#5 おかげさまで。
八月末。西東京、某市。某所。喫茶店。
午後一時。監察局貸切の為、営業開始は夕方からの予定。
「照焼チキンのホットサンド。BLTサンド。ピザトースト。ハムサラダ。ベルギーワッフル。アイスティー」
ブスジマがメニュー表とテーブルの上の品を見比べながら、一つずつ読み上げていく。
「よく食べるなあ」
「動くとお腹が空くんです」
「うん」
つっけんどんに返すホノカの前には、大量の料理が並べられている。二人分ではない。あくまで一人分である。
「誰でもそうだと思いますけど」
大食ではあるが品が無いわけではない。食べ方はいたって丁寧だ。一定のスピードを保ちながら、ナイフとフォークを器用に使って次々と口に運んでいく。いわく、かつて父親がいた頃、あまりにその食事マナーが悪かったため反面教師としたのだという。ホノカの食事を見ながら、ブスジマは手元のアイスココアをずぞぞぞと飲み、内ポケットに差していた禁煙パイポを口にくわえた。
面談のためにバイトは午前中まで。終わったその足でここまで直行したというホノカの肌は、以前に見たよりもさらに日に焼けている。首筋からのぞく鎖骨のあたりが、日焼けと素肌でくっきりと分かれていた。
「腹が減るのはよくないよな。たくさん食べなよ」
食事代はすべて監察局持ちである。だがそこに意地汚い雰囲気はなく、ホノカはあくまで堂々と、ただそれを当然の権利として使っている。もちろん、ブスジマにとっても何の文句もない。
それでも――いくら肉体労働をした後といっても、それは一般的に十八歳の少女が摂る食事の量ではなかった。異常な食欲と新陳代謝。ホノカ自身もおかしいとは分かっているらしく、当初は必死に空腹感を隠そうとしていたらしい。これは面談の場でも職場でも、そして母親の前でさえそうだったという。今はもうどこでも気にしなくなったが。
健康診断でも異常はなし。おそらくはこれもギフトの副作用だろうとのこと。
「ここ、何のメニューが一番美味いの。教えてよ。オレ、味オンチだからさ」
「食事なら照焼チキンのホットサンド。デザートだったら……このベルギーワッフル。ワッフルはあえて生地の甘みを抑えていて、そのぶん、この果肉の残るストロベリージャム、それからヨーグルトクリームの付け合わせが効いています。マスター、このジャム、手作りですよね?」
ホノカはカウンターで本を読む喫茶店のマスターに訪ねる。マスターは無言で頷き返す。
「やっぱり。ああ……それから、今日はもう食べませんが、季節のパフェも次回に頼みます」
「あっ、そう」
そしてホノカは食事を再開する。ブスジマは相変わらず、それを黙って見ていた。
―――
「職場、どうなの」
「別に。良くしてもらってます。おかげさまで」
「あっ、そう」
紙ナプキンで丁寧に口元を拭き、ホノカは応える。
もちろん、ブスジマに対して警戒を解いているわけではない。この態度はいわばホノカの、もう一つの“素”に近い性格である。かつて身体が弱かった頃には、心までは弱く見せまいと、病院や他の大人達に対して、こうした態度を取るのが癖になっていた。ブスジマはそんな彼女に対して怒るでもなく擦り寄るでもなく、やはりあくまで淡々と接してくる。こうして喋りかけてくることはあっても、続かなければそれ以上は追ってこない。黙っていればそのままだ。前任がやたらに親切なタイプだっただけに、余計にその差が目立った。この男は、あのどうしようもない父親とよく似ている。だが似ているようでいてまったく違う。おそらく根本的に“関心がない”のだ。干渉してやろうとか、大人の言う通りにしてやろうとか、そういう圧力がない。だからこそ余計に不気味に思える。表情も目的も何もかも読めない、監察局らしからぬ男。
「一応、今日、局からこういうの持ってきたから。新しいのが出たから読んでくれ、ってさ」
食器が下げられたあたりで、ブスジマは鞄からいくつかの冊子や手続き書類をテーブルに広げる。監察局が元魔法少女向けに斡旋しているサービスや支援の一覧が書かれたパンフレットだ。ホノカは以前、これを読んで今のアルバイトを斡旋してもらった。
「なんか希望があったら言ってよ。言うのは、まあ、オレでもいいけど、局に電話したほうがいいんじゃないかな」
もちろんアントマンを辞めるつもりなどないが、一応、アルバイト先が書かれた冊子を手に取って中身を流し見する。多くは中小企業の事務だったり作業員だったり、どれもが“おかたい”仕事だ。どのみちできる仕事などたかが知れている。その中でもアントマンはかなり異色ではあった。もし他の職場を選んでいたらどうなっていただろう、とホノカは考えながら、冊子を閉じる。
「あの」
よせばいいのに――続けて口を開いてしまったのはホノカのほうだった。
「?」
「この前の件」
「うん」
「また聞いたりしないんですか」
「何も知らないんでしょ。それ以上は聞くつもりもないよ」
「そうですか」
そこで会話が終わる。
「――じゃ、今日は終わろっか。また次回、よろしくね」
食事の時間三十分。面談十分。以上、終了。
―――
同日。夜。某所。マンションの一室。
部屋に入り、手に持っていたコンビニ袋をテーブルの上に放り投げ、その足でベランダへと向かう。隣部屋から何度か苦情が出ていたかな、と思い出すが、気にせず煙草に火をつけ、傍にあったキャンプ用の小椅子に座る。一本をゆっくり吸い、部屋に戻り、コンビニ袋からチューハイの缶を取り出して開ける。
帰り道ですっかりぬるくなってしまった中身をあおり、テレビのリモコンを手に取る。
夜十時のドラマ。画面いっぱいにアップになった女優が涙を流しながら「お願い、こんなところで死なないで」と――。
――チャンネルを変える。バラエティ番組。大柄な男がにこにこと笑いながら有名ラーメン店を――。
――チャンネルを変える。ミニバンのテレビコマーシャル。若い父親がミニバンに家族を乗せて旅行に出かけようとしている。父親は運転席に、後部席では母親と一人娘が楽しそうに――。
――チャンネルを変える。夜のニュース。北海道で、先月から行方不明になっていた十九歳女性……さんが遺体で発見されました。先月二日……さんは家族に「買い物に行ってくる」と言って出かけたまま失踪、両親からの届け出を受けて捜索が続いていました。けさ八月二十九日の八時頃、住民から「近所の公園で人が倒れている」と連絡を受けた警察が女性の遺体を発見。昼頃、病院で死亡が確認され、身元は行方不明になっていた……さんと判明しました。死因は自殺とみられ、警察では原因を――。
――スイッチをOFF。
缶を手にしたまま、視線が棚の上にある写真立てに向けられる。
中に入った写真は一度斜めに切られており、片方には少女が、もう片方には――こうして写真を見つめる本人の顔が写っていた。
写真立ての裏には『十五歳 誕生日』とだけメモ書きがある。お互いに笑顔はなく、二人とも、どこか茫洋とした顔で佇んでいる。妻と別れて親権を取られる半年前に撮られた最後の写真。
部屋を見渡す。キッチンは長く使われた形跡がなく、傍には捨て忘れたゴミ袋がいくつか転がっている。それをのぞけば限りなく生活感のない部屋。
もう一度写真を見返し、戻す。チューハイを飲み切る。
誰もいない部屋の隅で、誰に言うともなく、独り呟きが漏れる。
「――シオリさ。お前、オレに、父親らしいこと、なーんもさせてくれなかったな」
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