ライバル

 日本語には「清々しい朝」という表現があるが、俺は朝というものにすっきりした印象を持っていない。


 眠いし、ダルいし、仕事に行かなきゃいけない。


 学生の頃は「学校に行かなきゃいけない」だった。それが今は仕事に変わっただけ。


 朝からそんな調子だから勿論仕事に精など出るわけもなく、職場では「やる気のないやつ」だと思われている。最低限やることはやっているから作業態度を咎められることはないが、まあ、内心良くは思われてないだろう。


 こんな生活を二十五年繰り返してきた。属するコミュニティこそ変わったが、俺の人生が鮮やかな色彩で彩られることはない。

 学校にいても、会社にいても変わらない。灰色で乾燥した毎日。


 そんな毎日に、最近変化が訪れた。


『千早さん! 夜エムエムやりませんか?』


 ひょんなことから知り合い仲良くなった、近所に住む女の子の菜々実ちゃん。

 その菜々実ちゃんから頻繁に連絡が来るようになった。平日はほぼ毎日ゲームの誘いがくる。


 帰宅して、こおりちゃんの配信を観て、終わったら菜々実ちゃんとエムエムをやる。


 そんなルーティンが日課になりつつあった。


「千早さん、毎日お仕事大変ですよね。お疲れ様です」


 ヘッドセットから聞こえるのは落ち着いた印象がある菜々実ちゃんの声。


「ありがとう。菜々実ちゃんも今日一日お疲れ様」


「えへへ……まあ私は何もやってないんですけどね……」


 何もやっていないってどういうことだろうか。

 考えて、そういえば菜々実ちゃんがどういう人なのかよく知らないことに気がついた。


「…………菜々実ちゃんって普段何やってるの?」


 確か大学を休学しているというのは聞いたけど、そもそも何故休学してるんだろうか。気になるといえば気になるが、自分から突っ込んで聞けるような話題でもない。


「うっ、普段ですか…………うーん……ゴロゴロしてますね……」


「そ、そうなんだ」


 菜々実ちゃんは不良には見えないし、何かやむにやまれぬ事情で休学せざるを得なかったに違いない。

 これ以上踏み込んではいけなそうな空気を感じ、俺は話題を変えることにした。


「菜々実ちゃん俺の事よく誘ってくれるけど、もしかして責任感とか感じてない? 俺を上手にしようって」


 菜々実ちゃんは俺にエムエムを教えてくれている。菜々美ちゃんはエムエムがとても上手だし、教え方も丁寧だ。


 しかし向いていないのか歳なのか、俺はなかなか上達しなかった。毎日プレイしているのにも関わらず、未だにゴールドランクという下から三番目のランクで燻っている。

 因みにこの前ありすちゃんの放送を見てみたらゴールドの上のプラチナランクに上がっていた。今度神楽さんと一緒にエムエムをやることになったら馬鹿にされるかもしれない。


「そんなことないですよ。千早さんとゲームするの、楽しいですから。私がやりたくて誘ってるんです」


「そっか、それならいいけど……いつもありがとうね」


 こんな俺と一緒に遊んでくれて、しかも楽しいと言ってくれる。菜々実ちゃんは本当にいい子だな。


「そんなお礼なんて! こちらこそ、私と遊んでくれてありがとうございます」


 跳ねるような菜々実ちゃんの声。


 …………ほとんど毎日聞いているからだろうか。菜々実ちゃんと話していると不思議と心が落ち着くんだよな。


 菜々実ちゃんという存在が、俺の日常になっていく……そんな気がした。





「恋は先手必勝だよ!」


 ありすちゃんが拳を握って力説する。


「……先手必勝って言っても……」


 オフコラボのあと、ありすちゃんに岡さんとの事を根掘り葉掘り聞き出されてしまった。

 人が変わったように質問してくるありすちゃんを前に隠しきれず、好きだということまでバレてしまった。

 それからというもの、私たちはたまに「作戦会議」と称してありすちゃんの家に集まっていた。


「ボクの調べによると、千早くんを狙ってるライバルは多い! うかうかしてると他の人に取られちゃうよ!」


「…………ライバル……」


 ────告白する勇気がないことは、私が一番よく分かっていた。


 だから岡さんの彼女になりたいなんて想いは、胸の奥深くにしまい込んでいて。

 ただ……あのプラネタリウムの時のような穏やかな時間がずっと続けばいいなって……そう思ってた。


「バレッタは…………千早くんが他の人のものになってもいいの?」


 でも………そんな甘い願いはどうやら叶いそうもなくて。


「…………それは……嫌だ」


 ────岡さんが、誰か他の人の隣で笑っている。

 想像するだけで体が震えそうになった。


 そんなのは……嫌だ。


「なら、頑張らないとね」


 ありすちゃんが両手で私の手を優しく握る。ほんのりと暖かい感触が私を包んだ。


「ボク、もえもえのこと応援してるから」


「…………もえもえ?」


 慣れない言葉に思わず聞き返してしまった。

 ……私の事だろうか?


「萌だから、もえもえ。これからは名前で呼ぼうかなって」


「…………ふふ」


 そう言って笑うありすちゃんが何だかとても頼もしくて。


「…………ありがとう、芽衣ちゃん」


 私は自然にありすちゃんの名前を呼んでいた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る