#8 いつでもお待ちしております。
都内。午後八時半。駅前から少し離れた場所。居酒屋、風俗の立ち並ぶ歓楽街。
「いやあ、今日も楽しかったよ」
「あたしもですよー、ホリベさん」
ほろ酔いのサラリーマンが、店の前で上機嫌に笑う。
「やっぱりここは別格だね。他と比べて、特に女の子が美人揃いで、酒も美味い!」
「ありがとうございますぅー」
「今度、ユキちゃんはいつ出勤?」
「えーと、今日が木曜日だからぁ……次は日曜日ですねえ」
「日曜かー、じゃあ、また来ちゃおうかな!」
「ホントですか、ありがとうございますぅー!」
サラリーマンはひらひらと手を振って、名残惜しそうに夜の人混みに消えていく。
完全に姿を消したのを確認して、ユキと呼ばれた若い女は店内へと戻っていく。
「おつかれー」
「ありがとー、チナツもおつかれさま」
「あのお客さん、相変わらずビールばっかだね。へんに変わったカクテルとか注文されても困るけど」
「最初の頃、大変だったんだよ……ウチはそーゆー店じゃないって言ってるのにさ」
「あったね。テンチョーが出てきて」
「あれ、ちょっと怖かったよね。向こうも分かってくれたみたいで良かったけど」
長めのカウンターと、いくつかのテーブルが揃えられたシンプルなバースタイル。店内にいる従業員が十代、二十代の女性ばかりというのをのぞけば、ごく普通のバーである。
「今日、お客さん少ないね」
「平日だからしょうがないよ。ま、あたし達は楽だからいいけどさ。ところでテンチョーは? 戻ってきた?」
「戻ってきたよ。今、バックヤードにいるんじゃないかな」
―――
同時刻。
上機嫌のサラリーマンがふらふらと路地を行く。その向かいから、半袖のワイシャツ姿の男達が数人、集団で歩いてくる。すれ違い様、思わずぶつかりそうになる。
「身の回りに気をつけてお帰り下さいね」
男達の中の一人がサラリーマンに声をかける。
「……先輩、次のところですか」
「ひとまずは形式通りに事を進めて、その後に仕掛ける。ヨシムラ、お前は見てるだけでいいからな。迂闊に動くなよ」
「了解しました。情報、出てきますかね」
「一筋縄じゃいかないだろうな。正直、俺もちょっと緊張してる。……確かにブスジマさんの言うとおり、チンピラを相手にするほうがよほど楽な仕事だな」
「誰です?」
「前の上司だよ」
モリワキ、そしてヨシムラと呼ばれた部下の二人は、男達の集団に混じり、とある別の目的を有していた。
今回の捜査はかなり特殊だ。本来の名目である行為から逸脱することはできない。だが、奴らの事を少しでも掴めれば――。
―――
午後九時過ぎ。
「はーい、いらっしゃ――」
ユキが来客スマイルで扉に目を向け、そこで挨拶を飲み込んだ。
「こんばんは。夜分に失礼します。こちらは『マジカルドリーム』さんの店舗でお間違えないですか」
ワイシャツ姿の男が数人。団体さん……というわけではないのは、示された身分証を見てすぐに分かった。
「あー、ハイ。そうです、けどー……」
「店長さん、いらっしゃいますか」
男達は静かに店内に入り、整然と並んでいく。自分のいない時に何回か“やられた”のは聞いたことがあるが、ユキがいる時に出会ったのは初めてだ。
お客さんではない。あくまで事務的に、淡々と行動するたくさんの大人達。まるで局の人間のようだ、とユキは思う。あの雰囲気がどうしても合わなかった。だから彼女はここに来た。ここならお客さん以外の“大人達”に束縛されることもない。
「……ユキ、大丈夫?」
顔色が悪いのを察したのか、隣にいたチナツが小声で囁く。
「うん」
自分の事ではないと分かっていても、気分が良いものではない。悪い記憶を揺り戻されるような心地だ。
「あの。店長さんは、この奥に?」
「は……はい」
自分の身体が硬直していくのを感じながら、ユキはそれだけ応えるのが精一杯だった。
―――
数刻後。店長事務室兼応接室。
「ご苦労様でございます。わざわざこんな時間に」
小柄な女性が営業スマイルで応対する。女性は名刺を一枚取り出す。モリワキも身分証を提示し、あくまで法令に沿ったものであることを明示する。
『ガールズバー マジカルドリーム 店長 / 笹埜 朱音』
「それでササノ、と呼びますの。でもアカネと呼んで下されば結構。私もその方が慣れております」
「本日はご協力頂きましてありがとうございます、ササノさん」
モリワキは頭を下げ、名刺を手帳にしまう。アカネはほんの少し頬を膨らませ、またすぐに営業スマイルに戻った。
「ええ。立ち入り調査ですね。本日はお客様も少ないですし、どうぞご自由にお調べ下さいませ」
出された公的書類に目を通し、アカネは堂々と応える。
「九月にもなりましたけれど、今日もお暑い日ですわね。お仕事も大変でしょう。何か飲まれます?」
