千早の生き方

『────本日の配信はここで終了です。観て下さって本当にありがとうございました』


 こおりちゃんの配信が終わり、シーンとした静寂が部屋に帰ってくる。


「…………なんか元気なかったな、こおりちゃん」


 ここ数日こおりちゃんの配信を見る度に思っていた。

 ………少し元気がない気がする。


 目に見える違いはないんだけど、(バーチャル配信者相手に目に見えるというのもおかしいが)声のトーンというか感情の起伏がいつもより小さい気がするんだよな。


 ほとんどの人は気が付いてないだろうが、こっちは伊達に一年以上ファンをやっていない。こおりちゃんの声は誰よりも聴いてきた自信がある。

 だからこそ気付いたんだ。


「…………」


 こおりちゃんのツブヤッキーを確認してみるが、特に変わったことはない。私的なことを呟くサブアカウントの方も同様だった。


「何かあったのかな……」


 心配だが……俺に出来ることは特になかった。


 配信をすれば数万のコメント。呟けば数百のメッセージ。


 俺がメッセージを送った所でそれは数百の内のひとつ、数万の内のひとつでしかなく、何かこおりちゃんの助けになれるとは到底思えなかった。


 俺は数十万人いるファンのひとりでしかない。


 その圧倒的な事実が…………どうにももどかしかった。


「…………」


 半ば無意識にルインを起動する。


 俺は何十万人いるただのファンでしかない。

 でも────そうじゃない知り合いがいる。


 俺は自分の中の衝動に身を任せてメッセージを送信した。





『最近こおりちゃんが元気ない気がするんですが、何か知りませんか?』


「あー…………」


 メッセージを見て渋い声が出た。


 送信者は岡さん。

 きっとこおりちゃんの配信をみて何か違和感に気が付いて、それで共通の知り合いの私に聞いてきたんだろう。


「何かって……」


 そりゃ十中八九…………岡さん、あーたのことでしょーよ。


 この前岡さんと飲んだ日の夜、ななみんとボイスチャットで少し話をした。

 私も岡さんとの事を誤解されたくなかったし、向こうも色々話したいことがあったみたいだったから。


 そこである程度の事情は把握出来た。


 私は岡さんに全部暴露すればそれで上手くいくと考えてたけど、それじゃななみんは嫌みたいだった。


氷月ひゅうがこおりとしてじゃなく、木崎奈々実として岡さんに好きになって欲しい』


 ななみんはそう言ってた。


 聞いてた時はそんなもんかねえと思っていたけど、


『あなたがこおりちゃんなんですか!? 好きです! 付き合って下さい!』


 …………確かに、これはなんか嫌だな。ななみんの気持ちもわかる気がする。


 ────とはいえ。


「ん〜〜…………」


 あんまり口を出すのも良くないと思うけど、時間を掛ければ掛けるほどこの問題は悪化しそうな予感がする。


 色んな感情でがんじがらめになって、ななみんが動けなくなってしまう気がする。


「…………よし」


 ななみんと知り合いだってこともバレたし、ちょいと話してみますかね。


 私はポチポチとスマホを操作し岡さんにメッセージを送った。


『今通話大丈夫?』




『おっすー』


 スマホから聞こえるのは先日の飲み会ぶりの声。


「こんばんは」


 いきなり通話って……一体どうしたんだろう。


 もしかして、こおりちゃんに何かあったんだろうか。


『何だかいつもいきなりで悪いね』


 深刻な考えが過ぎる俺とは対照的に栗坂さんの声は軽かった。


「大丈夫です。あと寝るだけなので」


『そかそか。通話したのはさ、ちょっと聞きたいことがあったからなんだよね』


 聞きたいこと……?


「それってこおりちゃんの事と何か関係があるんですか?」


『勿論。この件によってこおりちゃんが元気になるかが決まると言っても過言じゃないね』


「え」


 栗坂さんは衝撃的なことを言い出した。


 俺の答えでこおりちゃんが元気になるか決まるだって……?


