#3 思い出したくもない。

 夏の青空。多摩川沿い。草野球にいそしむ少年達の声が響く。


 ブスジマは土手にしゃがみこみ、コンビニ袋からクリームパンとチューハイを取り出す。黙々とパンを咀嚼し、飲み込む。続けて袋からコンビニチキンを取り出し、これもまた黙々と食い、チューハイで流し込む。

 向こうに架かる橋。変わらない景色。かつてよく歩いた道。


 後ろに気配。


「先輩、お久しぶりです」

 チキンを平らげ、またチューハイで流し込む。

 ブスジマは振り返らず、左手をあげる。

「今日は仕事ですか」

「休みの多い職場だからさ」

「冴えないですね」

「お前も、こんなとこで油売っちゃってていいの」

「捜査のついでに見つけただけです」

「あっ、そう」

 モリワキはブスジマの横に座り、煙草に火をつける。

「どうなんですか。監察局」

「まじめにやってるよ。お前らみたいに煩わしい部下もいないしな」

ブスジマはコンビニ袋にゴミを丸めて押し込む。

「俺はてっきり捜査関係で“出向”したと思ってたんです」

「もしそうだったら、あいつらオレなんかじゃなくてもっと頭いいやつ選ぶよ」

「本当でびっくりしたんですよ。いきなり辞めるとか言い出して、どこ行くのかと思ったら監察局だなんて」

「……」

 ブスジマは応えず、黙って土手の向こうを見ている。草野球。バッターの放った間抜けなフライが打ち上がり、さらに間抜けなライトが取り落とす。

「応えなくても、理由は分かってますけど」

 一塁から二塁。

「あの不気味な奴らが二年で二十五人ずつ、どんどん増えてきて。この世の中もどんどん狂ってきて。この仕事やってると、世の中のおかしいところばかりが見えてくるんです」

「そんなもん、ずっと昔からそうだったよ」

「最近じゃ“元魔法少女”を使った犯罪なんてのも囁かれるようになりました。世間知らずが世間知らずを使って、ルールも知らないクソみたいなことをする」

「監察局なんて言ってもな、所詮はヘボなNPOだからな」

「さっさと特定して全員拘束するべきだって意見、俺は賛成ですがね」

「“プライバシーの問題”もあるしな。日本はアレだ、人権と自由の国だからな。しょうがねえだろ」

 バッターアウト。親と思しき男が笛を吹き、スコアボードに書き込む。


「それで、お目当ては見つかったんですか」

「どうかな」

「見つけて、それでそいつをどうするんです」

「どうしようかね」

「仕事は増やさないで下さいよ。“元上司”に対応するなんて、俺はやりたくないですから」


―――


「来週?」

 食事を終えたヨウコは眉をひそめる。

 母親と二人きりの食事。父親は今日も仕事で遅い。

「お盆だから。長野の。お父さんの実家に」

「私も?」

「……ほら。去年は“帰ってきたばかり”でさすがに行かなかったけど、今年は顔くらい見せないと」

「私は別にいいけど……お父さんは? それでいいの?」

 行きたくない、というわけではない。今さら自分自身のことについて何かを囁かれようと、ヨウコの感覚はもうとっくに鈍化している。それよりも気がかりなのは、両親に向けられる目のほうだ。

「お義祖父ちゃんがね、また孫の顔くらい見せろって。そういうのは気にしない人だから」

「おじいちゃん、は」

「ええ……」

 義祖父は確かに豪胆な人間で、細かい事や風評を気にしない、明るい人間だ。ヨウコも小さい頃によくかまってもらった記憶がある。問題はそれ以外だ。あの一族の集まりはかなり大きい。親戚一同が集まるとなれば、もはや他人にも等しい血縁までもが来る。彼らが皆、義祖父と同じように接するかと言えば、答えは決してイエスではない。ましてや田舎のコミュニティとあれば。

