クリスマスが今年もやってくる

 今まで、クリスマスが何曜日かなんて気にしたこと無かった。


 …………ああいや、大学生の頃は違うか。

 バイトしてたファミレスがめちゃくちゃ混むから、頼むから平日であってくれって祈ってたっけ。クリスマスは毎年シフトに入ってた。まあ、予定なんて無かったからな。


 だから────ポジティブな意味でクリスマスの曜日を気にするのは、生まれて初めてのことだった。


「…………平日かあ」


 クリスマスを木曜に控えた、週の頭月曜日。俺はスマホのカレンダーを眺めて気を落とした。


「…………平日なんですよ……」


 なーちゃんも残念そうに肩を落としている。身を投げ出すように俺の隣に座ると、ソファがぽふっと優しい音を立てた。


「一緒に過ごす初めてのクリスマスだし、どこかに出掛けたかったけど……」


 俺が帰宅出来るのが早くて十九時なんだよな。それから行動するとなると……ちょっと後手に回ってしまうか。その時間だとそれらしいお店は既に予約で一杯だろうしな。


「ちーくんは定時で帰れそうなんですか?」


 ぽて、と俺に身体を預けながらなーちゃんがそんなことを聞いてきた。さらさらの髪が頬に触れてちょっぴり擽ったい。


「うーん……多分定時で上がれると思うかな。最悪上司に言えば大丈夫だと思う」


 クリスマスに「定時で上がらせろ」なんて言ったら妙な勘繰りをされることは目に見えているけど。俺に彼女が出来たなんて知ったら課長、びっくりするだろうなあ。俺だってびっくりしてるんだもん。


「なら、私がちーくんの職場に迎えに行くのはどうですか? それなら十八時くらいにはフリーになれますよね?」


「…………なるほど」


 なーちゃんの案は…………うん、いいかもしれない。

 それならお洒落なレストランなんかも入れるかも。


「それ、名案だ。流石なーちゃん」


 がしがしと強めに頭を撫でる。髪の毛がわしゃわしゃになるからやってるこっちは不安なんだが、なーちゃんは強めにされるのが好きらしかった。


「…………えへへ。私もどうやったらちーくんとクリスマスデート出来るかな、って考えてたんです」


 猫みたいに目を細めてリラックスしているなーちゃんを見ていると、仕事の疲れも吹き飛んでいくような気がした。


 昔はこおりちゃんの声で。

 今はなーちゃんの全てで。


 …………ずっと、癒して貰ってるんだなあ。


「毎日がクリスマスみたいなものだけどね、俺は」


 俺の言葉の意図を知ってか知らずか、なーちゃんが嬉しそうに笑う。


 …………ほんと、なーちゃんと過ごす毎日が記念日みたいなものなんだ。


「……ふふ、私もですよ」


 二人で笑いあって、その後はまったりとした時間が流れた。身体をぴったりと寄せ合っていると、黙っていても相手の考えていることが分かるような気がした。しーんとしたリビングにはきっと幸せが満ちている。


「────あ、そういえば」


「うん?」


 なーちゃんは、まるで何でもないことのように。


「次のMMVC、出ることにしました」


 衝撃的な事を俺に告げるのだった。





「────岡、ちょっといいか」


 デスクで次のプレゼンに使う資料とにらめっこしていると、少し離れた所から俺を呼ぶ声が聞こえた。


「なんですか課長」


 課長のデスクに近寄りながら「何かしたっけな……」と頭を働かせる。ミスはしていないはずだけど……。


 けれど課長の前で身構えている俺にかけられた言葉は、予想の遥か上をいくものだった。


「今日、飲み行かないか?」


「…………はい?」


 てっきり仕事の話かと思っていた俺は呆気にとられてしまった。


 …………飲みの誘い……?

 課長から個人的に誘われたのは初めてでびっくりしている。


「ほら、お前って飲み会毎回来てるだろ? ここ最近仕事頑張ってるからさ、個人的に酒でも奢ってやろうかと思ってな」


「あー…………」


 確かに酒を飲むのは好きだけどあれは現実逃避に近い部分があったし、飲み会皆勤なのはせめてそこで点数を稼ごうと思っていただけなんだよな。

 現になーちゃんと付き合ってからは殆ど飲酒していなかった。なーちゃんが下戸だというのも大きいけれど。


 それにしても課長とサシ飲みかあ。

 課長とはそこまで親しい訳では無いけど、作業態度の良くない俺にも普通に接してくれるし、そういう意味では感謝している部分はある。他の課長の下だったらもう少し俺のメンタルはやられていたのは間違いない。飲みの誘いを頂けたのならお受けするのはやぶさかではなかった。