 俺は一体何を聞かれるんだろうか。

 配信について視聴者の意見が聞きたいとかだと思うが、これは真剣に考えなければならない。


 そして……こおりちゃん、やっぱり何か悩んでいたんだ。

 配信やツブヤッキーではいつも通りに振舞っていたけど、栗坂さんには事情を話していたようだ。二人は本当に仲がいいんだな。


『じゃあズバリ聞くんだけどさ────』


「…………」


 俺は固唾を飲んで次の言葉を待った。


『────岡さんって、ななみんの事どう思ってるの?』


「……………………え?」


 …………聞き間違いだろうか。


 今、菜々実ちゃんの名前が出た気がするが……。


『ななみんだよななみん。木崎菜々実。どう思ってるのさ』


 …………どうやら聞き間違いではないみたいだった。


「えっと…………すいません、ちょっと待って下さい。質問の意図が分からないんですけど……」


 俺と菜々実ちゃんの事が、どうこおりちゃんに関係してくるというんだろう。


『あー……あれだ、ファンの意識調査だよ。こおりちゃんのファン層が恋愛に興味があるのか、それが知りたいんだよ。という訳で…………どうなのさ』


「ええ…………」


 何だか取ってつけたような雰囲気を感じるが、事情を知っているらしい栗坂さんを信じるしかない。


 俺に出来ることでこおりちゃんが元気になるなら、協力しない理由がなかった。


「…………」


 …………ところで、これはどう答えるのが正解なんだろうか。


 どう答えたらこおりちゃんは喜んでくれる?


 全く想像が付かない。


『あ、本心で答えてね。じゃないと意味ないから』


 俺の考えを見透かしたのか、栗坂さんが釘を刺してきた。


 うーん……本心と言われてもな……。


「…………そもそも、どうして菜々実ちゃんなんですか」


『あれ、岡さんと一番仲がいい異性ってななみんだと勝手に思ってたんだけど、違った?』


「…………それは……違わないですけど」


 まあ……うん。それは間違いない。


 神楽さんや鳥沢さんとも仲はいいと思うが、一番仲がいい人はと聞かれたら、奈々実ちゃんの名前を挙げると思う。


『うんうん。それで…………どうなのさ』


 嬉しそうな栗坂さんの声。


 どうして嬉しそうなんだろう。もしかしてこおりちゃんの件をダシに遊ばれてるんだろうか。


「どうって言われても……いい子だな、とは思いますけど」


『それだけ? 可愛い〜とか、付き合いたい〜とか、思わない?』


「いや……そりゃ勿論可愛いと思ってます。ただ…………付き合いたいとかは……あまりにも差がありすぎて」


 奈々実ちゃんと焼肉を食べに行った時。


 ピクニックに行った時。


 周りの人にどんな目で見られていたか、気付かなかったわけじゃない。


『えっ、どうしてこんな可愛い子がこんな奴と!?』


 俺達を見る瞳には、そんな感情が強烈に込められていた。


 それが俺と菜々実ちゃんに対する世間一般の反応なんだ。


 俺すらも、まあそうだよなと思ってしまう。


 そんなだから、菜々実ちゃんと付き合いたいとか考えたこともなかった。


 …………いや、努めて考えないようにしていた。


 意識すれば、その『差』と正面から向き合わなきゃいけない。俺と菜々実ちゃんの圧倒的な差に。


「普通に考えたら、俺と奈々実ちゃんが付き合えるわけないですよ。俺なんかと付き合う理由が菜々実ちゃんには無いんです」


 もし────俺が奈々実ちゃんのことを意識してしまったら。


「仲良くしてくれてるだけでも俺にとっては奇跡みたいな出来事で。俺は…………この関係を、壊したくないんです」


 意識しなければ、この関係を続けていられる。


 二十五年間灰色の人生を歩んできた……これが俺の生き方だった。


 神楽さんの事も鳥沢さんの事もそうして俺は上手くやってきた。

 あの二人だって、そして今話している栗坂さんだって、俺と比べたら月とスッポンなのだ。

 

 ひとたび意識すれば……好きになれば……傷付くだけ。


『ふうん…………なるほどね、そういう感じなんだ。…………もう後は当人達の問題かなあ』


「えっと…………なんですか?」


 最後の方、声が小さくて聞こえなかった。


『いやいや、こっちの話! ありがとう、貴重な意見だったよ!』


「何だか好きに喋っちゃってすいませんでした。…………こんなんで、本当にこおりちゃんが元気になるんですか?」


 栗坂さんにおちょくられただけのような気がしなくもないが……。


『そりゃもう、間違いなく。あとは任せておきなって』


 何だか自信満々な栗坂さんを信じて、俺たちは通話を終えた。

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