 母親の歯切れが悪いのも、たぶん、同じ事を考えているからだろう。


「ごちそうさま」


 ヨウコは食器を片付け、自室に戻る。


 帰還して一年。もう一年。あの地獄で過ごした“一ヶ月”(?)があっという間だったように、この一年もあっという間だった。

 高校も辞めた。バイトも辞めた。ヨウコにとって、今はいわば余生だ。十八歳にして隠遁生活をすることになった。時間の感覚がおかしくなるような命がけの日々から帰って――しかし、何もすることがなくてもやはり時間の感覚はおかしくなっていく。自分は何者なのだろうか。“元魔法少女”。残ったのはこの肩書きと、使いどころのないギフトだけ。

 もちろん監察局からは色々と提示された。特にコニシはそういうものに熱心だった。いくら支給があるとはいえ、多い額ではない。将来のために定時制高校へ通うことも進められたし、就職先の斡旋もされた。しかしヨウコはそれらをすべて断った。何が起きるわけでもない。何を望んでいるわけでもない。何も起きて欲しくない。何もしたくない。死ぬまで何もしたくない。将来のことなど考えられない。学もない。未来も分からない。私はあの地獄を生きのびてしまった。けれど今は? 生きているのか死んでいるのか。


 あの日、帰ってきた時、母は「生きているだけで嬉しい」と言った。

 私はどうなんだ。生き残る価値はあったのか。


 そうして一週間はあっという間に過ぎていく。


―――


 一週間後。長野県某所。


「――隠したがる子も多いんですよ。東京よりも、こういうところだとなおさら」

 軽自動車を運転しながら、オオズミは言う。

「ですから面談も現地集合で、お互いひっそりと集まって、ひっそりと行うんです。噂が広まりやすい地方特有、というと偏見がありますけれど……ともかく、噂になるのは彼女にとっても良いことではありませんので」

 監察局長野担当オオズミ。年齢は二十代半ば。元々は東京の大学で心理学系を学んでいたのが、そこでのボランティア経験や何やかんやを経て、監察局の局員として務めることにしたのだという。

「それにしても、僕でいいんですかね。いえ、参考にして頂けるなら光栄なのですが。東京からわざわざお越し頂いて」

 オオズミは少し照れくさそうに笑い、助手席を見る。

 助手席に座るブスジマは、黙って前を見つめていた。


「特に、今回の子は、もう一年にもなるんですが、ちょっと予後があまり芳しくなくて――あとは、まあ、現地で見て頂ければ。よろしくお願いしますね」


―――


 某所。国道沿いの喫茶店。


「今日はね、東京の監察局から一人いらっしゃってるんだ。ブスジマさんというのだけど。気にすることはないよ。いつも通りでいいんだ。よろしくね」

 オオズミに紹介され、ブスジマは頭を下げる。

「カナちゃん、今日は何を飲む? いつもの、アイスティーでいい?」

 カナ、と呼ばれた少女はこくりと頷いた。基本的な受け答えは出来ているが、しばしば視線が遠くに向くことがある。“1000ヤードの凝視”だ。それだけでどういう精神状況にあるかは明らかだった。ブスジマは手元の資料を見ながら、二人のやりとりを聞く。


「最近、何か面白いことはあった?」

「勉強で分からないところはない?」

「そうか。おばあちゃんの畑の手伝いをやったんだね。それは良いことだ。きっと、おいしい野菜なんだろうな」


 オオズミのやっていることは、面談というよりほとんどカウンセリングだった。


―――


 カナ。第八回帰還者。現在十七歳。またの名を元魔法少女“ゴートレッグ”。元は地元の県立高校でバレー部に所属する活発的な少女だったが、高校一年の時に失踪。そして帰還。かつての明るい性格は既になく、典型的なシェルショックを発症しており、拒食、重度の鬱などに悩まされたという。その後はいくらか改善したが、まだ治療中。半年前から、かろうじて定時制高校に通えるようになったとのこと。


「あの子達は孤独なんです。何があったのか、僕達は、恐怖を共有することもできないし、分かってあげることはできない。だから傍で、彼女が話すのをじっと聞いてあげるのが重要なんですよ」