「いえ、結構です。ありがとうございます」
年の頃は二十代半ば。ゴスロリとでもいうのか、膨らんだスカートとブラウスを身につけた――年齢に比して顔つきは幼く、しかしモリワキ達を前にしてもその態度は少しも動じることがない――掴みどころのない女。
「ところで……“はじめて”でいらっしゃいますね?」
アカネは書類から目を離し、モリワキを見据えた。
モリワキとヨシムラを除く面々は、本来の目的に従って店内を調査していく。
「これでも、皆様の顔はちゃんと覚えておりますの」
アカネは淡々と言い、また手元の書類に視線を戻す。続けて自らも書類棚からいくつかのファイルを取り出し、モリワキの前に出す。深夜酒類提供飲食店営業、その他、様々な許可証。前回の調査記録。
「モリワキさま、とおっしゃいましたかしら。私どものお店は“ルールの範囲内”で営業させて頂いておりますわ。従業員の年齢も嘘偽りなく届けております」
「そのようですね」
隠すつもりはないようだ。見たところ周辺の店と比べても“真面目すぎる”ほど真面目な営業。数年前に開店し、そこからめきめきと売り上げを伸ばしている。近隣には系列店もあるが、そこも同様にクリーンだった。
「何か、気になる点でも?」
「いいえ」
「そう」
すう、とアカネの目が細まる。
「私の目には――“気になる点”を話したくて仕方ないように思えますけれど」
応接室のドアが音もなく閉じる。
「私、皆様への協力は惜しまないつもりでおりますの」
モリワキがふと後ろを振り返ると、切れ長の目をした長身の女がいつの間にか後ろにいた。ドアの開閉音すらなく、文字通り“音もなく”現れた。
「ああ、後ろの彼女はお気になさらず。こういった商売をしておりますと、色々とありますもので」
横にいたヨシムラが喉を鳴らした。モリワキはふう、と息をつき、口を開く。
「ではササノさん――本来の調査行為ではないことを承知でお伺いいたします――“フロイントシャフト”。この言葉に……この組織に聞き覚えは?」
するとアカネは「まあ、まあまあ」と芝居じみた驚きの声を上げた。
「どこでそれを?」
「申し訳ありませんが、お答えしかねます。調査……いえ“捜査”の一環で」
その返答に動じることもなく、アカネは書類のファイルを閉じ、モリワキに向き直る。切り揃えられた前髪が、黒く塗られた指の爪が、薄紫のルージュが、照明にあてられて艶やかに光る。
「ええ。確かに。私、『マジカルドリーム』の店長にしてフロイントシャフトの東京地区代表、兼、総代を務めさせて頂いております、ササノアカネ……またの名を元魔法少女――第四回帰還者“エンフォーサー”と申します」
―――
「組織、というほどのことでもございません。ですから“代表”という立場にも本来はあまり意味などないのですけれど」
元魔法少女には二つ名がある、とブスジマは言っていた。失踪から帰還し、危険な特異体質“ギフト”を身に宿して戻ってきた少女達。その体質を表す、もう一つの、魔法少女としての名前。
「私どもは元魔法少女達で結成された、いわばゆるやかな互助会とでもいいましょうか。モリワキさまもお耳に挟んだことはあるでしょう? 二年に一度の集団失踪、そして四分の一の帰還者――とはいえ、その誰もがスムースに社会に復帰できるわけではありません。生きづらい事情を抱えた子達も大勢おります。この店で働く子らも、みんな元魔法少女」
モリワキは、横にいるヨシムラと一瞬視線を合わせ、すぐ戻す。
「そういった子らの為に元魔法少女監察局という組織があるはずですが」
「もちろん存じておりますわ。ですが生き方というものは千差万別。誰もが皆“清い水”の中に住めるわけではありません。……まあ、まあ。警察の方々を前に、これは失言でしたかしら」
「いえ」
「ともかく――雑踏や喧噪の中でしか生を見いだせない子らもいる……私どもはそうしてごく自然に発生いたしました。独自のネットワークで助け合い、居場所をつくる。そしてまた新たな子を受け入れる。元魔法少女であれば来る者は拒みません。その活動の繰り返しで、一定の繋がりをもって連綿と続いておりますの。おかげさまで、今では同じ志を持つ仲間も各地におります」
「活動――それも“ルールの範囲内”で?」
「ええ。この店を見ればお分かりでしょう? 私どもは決して犯罪組織などではありませんわ。困った子達同士で助け合う……その程度の集まりですもの」
かちゃん、と今度は“音を立てて”背後のドアが開く。
一人の調査員が部屋に入り、モリワキに耳打ちする。
「――調査が終わりました」
「皆様も、こんな夜分までご苦労様でございました」
モリワキの指示で調査員が退出する。彼らには、店の前で待機するよう命じた。
「そういえば」
調査員達が出て行った後、人差し指をわざとらしく頬に当てながらアカネが問うた。
