鳥沢萌の憂鬱

「…………ふぅ」


 ヘッドセットを外し、一息つく。

 たった五戦とはいえ心地よい疲労感が身体を包んでいる。


 ……普段やっているランクマッチは何時間やっても疲れないのにな。大会だとどうも緊張して疲れてしまう。


 大会とか、本番とか。そういう言葉は苦手だ。バーチャル配信者になってもそれは変わらない。


「…………二位、かあ」


 最後の戦闘が脳裏で再生される。優勝者インタビューを聞いている時も、それはずっと頭の中でリピートされていた。


 …………もう少しで勝てていた。本当に、コンマ数秒。私の弾があと一発当たっていればこおりさんを倒せていた。


「…………はぁ……」


 押し寄せるのは大きな後悔の波。


 頭では分かっている。

 あれはこおりさんが上手かった。あのタイミングでジャンプの軌道をズラされるなんて思いもしなかった。勿論ああいうテクニックがあることは知っているし、私もよく使う。それでもあの場面で出されたら人間の反射神経では絶対にコンマ数秒反応が遅れてしまう。プロですらあの動きに完璧に着いていくのは不可能だと言われているくらいだ。


 そんなことは、分かっている。分かっていても、「そうだね、仕方ないよ」とはならない。ならないんだ。


「…………勝ちたかったな……」


 意識せず言葉が漏れた。


 私……バレッタ・ロックハートは第一回MMVCの優勝者だ。

 今回の第二回大会、勿論私は連覇を期待されていた。事実、視聴者の間でも大会の紹介でも私は優勝候補の一組として扱われていた。その期待に応えたいという思いは確かに私の中にあった。


 でも、私が「勝ちたかった」のはMMVCではない。


 ────氷月ひゅうがこおりさんに、勝ちたかった。


 岡さんの好きな────氷月こおりさんに。


 初めて岡さんに会った日。ありすちゃんと姫と姫のマネージャーさんと四人で岡さんの会社に行ったあの時。


 姫は岡さんと顔見知りだったみたいで…………その時姫は言ったんだ。


 ────『こおりちゃんファンのお兄さん』って。


「…………氷月……こおり、さん」


 岡さんはMMVCを観ていたのかな。観ていたとしたら……きっとこおりさんを応援していたんだろう。ありすちゃんと練習してるって聞いたから、ありすちゃんの事も応援していたかもしれない。


 でもきっと私の事なんて……ありすちゃんの相方くらいにしか思ってないよね。


 もし最後……私が勝っていたら。


 こおりさんに勝っていたら。


 岡さんは私の事嫌いになったりしてたかな。

 そう考えたら、負けてよかったとも思う。これで良かったのかなと思う。


「…………ううん」


 その考えは、逃げだ。

 負けたことに都合のいい逃げ道を作ろうとしているだけ。


 岡さんはそんなことで私を嫌いになったりはしないだろう。きっと、おめでとうって本心で褒めてくれるはず。


 ────そんな岡さんだからこそ、私は好きになったんだ。


「…………勝ちたかった、なあ」


 岡さんに、格好良い所を見せたかった。


 現実では格好悪い私だから。まともに人と話すことすらできない私だから。

 せめてゲームでくらい格好良い所を見てほしかった。


 そうしたら……少しは私の事も、気にかけてくれるようになるかもしれない。しれなかった。


 でもそれも、もう叶わぬ願い。


 岡さんは今頃こおりさんの優勝を喜んでいるだろう。私の事なんて、少しも頭の中にはないだろう。


 そう思うと、本当に悔しい。悔しくてどうにかなってしまいそうだった。


「…………お風呂、入ろ」


 思考がどんどん嫌な方に落ちていく。

 私はネガティブだからこういうことは時々あって、自覚出来たらお風呂に入ると決めている。お風呂に入って、気持ちをリセットするんだ。


「…………」


 今日はいつもより長風呂になりそうだな、なんて考えながら私はリビングに歩き出した。




 かれこれ1時間以上お風呂に入ってしまった。

 私からすればとても長い。


 まあ……お陰で少し心は落ち着いた。さっきはネガティブになっていたなと思う。反省しなければ。


「…………はふぅ」


 ごろん、とベッドに寝転がる。ぼんやりとした天井が視界一杯に広がった。眼鏡どこやったっけ……。


 何となく、届くはずのない天井に手を伸ばしていると、スマホが音を立てた。


 枕元を手探ってスマホを掴む。どうやらルインがきたみたいだ。


「…………なんだろ」


 慣れた手つきでルインを起動する。

 起動して…………固まった。


「…………岡さん……?」


 それは岡さんからのメッセージだった。今頃は、こおりさんの優勝を喜んでいるはずの……岡さんからのメッセージ。


『MMVCお疲れ様。最後惜しかったね。でもめちゃくちゃかっこよかったよ!』


「…………ぁ……」


 …………岡さん。


 あなたは、どうして、そう…………いつも、私の欲しい言葉をくれるんですか。


 どうして……放っておいてくれないんですか。


 岡さんがそんなだから、私は、期待してしまうんです。


 嬉しさが胸に込み上げる。さっきまでのネガティブが嘘みたいに私は今幸せの中にいた。


 たった一、二行のメッセージを貰っただけなのに。それだけで私は堪らなく嬉しくなってしまうんだ。我ながらどうしたものかと思う。


「…………会いたいな」


 どうせ、会ったところでロクに話せはしないのだけど。


 それでも、会いたかった。

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