 面談に入る少し前。軽自動車の車内で彼はそう応えた。それは元魔法少女にとる態度としてはまったく正しい在り方だ。

「彼女らの過ごした“一ヶ月”は、きっと僕達の過ごした一年よりもずっと長い」

「一ヶ月?」

 ブスジマは聞き返した。

「聞くたびに変わるんです。一ヶ月とか二ヶ月とか、二週間ということもあった。少なくとも一年間なんて長い時間じゃなかったと。……ブスジマさんの担当している子も、そう言っていませんでしたか?」

「いえ」

「そうですか。まあ、話したい子とか、話したくない子とか、色々いますからね。僕達の知らないあの世界は――どうも、時間の感覚をおかしくさせる効果もあったようです」


―――


 普通に話している分には、カナの表情はそれほど深刻そうには見えない。だが、視線がおかしくなるのと同様に、時折、ひゅ、ひゅ、と過呼吸を起こすことがあった。そのたびに彼女はオオズミに添われ、彼の呼吸に合わせて深呼吸をし、それから首のあたりをさするような動作をした。これもシェルショックの症状なのだという。手元の資料曰く、ショックの直接的原因は、敵であった魔法少女に“絞殺されかけた”ことらしい。カナは、あの地獄で――死の淵ギリギリまで立たされ――ほんの少しの差で戻ってくることができた。それがフラッシュバックして、ああなるのだろうと。自分以外の誰もが敵。そんな地獄でカナは“一ヶ月”生き残り続けた。それ以上のことは分からない。カナは語らないし、オオズミも語らせたがらなかった。


 途中、オオズミの電話が鳴り、席を抜けた。そのタイミングでカナも洗面所に行き、ブスジマ一人だけが取り残された。


 それから何があったわけでもない。二人は最後まで“世間話”をして、終わる頃にはカナの表情も和らいでいた。

 面談が終わり、帰りはカナも含めて三人で軽自動車に乗る。いつもそうして最寄りのコンビニあたりまで乗せていくらしい。

「地方は車社会ですからね。バスも少ないんです。面談終了の時間に合わなくて、いつもこうしてるんですよ」

 そう言いながらオオズミは運転席に乗り込み、そこでふと動きを止めた。

「……あの」

「はい」

「出発前に、ちょっとトイレ行ってきていいですか」


 そうしてブスジマとカナの二人が残った。エンジンをかけたままの車内は冷房の風音だけが響き、しばらく無言の時間が流れた。そして。

「カナちゃん、って言ったっけ」

 ブスジマは正面を向いたまま呟く。カナは応えない。ブスジマは言葉を続ける。


「お前さ、嘘ついてんだろ」


―――


「やっと二人きりになれたからさ、聞いてみたんだよ」


 オオズミの飲み物に仕込んだ薬は即効性だ。

 しばらくトイレから戻ってこないだろう。


「どうしてそう思ったの」

 カナが放つ声のトーンは面談中のそれよりも低く、そして冷ややかだった。

「昔、そういう人間を何人も見てきたから。なんとなく分かるんだ」

「ただの勘?」

「ブラフだよ。オレが言ったらそういう反応を見せたろ。そしたら当たった」

「信じられない。監察局の人間が、ふつう、そういうことやる?」

 カナはそれからしばらく黙っていたが、その内に言葉を続けた。先ほどの、大人しく弱々しい少女の雰囲気は既にない。

「知ってると思うけど……経過状況で支給額も変わるの。症状が重いと、社会復帰がどうのとかで貰える金額も多くなるから。だから“フリ”をしてる。半分ね。実際、パニック起こすこともまだ無いわけじゃないけど」