「モリワキさま、どうしてここが私どもの店だとお分かりになったのでしょう?」
再びアカネの目が細まる。モリワキは動揺もせず、淀みなく答える。
「捜査機密です……と言いたいところですが、お答えしましょう。この繁華街において、ここだけが“まったく息のかかってない、健全すぎる店”でしたから。自ずと目星はつきます」
「まあ、まあ」
アカネはまるで子供のように、無邪気に口角を上げる。
「ではその流れで、もう一つお伺いしてもよろしいでしょうか」
「ええどうぞ」
「グローイング・ワン、あるいは……死鉤爪というグループに聞き覚えは?」
「ありますわ」
予想外の返答が来た。モリワキはもう一度ヨシムラと視線を交錯させる。
「この場所で商売をしておりますもの。当然、両方とも存じております。ですが」
「はい」
「監察局と同様に“存じております”……ただそれだけですわ。気になるなら後ほどお調べ頂いても構いません。重ねて申し上げますが、私どもは“ルールの範囲内”で健全に活動しております。ええ……モリワキ様の本来の目的はむしろ其方かとご推察いたしますが――」
「……」
「お役に立てる情報も、残念ながら」
頭の中で思考を巡らす。彼女の言うとおり、現状、これ以上は何も出てこないだろう。迂闊に踏み込めばこちら側が法令を越しかねない。モリワキは姿勢を正し、ゆっくりと答える。
「わかりました。ご協力を頂き、誠にありがとうございました」
頑なな表情で礼を言うモリワキと対照的に、アカネはぱっと営業スマイルを浮かべる。
「次回は是非お客様としてお越し下さい。『マジカルドリーム』は皆様のご来店をいつでもお待ちしております」
―――
「怖かったね」
「うん、怖かった」
「また来るのかな」
「大丈夫だよ。今日だってテンチョーがなんとかしてくれたじゃん」
ユキとチナツは誰もいない店内で、カウンター席に座って水を飲む。二人はそれぞれ、第六回帰還者“マスターキー”と、第八回帰還者“バレットフィスト”の名を持つ――元魔法少女である。
ここにいるのは……この集まりに繋がる者は誰も皆、家族も監察局も頼れずに辿り着いた者達ばかり。特にユキは過去、その能力に目を付けた親戚によって犯罪に利用されかけたところをフロイントシャフトに拾われた経歴を持つ。血縁すらも信用できない彼女にとって、この店こそが居場所だった。
「今日、やっぱりお客さん少ないね」
「そうだね」
「せっかくカクテル練習したのに」
「えーっ、珍しい!」
「シェイクとか……一応。難しいの言われても無理だけど、混ぜるだけってのもなんかかっこわるいじゃん」
「そうだけどさー」
「どうせなら、カクテル作るのがうまくなるギフトだったら良かったのにな」
「なにそれ、意味わかんない」
二人はけらけらと笑った。
「でもさ」
「うん」
「もし、あたし達が“こんなの”だって分かったら、お客さんも不気味に思うかな」
ユキは掌をひらひらと返す。
「……大丈夫だよ。たぶん」
無責任な答えだなと思いつつも、チナツはそう返す。責任のある言葉なんて何一つ言い切れない。それでも、そう思わないと仕方ない。大丈夫。きっと大丈夫。
「ところであたし、テンチョーに聞こう聞こうと思っていつも忘れてることがあるんだけど」
「なに?」
「“フロイントシャフト”って、どういう意味なの?」
―――
「……アンナ。それほど心配せずとも大丈夫ですわ」
モリワキ達が出て行った後、アカネは背後の女に声をかける。テーブルには二人分の紅茶が注がれているが、一つは手も付けられていない。
「ですが」
女は小さな声で呟く。背の高い、威圧的な見た目に反して、その存在感は限りなく薄い。アンナ――またの名を、第五回帰還者“デッドサイレンス”。
「自分達の場所は自分達で守る。私、それを忘れたつもりはありませんの」
――現フロイントシャフト総代“エンフォーサー”ことアカネは二代目の総代だ。今は去ってしまった前総代“スレイヤー”の後を継ぎ、こうしてガールズバーの店長をしながら各地の代表と繋がりを保つ立場にある。
「お姉様の命令とあれば、わたしはいつでも動けます。何があっても」
アンナは静かに、しかし決意に満ちた口調ではっきりと言う。そんなアンナの台詞にアカネは苦笑し、もう一つの紅茶カップを差し出す。
「ええ。ありがとう。でも、その“お姉様”というのは止して頂けると良いのだけど」
「……」
「そんな堅苦しくなさらなくても構いませんわ」
アンナは差し出されたカップを受け取る。二人の指が、静かに触れ合う。
「ほんとうは上も下もありませんの。だって私達は――大事な大事な“おともだち”同士でしょう?」
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