私はおまけじゃない

「────真美さん?」


 改札の前で栗坂さんと軽く話していると、改札の向こうから菜々実ちゃんが歩いてきた。スマホをタッチして改札をくぐると、こちらに歩いてくる。


「…………ななみん?」


 栗坂さんが菜々実ちゃんを見て驚いた表情を浮かべた。


 ……なんだ? 二人は知り合いなのか?


「…………どうして真美さんが千早さんと一緒に?」


 菜々実ちゃんは俺と栗坂さんを交互に見て首を傾げる。


 栗坂さんは菜々実ちゃんを手で制すと、眉間をもう片方の手で揉みながら苦しげに言葉を発した。


「あー……いや、ちょっと待って。えーっとだな…………そう! 私と岡さんは仕事で知り合ったんだ! 今日は一緒に酒でも飲むかと思って、そこの居酒屋で一緒に飲んでいたというわけだ!」


 素っ頓狂な声をあげ栗坂さんが高らかに叫ぶ。何だか口調がおかしくなっているけどどうしたんだろうか。


「ななみんこそ、岡さんと知り合いなの!?」


 栗坂さんが菜々実ちゃんに問いかける。


 呼び方から察するに親しい間柄なんだろうが、何だか二人の間に妙な空気が流れている気がした。


「あっ…………ん~~……? あ、そうですそうです! 私は千早さんの近所に住んでて、それで仲良くさせて貰ってるんです!」


 菜々実ちゃんまで変なテンションで叫びだす。改札の前で綺麗な女性が二人騒いでいるものだから周りの視線を集めてしまっていた。


 ……二人とも、一体どうしてしまったんだろうか。

 

「それはいいことだね! じゃあ私は帰るから……あとはごゆっくり!」


 そう言い残すと栗坂さんは慌ただしく改札の向こうに消えていった。


「…………」


 あとに残されたのは菜々実ちゃんと、何が起きているのか分かっていない俺。


「…………千早さん、一緒に帰りませんか?」


 菜々実ちゃんの提案に、俺は状況を理解出来ぬまま頷いた。





「────千早さんは真美さんと何を話していたんですか?」


 ロクに街灯もない真っ暗な道を、二人並んで歩く。


 足元もよく見えないようなこの道を、俺たちはまるで庭みたいにリラックスして歩いていた。この町に住むなら闇夜に慣れることはマストなのだ。


「うーん、なんだろう…………恋バナ……?」


「恋バナっ!?」


 菜々実ちゃんの声が静かな住宅街に響く。

 遠くで鳴いている鈴虫の声を不意に意識して、「ああ、もう秋なんだな」と思い知らされた。


「何だか栗坂さんが妙に聞きたがってさ。そういえば菜々実ちゃんと栗坂さんってどういう知り合いなの?」


「ふえっ!? え、え~っと……何だろう…………お、お友達、です」


 俺の疑問に菜々実ちゃんは露骨に挙動不審になった。


 なにか言い辛い関係なんだろうか。

 栗坂さんがいくつなのかは分からないが、菜々実ちゃんと同世代ということはないだろう。間違いなく俺の方が年が近い。二人がどういう繋がりなのかイマイチ謎だった。


「そっ、そんなことより……千早さんは何て答えたんですか!?」


「ん、何が?」


「何って、恋バナです!」


「…………ああ」


 …………恋バナと言っても、実際はこおりちゃんのことが好きだと暴露してしまっただけだ。


 これは恋バナというんだろうか。

 括り的には推しているアイドルとか好きな芸能人とか、そっち寄りだと思うが……。


「何て答えたと言われてもな……」


 ある種バーチャル配信者の栗坂さんだから赤裸々に話せたところはある。


 菜々実ちゃんのような普通の人に「バーチャル配信者に恋している」と打ち明けるのはかなりハードルが高かった。


 それに、菜々実ちゃんはこおりちゃんのことを知らないだろうしな……。


 姫やありすちゃんは色々な企業とコラボしているしコンビニやファミレスなんかでも見る機会があるから、普段ミーチューブで配信を観ないような人でも『魔魅夢まみむメモ』や『不可思議ふかしぎありす』という名前くらいは知っているかもしれないが、こおりちゃんは個人勢だからそういったコラボはしたことが無かった。