「なるほど」

「あと一番の理由は、根掘り葉掘り聞かれるのが面倒くさいから。おかげでだいぶラクしてる。あいつ全然そういうことを疑わないし」

「あっ、そう」

「バラすつもり?」

「いや。カナちゃんも色々あるんでしょ。チクるつもりはないよ」

「なら」

「ひとつ、教えて欲しいことがあってね。教えてくれれば、オレ別に何も言わないから。悪い話じゃないでしょ」

 ブスジマはそう言って、ポケットから写真を取り出し、後ろへと手を伸ばす。

「カナちゃんを殺そうとした子って、この子?」

 カナは何も言わなかった。何か過呼吸や“発作”を起こすこともなく、黙って写真を見て、それから一言こう呟いた。

「クソ女」

「……」

「そう。このクソ女。早くしまって。もう顔も見たくない」

「まあまあ。ちょっとね。そっちと同じで、こっちにも色々事情があるんだ。この子の事を知ってたら教えて欲しいなって」

「第八回のトップランカー。たぶん、一番多くの魔法少女を殺した」

「なるほど」

「それも銃とかナイフじゃなくて、片手で、首を絞めて殺していった。そういう死体をいくつも見た。あのクソ女は異常だった。“マッチング”されてからすぐ、何の躊躇もなく、次々と」

「マッチング?」

「向こうに送り込まれることをそう言うこともあるんだって。理由も意味も知らない。誰ともなく使い始めた。ていうか、監察局なのにそんなことも知らないの?」

「まだこの仕事をはじめて日が浅いもんでね」

「ともかく、私もアレに殺されそうになった。冗談じゃない。本気で思い出したくない。おかげでまだ、たまに首が痛むの。それは本当」

「よく生き残れたじゃない」

「崖から飛び降りても無事で済む。私のギフトが唯一役に立ったのはそこくらい」

「ああ。だから“ゴートレッグ”」


 周りの魔法少女達が慌てふためき、自らの能力すら分からない中で、“バイスフィンガー”だけはすぐに行動を開始したのだという。

「なに考えてる目なのかさっぱり分からなかった。あんなの人間の目じゃない」

 カナもあやうく絞殺されかけたが、咄嗟にはね退けて崖から飛び降りて逃げ出すことができた。それから先、遭うことはなかったという。


「で、そいつ、生きてるの?」

「どうかな。悪いけど“プライバシーの問題”で答えることができなくてさ」

「ふん」

「生きてたらどうする」

「私に関わらなければどうだっていい。言ったでしょ、根掘り葉掘り聞かれたくないし、思い出したくもない。でも、できれば長く苦しんで死んで欲しいかな。私だって、もしこっちで会うことがあったら、たぶん、殺してる」

 それは何故、と言おうとして、止めた。

 カナの語り口は終始淡々としていた。昔は活発な子だった、というが、本当に変わってしまったのか、それともわざと心を凍らせているのか。ブスジマにとってはどちらでも良い。


「あとさ。この子は知ってる?」

 ブスジマは続けてもう一枚の、切り抜き写真を出す。

「質問はひとつまでって言ったはずだけど」

「オオズミさん、もうちょっと戻ってきそうにないから」

 カナはため息をつく。

「知ってるよ」

 ブスジマの片眉が、ひく、と一瞬下がった。

「“クイックハンド”でしょ。始まってからしばらく、私と一緒にいた。……監察局ってのは、探偵のマネも仕事のうちなの」

「ま、そういうこともやるかな」

 ブスジマは抑揚のない声で応える。

「よく覚えてるよ。あいつ、戦う気力もなくて、とにかく逃げてばかりでさ。誰も殺せない。殺したくないって。正直足手まといだったけど、何しろ全員が敵だから、あの時は誰か、普通に会話できるヤツが一人でもいないとキツかったから。だから、一緒にいた」

「で?」

「途中ではぐれちゃって、それから見てない。生き延びたのか死んじゃったのか。まともに生きていられるとも思えないけどね」

「あっ、そう」

「なに。そいつも生きてるの?」

「“プライバシーの問題”」

「はいはい」


 喫茶店からオオズミが出てくるのが見えた。そろそろ潮時だろう。

「……おじさん、疲れない?」

 終始、二人は顔を合わせることなく会話をした。

 最後にカナはそう呟いた。

「何が」

「私も含めて、こんな、頭のおかしい奴らの相手をするの」

「仕事だからさ」

「私だったら、もし自分と会話することになったら、ブン殴ってる。……別に、もうどうでもいいけど」


 脂汗を浮かべたオオズミが運転席に戻る。

 そうして、ブスジマもカナも、一切言葉を交わすことなく、それきりだった。

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