゆっくり考えよう」。確かに理屈は正しい。だから周囲の人間達は皆そうした。ブスジマもそうあろうとし、そう振る舞った。そうするのは得意だった。

「心配してくれてるのは分かる。それは嬉しいんだけど」


 ――だから彼女らは“つけあがる”。

 他者の思いにも、自らの想いにも。


「何があったんだ、って言って欲しいのか」

「わかんない」

 ヨウコだけではない。ホノカやカナもそうだった。この数ヶ月でよく分かった。

「聞いていいのか」

「別に」

 それでいいと思っていた。

 だが、もし本気でやるつもりなら。本気でこの娘のことを理解するつもりなら。そしてヨウコ自身も、あるいはどこかでそれを望んでいるつもりなら――。


 ブスジマは手元にあった缶ボトルのコーヒーを飲み、煙草を取り出して火を付ける。秋空に煙をくゆらせ、少し間を置いてから言う。

「お前さ」

「うん」


 本気で“やる”つもりなら、聞かなければならない。


「何人、殺したんだよ」


 パン、と破裂音が響く。


 隣を見ると、ヨウコが右手に握ったソフトボールを粉砕していた。

 その横顔に表情はなく、掌の中で粉々になったボールを見つめていた。


 そして――どれくらい時間が経っただろうか。

 ヨウコの乾いた唇から、低く小さく、言葉が漏れる。


「三十八人」

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