 菜々実ちゃんとエムエムについて話している時もミーチューブの話題が出たことは無いし、こおりちゃんの事なんて聞いたこともないだろう。


「まあ…………気になってる人がいる、とは言ったかな」


「えっ……?」


 俺の言葉に菜々実ちゃんが足を止めた。


「……菜々実ちゃん?」


 呼びかけるが、菜々実ちゃんは応えない。


「どうしたの、菜々実ちゃん」


 ほんの数歩離れただけなのに、闇夜がすっかり菜々実ちゃんを隠してしまっていた。

 ぼんやりとして、その表情がつかめない。


「…………だれ……なんですか……?」


 か細く、かすかに震えた声が聞こえた。


「……え?」


「千早さんの……気になってる人」


「あー…………気になっているって言っても、実は顔も名前も分からないんだ」


「…………え?」


 菜々実ちゃんの驚いたような声。


 ……こうなったら話すしかないか。

 どうして俺は一日に二回も自分の恋愛事情について打ち明けてるんだ。

 それも、魅力的な異性に。


「菜々実ちゃんにはあんまり馴染みのない話題かもしれないけど、聞いてくれる?」


「は、はい」


 菜々実ちゃんがとてとてと駆け寄ってくる。

 さっきぶりに見た顔はなんだか少し青白い気がした。


「…………俺さ、ミーチューブでバーチャル配信者の配信をよく見るんだ────あ、バーチャル配信者って知ってるかな」


「…………えっと……はい」


 知ってたか。それなら話は早い。


「それでさ…………なんて言うんだろ。観てるうちに『好き』になっちゃったというか。何言ってるか分からないだろうけど、そんな感じなんだ」


「そうなん……ですね」


 菜々実ちゃんは俺の話を、何か考え込むようにしながら聞いている。


 ……大丈夫だろうか。引かれたりしてないだろうか。


 正直、引かれてもおかしくないと思う。何言ってんだ俺って話しながら後悔してる。


「だからさ、実は恋って言っていいのかも分からないんだ。アイドルに恋してるっていうのと同じ感じだと思う。……ごめんね、変なこと話しちゃって」


「いや……大丈夫です」


 菜々実ちゃんは喜んでいるんだか悲しんでいるんだかよく分からないような顔をしていた。


「名前……聞いてもいいですか? 千早さんが好きだっていう配信者さんの名前」


 名前かあ。


 菜々実ちゃん知ってるかな。


 二人ともエムエムが上手いから、もしかしたら動画を観てたりしてるかも。

 だったら、ちょっと恥ずかしいな。


「えっと……『氷月ひゅうがこおり』っていうんだけど……知ってるかな?」





 言えばよかった。


 私が氷月ひゅうがこおりだって言えばよかった。


「…………」


 これ以上ないお膳立てだった。


 これ以上ないタイミングだったじゃないか。


 一言、そう言えば私の願いは叶ったんだ。


「…………」


 今度会ったら。


 今度会ったら伝えよう。


 私です、って。


 私が…………氷月こおりですって。


 そうしたら、きっと────


「…………言えるわけ…………ないよ…………」


 そんなの────言えるわけない。


 私は…………氷月こおりのおまけじゃない。


 私が氷月こおりだから付き合うだなんて……そんなのは。





 あまりにも────惨めだ。





 ちゃんと…………私を見て欲しい。


 木崎菜々実を、好きになって欲しい。


「…………このままじゃ、ダメだ」


 何かを変えないと。


 何かを。


 でも、その何かが分からないんだ。

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