恋人未満?

「……えっと…………神楽、さん……?」


 ギシ、と音を立ててゲーミングチェアが二人分の重みを受け止める。


「…………」


 俺の呼び掛けに、神楽さんからの返事はない。まるで聞こえていないかのように俺の胸に額を押し付けている。


 ショートした俺の頭は胸にすっぽりおさまった神楽さんを見て「きれいなつむじだな」と何故かそんなことを考えていた。


「…………あの……」


 俺に出来ることは変わらずおっかなびっくり呼びかけることだけだった。

 この状況は完全に俺のキャパシティを超えている。俺に女性経験は全くないのだ。


 再三に渡る俺の呼びかけに、シャツを掴む神楽さんの手の力が少し強くなった。


「…………少しだけ……胸、貸して……」


「あ、ああ……」


 神楽さんの声は弱々しく震えていて、どうやら泣いているようだった。


 …………こういう時なにか気の利いた事でも言えればいいんだろうが、生憎俺の頭はさっきから胸に感じる確かな重みを意識しないようにすることで精一杯だった。この状況で俺は完全に役者不足だった。


「…………」


 エアコンの換気音がやけに大きく聴こえる。時折神楽さんの啜り泣くような声が混じる。


 ────気付けば俺は神楽さんの背中をそっとさすっていた。赤ちゃんをあやす様に、ゆっくりと手を動かす。


「…………んっ……」


 神楽さんが声を漏らす。


 考えてやったことじゃない。寧ろ深く考えたらこんなことをする勇気は俺にはないだろう。


 ただ、何がしたかった。何かするべきだと思ったんだ。


「神楽さんは頑張ってたよ。もしネットで神楽さんが叩かれたとしても……俺は神楽さんが頑張ってたのを知ってるから。俺には何も出来ないけど、俺は神楽さんの味方だから。それだけは覚えておいて」


 第一回MMVCで姫の放送が荒れたことを思い出す。


 今回バレッタとありすちゃんのチームが負けたのは、神楽さんがあそこで頭を抜かれたからだと言う人は必ずいるだろう。


 でも、そんなのはおかしいんだ。それはこおりちゃんを褒めるべきであって、神楽さんを責めるべきじゃない。そんなことで神楽さんが悲しむのは俺は嫌だった。


「…………うん……」


 神楽さんは少し落ち着いたようだった。啜り泣く声が止んだ。


 もしかして俺は今結構恥ずかしいことを言ってしまったんだろうか。意識すると顔が急に熱くなった。

 神楽さんを何とか元気づけようとするのに頭がいっぱいでなんか色々言ってしまった気がする。


「…………まあ、そういうことだから。あんまり落ち込まなくてもいいと俺は思う」


 取り繕うように俺はそうまとめた。

 ……ああもう恥ずかしい。勢いで色々言っちゃったことを後悔はしないけど、それと恥ずかしいのは別問題だ。


「…………ふふっ、千早くんどうしたのさ。柄にもないこと言っちゃって」


 神楽さんは相変わらず俺の胸に顔を埋めたまま、けれどさっきまでとは違い楽しそうな声色でそう言った。


「…………うるさい。なんか色々テンパっちゃったんだよ。元気出たならどいてくれ」


「りょーかい。胸、返すね」


 神楽さんは顔を上げ立ち上がった。目の周りは赤くなって少し腫れていたけれど、それでも表情はどこか清々しかった。


 神楽さんは手早くバーチャル配信用の機材を身体から外すと、ドアに向かって歩いていく。


「千早くん」


「何だ?」


 神楽さんが背中越しに声をかけてくる。


「…………さっきはありがと。ちょっとだけ……かっこよかったよ」


「…………お、おう。それは……なんだ。あり、がとう?」


「ふふっ、なんで千早くんがお礼言うのさ!」


 神楽さんがお腹を押さえて笑いだした。


 うるさいな、女の子にかっこいいなんて言われたこと無かったんだよ。どう返したらいいか分からなかったんだ。


 ……まあいいか。神楽さんも元気になってくれたみたいだし。やっぱり神楽さんには笑顔が似合うと俺は思うんだ。





 帰宅する頃にはすっかり夜も更けていた。


 大会が終わったのが二十二時くらいだったからな。あれから少し話して神楽さんの家を出て、なんやかんやもう二十四時だ。


 シャワーを浴びて寝てもいいが、こおりちゃんの配信の様子が気になる。前回の雪辱を晴らした形だからな。きっとお祭り騒ぎだろう。


 音速でシャワーを浴び、ゲーミングチェアに腰を下ろす。

 ……やっぱり神楽さんのやつの方が座り心地が良かったな。買い替えも視野に入れておこう。


 マウスを操作しこおりちゃんの配信ページを開く。時間を調整して優勝インタビューのあたりまで配信を飛ばした。神楽さんの家では音声が聴けなかったからな。こおりちゃんの優勝インタビューを聴かずに寝ることは俺には出来ない。


『えっと……氷月ひゅうがこおりです。優勝出来て本当に嬉しいです。前回……同じペアで出させて頂いて負けてしまったので、今回はどうしても勝ちたいと思っていたんです。誘ってくれたメモちゃんも本当にありがとうございます』


 そうだよな。こおりちゃんの今回の大会にかける想いは相当なものだったはず。

 優勝出来て本当に良かった。神楽さんの事とは関係なく、心からそう思う。


『おっすー! 魔魅夢まみむメモだぞー! まずは…………前回私の配信を荒らした奴ら! これで文句ねーな! もーう雑魚とは言わせないからな!』


 ……相変わらず姫は凄いな。言い難いようなことをズバズバぶっこんでくる。


『お前最後負け筋作ってたやんけ!』


 コメントを見て笑いそうになる。確かに最後の姫の突撃は完全にミスだった。ほとんど勝ち確だったのが本当にギリギリの勝負になってしまった。


 ただ、そんなコメントすら笑いのネタになっていた。コメント欄は二人の優勝を祝福する書き込みで溢れかえっている。


『あのねーちょっとこの場を借りて皆に聞いて欲しいんだけどぉ、前回私の配信が荒れちゃったんだけどさ、私は正直あんまり気にしてなかったのよ。でも私以上にこおりちゃんがめちゃくちゃ気にしててさ。こおりちゃんの為にも、私は今回このペアで勝ちたかったの』


 これはオフコラボの時も言っていたことだ。姫は本当にこおりちゃんの事を大切に考えているんだな。

 二人はプライベートでも仲がいいというのはこおりちゃんの配信でもちょくちょく話題になっていた。


『だからね…………今ほんっっっとうに嬉しい! MMVCさいこぉおおおおおぉおお!!!』


 姫の絶叫で優勝者インタビューは幕を閉じた。

 相変わらずフリーダムな人だ。これで中身があの栗坂さんだというのだから、意外なようなイメージ通りなような。


 そういえば、栗坂さんに優勝おめでとうございますとか送ってもいいのだろうか。あとは鳥沢さんにも一声かけてあげたい。バレッタは本当に大車輪の活躍を魅せていた。


 俺はスマホを操作すると二人にメッセージを送った。内容は無難なものだ。優勝おめでとうございますとか、惜しかったねとか。


 ……なんだか興奮が覚めやらない。MMVCについて誰かと語りたい気分だ。


 そういえば菜々実ちゃんはエムエムめちゃくちゃ上手いけどMMVCは観ていたんだろうか。今度一緒にやる時にそれとなく話題に出してみるのもありかもしれないな。

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