氷月こおりはどんな人?

「付き合ってる人? いないですけど……」


 そんなことを聞かれると思ってなかったのか、岡さんは少し驚いた様子でそう答えた。


 …………へえ、いないんだ。

 まずは一安心ってとこかな。


「そうなんだ。誰か気になる人とかいないの? ありすとかバレッタとか、最近岡さんと遊んでるって言ってたけど」


 私がそう畳み掛けると、岡さんは困ったように眉をひそめた。


「うーん…………気になる人ですか……」


 この反応はなんだろうか。

 いないって訳ではなさそうだけど……私に言うのを迷っているって感じに見える。


「…………」


 ななみんか、はたまたありすかバレッタか。

 全員可愛いからな、正直誰の名前が出てもおかしくはない。もしくはまだ見ぬ誰かって可能性も。


「生ビールとハイボールでーす」


 岡さんの返答を待っていると、ふすまが開き店員がドリンクを持ってきた。


 岡さんはハイボールにゆっくり口をつけると、意を決したように口を開いた。


「えっと…………こおりちゃんって、どういう人なんですか?」


「…………へ?」


 予想外の答えに、思わず声が漏れる。


「…………ああいや、教えられないならいいんですけど。どういう人なのかなって」


「あー……えーっと、こおりちゃん?」


 ────ななみんじゃなくて?


 と続けそうになるのをなんとか堪える。私がななみんと知り合いだってことは岡さんは知らない。

 聞いてくるってことは、当然ななみんがこおりちゃんだってことも知らないんだろう。

 バーチャル配信者は基本的にネットの活動を誰かに明かしたりしないから、ななみんも隠してるんだろうな。もし隠してなかったら、こうして飲み会を開くようなことにはなっていなかった。


「はい。オフコラボしてる栗坂さんなら色々知ってるかなって。……勿論、言える範囲でいいんですけど」


 やけに真剣な岡さんの顔で色々察する。


「ちょっと待って……確認なんだけど、岡さんはこおりちゃんが好きってこと? ……ラブ的な意味で」


 岡さんはなんだか難しい顔をして、言葉を絞り出す。


「うーん…………好き……なん、だと思います。よくないですよね、こんなの」


「いや別に、ダメとは思わないけど……」


 マジか。


 まさか岡さんがバーチャル配信者ガチ恋勢だとは思わなかった。


「勿論こおりちゃんとどうこうなりたいだなんて考えてないんです。ただ、何か知れたらいいなって」


「なるほど……」


 色々な考えが渦巻いては解けていく。いくつもの選択肢が私にはあった。


 プラン一つ目……全てを白状する。

 こおりちゃんはななみんだと岡さんに伝える。

 正直どうなるのか予想が付かない。こおりちゃんへの気持ちがそのままななみんに向かうかもしれないし、感情の化学反応が起きて嫌な方向にいく可能性もある。

 そもそも勝手にバラすのは気が引ける。今日は元々全てをバラす気はなかった。


 プラン二つ目……適当に誤魔化す。

 これが一番無難。何を言っても岡さんはそれを確かめる方法はないんだし、さらっとこの話題を流す。

 デメリットは、全く自体が進展しないこと。

 岡さんがこおりちゃんに恋をしていることが、ななみんにとってプラスなのかマイナスなのか、判断が出来ないんだよな……。


 そしてプラン三つ目────


「こおりちゃんの事は、私より岡さんの方が詳しいんじゃないかなあ」


「…………どういうことですか?」


 だって────岡さん、あなたそのこおりちゃんに膝枕してるんだよ!


 と叫びたい気持ちを抑え、冷静に言葉を紡ぐ。


「だって岡さん、昔からのファンなんでしょ?」


「ああ、そういう意味ですか……そうですけど、配信でのキャラってリアルと全然違ったりするじゃないですか」


「まあそうだね。バレッタとか極端だけど」


「鳥沢さんに初めて会った時は驚きました。こんなに違うんだなと」


「私も未だに慣れないわ。まあでもこおりちゃんは配信の時とそんなに変わらないかな? 勿論口調は違うけど」


「そうなんですか?」


 岡さんが興味津々といった様子を隠しきれず食いついてくる。


「あー……でも、意外とお茶目な所があるかも。いたずらっ子というか。末っ子タイプだね、あれは」


「へえ…………。なんというか……意外でした。あんまり想像出来ないです」


 私の話に岡さんが目を丸くする。


 声もかなり変えてるし、どういう理由でああいうキャラをしてるのか分からないけど、配信でのななみんはひたすら丁寧な態度を崩さない。

 リアルのななみんも基本的には丁寧なんだけど、たまにいい意味で生意気なところがあって、かと思えば思いっきり頼ってきたりして…………可愛い後輩って感じなんだよな。愛嬌があるというか。


「まあ、岡さんもそのうち会えるかもね」


「えっ!?」


「だって私たちと知り合いなんだよ? 何かの拍子に会うこともあるかもしれないじゃん」


「…………ありますかね、そんなこと。会いたいような、会いたくないような…………そんな気持ちなんですが」


 …………会えることを祈ってるよ、私は。


 すっかり結露で濡れたジョッキを掴み、思い切りビールで喉を潤す。


 いつか三人で、全てを曝け出して────飲みに来れたらいいな。その時は二人のことを思いっきり祝福してやる。


 …………ななみんは酒飲んだら寝ちゃうかもしれないけど。





「ふい〜、飲んだ飲んだ」


 店から出ると、生温い空気が肌に張り付く。秋口とはいえまだまだ蒸し暑い夜が続く。


「飲みましたね……」


 私も岡さんもグラスを五、六杯。いやもっとかもしれない。とにかく結構飲んでしまった。


 酔うと岡さんも饒舌になってきて話も盛り上がったし、ななみんの事を差し置いてもかなり楽しい飲み会だったな。


「いやー、岡さんと話すの楽しくて思ったより飲んじゃったよ。…………じゃあそろそろ帰ろうかな」


「あ、駅まで送りますよ」


 私達が飲んでいた居酒屋は岡さんとななみんが住んでいる町の最寄り駅前にある。

 この町はやたら街灯が少なくて、辺りは駅前とは思えぬ暗さだ。


「ありがとー。じゃあ散歩がてら歩こっか」


 飲み会を通じてかなり岡さんと打ち解けることが出来た。すっかり自然体であれこれと話していると、すぐに駅の改札まで辿り着く。


「じゃあこの辺で。今日は楽しかったよ。また飲もう」


「こちらこそ色々ありがとうございました。また誘ってください」


 私は手を挙げ、岡さんはぺこっと頭を下げた。


 ────その刹那。


「あれっ、千早さん? と────」


 改札の向こうから、声がした。

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