 ……でもそれが、よりにもよって今日とは。


「すいません。今日は用事があるんです」


 俺がそう告げると、課長はその強面を精一杯引き攣らせてびっくりしていた。


「…………岡、お前…………彼女、いるのか?」


「…………まあ。最近出来たんです」


 そう、今日はクリスマスイブ。定時にはなーちゃんが迎えに来てくれることになっている。


「マジか……俺の見立てが甘かったか……」


 課長は残念そうに呟くとがっくりと肩を落としてしまった。


「…………?」


 課長の態度に違和感を覚える。

 俺と飲みたいというのであれば日を改めればいいだけ。

 この落ち込みようはそれだけでは説明がつかなかった。


「……あれ、そういえば課長って結婚してませんでしたっけ」


「う…………」


 俺の言葉に課長がさらに沈み込み、ついにはデスクに突っ伏した。


「…………昨日嫁と喧嘩してさ。帰り辛いんだよ……」


「……ああ」


 なるほど、そっちが本命だったのか。


「やっぱり結婚すると喧嘩とかするんですね」


 なーちゃんと付き合ってもう少しで二か月経つけれど、喧嘩したことは一度も無かった。喧嘩するイメージすら思い浮かばない。

 でも、それはどのカップルも付き合いたてはそんなものなのかもしれない。それならば俺となーちゃんもいつかは喧嘩したりギスギスするようになるのかな。


 …………嫌だな、それは。


「そんなのはもう日常茶飯事よ。……岡、お前は今は付き合ったばかりでラブラブかもしれないけどな、そんなのは一瞬だぞ? すーぐにささいなことで言い合いに発展することになるんだこれが」


「…………それなのに、結婚するんですか?」


「そりゃあ、好きだからな。喧嘩してもなお一緒にいたいと思える相手と結婚はするもんだ。俺は結婚してもうすぐ十年だが、今でも嫁のことは大好きだぞ? 勿論喧嘩はするけどな」


 ガハハ、と豪快に課長は笑った。


 仲が良ければ喧嘩なんてしないと俺は思っていたけれど、それは実は勘違いで、俺となーちゃんはまだ喧嘩できるような仲に至っていないだけなのかな。喧嘩するほど仲がいいという言葉もある。


 確かに俺はもしなーちゃんと衝突することがあれば、嫌われることを恐れて、自分が折れることでそれを避けようとするだろう。それなら確かに喧嘩は起きないが、果たしてそれは本当に仲がいいと言えるんだろうか。何でも言い合える親密な仲なのだろうか。


「…………為になりました。それで、今日は定時で帰りたいんですが……」


 だけど、別に進んで喧嘩をする必要はない。そういうのは自然に任せていればいいと思う。


 ────とりあえず今日のところは、待ち合わせに遅れてなーちゃんを怒らせることは避けよう。


「おう、スケジュールもいい感じだし大丈夫だぞ。はーあ、俺も定時で上がって居酒屋行くかなあ」


 もし喧嘩するほど仲がいいと言うのなら。


 なーちゃんと喧嘩する日が来るのも、それはそれで楽しみだなあ。





「お先に失礼します。お疲れさまでした」


 定時のチャイムが鳴り、俺は席を立った。十分ほど前になーちゃんから「着いたよー」とルインが来ていた。寒空の下なーちゃんを待たせたくはない。


 さっとカードキーを通しフロアから出ると、ボタンを押してエレベーターを待つ。うちのビルは無駄に階数が多いからこのエレベーターを待つ時間が長くてもどかしい。


「はー終わった終わった」


 エレベーターを待っていると、いつの間にか横に課長が立っていた。


「居酒屋ですか?」


 俺がそう尋ねると、課長は恥ずかしそうに頬を掻いた。


「やっぱケーキ買って帰ることにした。クリスマスは笑顔でいたいしな」


「…………はい。そうですね、俺もそう思います」


 満更でもなさそうな課長を見ていると、なんだかこっちまで嬉しい気持ちになった。課長の所はこうやって何度も雨降って地固まるを繰り返しているんだろう。


「お、エレベーターくるぞ」


 階数表示に目を向けると、丁度俺たちのいる二十階に変わるところだった。さっと乗り込むとボタンを操作する。社会人のマナーだ。


「そういや岡の彼女っていくつなの?」


 神楽さんの住むタワーマンションと違いごうごうと大きな音をたてているエレベーターの室内には俺と課長の二人しかいなかった。定時直後なのに運が良く途中で止まることなく順調に降下していく。


「今年二十一です」


「わっか! 学生?」


「そうですね」


「どうやって知り合ったんだ?」


「うーん……」


 趣味の繋がりと言っていいんだろうか。

 きっかけはなーちゃんを助けたことだから、それで言うとご近所さんってことになるんだが、栗坂さんも協力してくれたし神楽さんや鳥沢さんとの出会いや交流がなければこうなっていないような気もした。


 課長も、まさか夏に仕事をしたバーチャル配信者がきっかけで俺に彼女が出来たとは夢にも思っていないだろうなあ。


「趣味がきっかけですかね。丁度住んでいる所も近かったんですよ」


「ほー、上手いことやったなあ」


 課長と話しているといつの間にか一階に到着していた。エントランスを抜けると、冷たい風が頬を撫でていく。


 なーちゃんは…………いた。少し向こうの歩道に立っている。丁度向こうも気が付いたようで、手を振ると早足でこちらに向かってくる。


「え…………あの子が彼女?」


 俺達のやり取りを隣で見ていた課長が驚いた声を挙げた。


「そうです」


「え…………めちゃくちゃ可愛いな……モデルとかじゃないよな。…………岡、お前大切にしろよ。あんな可愛い子滅多にいないぞ本当に。びっくりしたわ」


「……今から大切にしてきます。じゃあ、お疲れさまでした。失礼します」


 課長に頭を下げて、なーちゃんの元に歩き出す。


 そういえばバーチャル配信者以外の知り合いになーちゃんを彼女だと紹介するのは初めてだったけど、なーちゃんを褒められるのは自分のことのように嬉しいな。


「お疲れ様、ちーくん」


 クリスマスが今年もやってくる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る