神楽芽衣は帰さない。

 日曜日の昼。


 俺は港区にある高級タワーマンションを目指して電車に揺られていた。


 バーチャル配信者呼び出しシリーズ第二弾である。


 ……誰がシリーズ化しろと言った。


 どうしてこんなことになったのか。それは例によってルインが発端だった。


 昨晩バレッタの配信を観ていたらスマートフォンが新着メッセージの受信を知らせた。

 最近仕事が増えてスマートフォンも喜んでいるだろう。ごめんな、今まで辛い思いをさせて。


『仕事のことでお話があります。明日、以下の住所に来て貰えますか? 東京都港区~』


 発信者は『神楽かぐら芽衣めい』。

 大人気バーチャル配信者・不可思議ふかしぎありすの中の人だ。


 住所を調べてみると、なんとタワーマンションだった。

 興味本意でマンション名で検索すると、家賃三十五万円から。最低金額が俺の給料より遥かに高い。


 動画配信サイト・ミーチューブには、配信者に投げ銭出来るウルトラチャットという機能がある。

 不可思議ありすの去年のウルトラチャット額は確か一億円を超えていた。本人の取り分がいくらかは分からないが、港区のタワーマンションというお金持ちのシンボルのような所にも住めてしまうんだろう。


 羨ましくないといえば嘘になるが、ここまでくると別世界の話すぎて嫉妬する気にもなれなかった。俺には八畳一間がお似合いだ。


 仕事の話なら会社を通してくださいと返信したが、神楽さんは「とにかく来い」の一点張りで話にならないので、俺は休日返上で電車に揺られているという訳だった。職場に連絡したら振休貰えないかな。貰えないだろうな。


 電車を乗り継ぎ、マップアプリを駆使し、俺は指定の住所に到着した。


「…………わお」


 デカい。


 とにかくデカい。


 地上四十五階建ては伊達じゃなかった。周りにもちらほら似たようなタワーマンションが建っているが、それらより一回り背が高い。


 俺はうろうろと迷いながらエントランス前に到着すると、隣接されている警備員室に立ち寄った。


「すいません、神楽芽衣さんに呼ばれている岡と申しますが」


 なんとこのタワーマンションは警備員が常駐していて、住人以外はここで受付をしカードキーを受け取らないとそもそも入ることが出来ないらしい。「ボクの名前を出せば入れるから」と神楽さんは言っていた。お金が掛かってるなあ。


 受付してくれたのは体格のいい若い警備員だった。事前に話が通っているんだろう、スムーズに銀色のカードキーを手渡される。「お帰りの際は神楽様にカードキーをお預けくださるよう、よろしくお願いします」と説明を受け、俺は警備員室を出た。


 豪奢な石造りのエントランス。その入口にある端末にカードキーを差し込む。ピッ、と簡素な音が鳴り装飾が施されたガラス張りの分厚い自動ドアが開いた。


 タワーマンションに入るのは初めてだ。謎の呼び出しではあるが、実は結構ワクワクしていた。お金持ちがどういう所に住んでいるのか単純に興味がある。


 自動ドアを抜け、フカフカの絨毯に足を踏み入れた。


「なんだこりゃ……」


 そこはまるで高級ホテルのロビーだった。高い天井には照明が規則的に並び、フロア全体を暖かな光で包んでいる。一方の壁は全面ガラス張りになっていて、色とりどりに整えられた花壇を一望できた。

 フロア中央にはこれまた高級そうなソファとテーブルが広い間隔で並んでいて、広大な敷地を贅沢に使っている。


 物珍しさにきょろきょろと見回していると、フロントに控えていた若い女性のコンシェルジュと目が合った。恥ずかしさを誤魔化そうと反射的に軽く頭を下げると、女性は恭しくお辞儀をした。


 俺はそんな頭を下げられるような人間じゃないんだけどな。何だか申し訳なくなり、俺は案内を確認すると逃げるようにエレベーターホールに歩き去った。


 素人目なので分からないが大理石っぽい石で設えられたエレベーターホールには四基の大きなエレベーターがあり、ボタンを押すと電気自動車もかくやという静けさでエレベーターが到着した。エレベーターってこんな静かに動けるものなんだっけ。


 事前に聞いていた通り案内板にカードキーを差し込むと、エレベーターは行き先を俺に伝えぬまま静かに上昇を始めた。セキュリティの関係で他の階へは行けないようになっているらしい。もし強盗などがガラスを割って侵入してきてもどこにも行けないという訳だ。


 神楽さんが住んでいるのはどうやら三十七階らしい。手持ち無沙汰で階数表示を眺めていると、そこでエレベーターのドアが静かに開いた。


 聞いていた部屋番の案内の通り進み、ドアの前にあるインターホンを押す。

 十秒ほど待っているとガチャ、という解錠音がドアから響いた。


「お、お邪魔します……」


 俺が横に二人並んでも一緒に入れそうなほど大きなドアを開けると、俺の部屋くらいある玄関の先に薄ピンク色の部屋着を着た神楽さんが立っていた。


「やっほー。迷わず来れたみたいで良かったよ」


 神楽さんは軽く手を振る。一昨日知り合ったばかりとは思えぬ気安さだ。きっとコミュ強とかいう生き物なんだろう。よく知らない異性をいきなり家にあげる時点で俺とは別の価値観で生きているに違いない。


「こんにちは。結構迷ったけどね」


 いかんせん敷地が広すぎる。エントランスに着くまでに周りを一周してしまった。


「あははっ、無駄に広いからねこのマンション。立ち話もなんだしほら、あがってよ」


 神楽さんはもこもこしたウサギのデザインのスリッパを用意してくれる。

 もっと他に無かったのか……と思うがここでがっつり男物のスリッパが出てきた方が色々想像してしまって嫌だな。もしネットで「不可思議ありすに彼氏はいるのか?」という論争が起きていたら「多分いないよ」と書き込んであげよう。


 ウサギのスリッパを装備し可愛さパラメータを上昇させつつ神楽さんの後を着いていく。神楽さんは俺の事を全く意識していないのか完全にリラックスモードで、太ももまでしかない薄いルームウェアから伸びた健康的な足が嫌でも目に入る。男を呼ぶならちゃんとした格好をしてくれ。俺は神楽さんの貞操観念が心配になった。


 一人で意識しているのも格好悪いので今日の夜ご飯のことを必死に考えていると、広々としたリビングに通された。俺の部屋が八畳だから……三十畳以上あるぞ、これは。

 外に面している方は全面ガラス張りになっていて、辺りが見渡せた。高層階なのもあって物凄い絶景だ。地面より空の方が近く感じる。お金持ちになったら毎日こんな景色が見られるのか。


「適当に座って。今飲み物準備しちゃうから」


 神楽さんに促され俺はソファに腰を下ろした。予想以上に沈み込んで重心を取られるが、やがて気持ちいいところで俺の身体を受け止めてくれる。高いんだろうな、このソファも。


「ブラック、飲める?」


 キッチンの方から神楽さんの声がする。ブラックというのはあのブラックか。豆をすり潰したあの苦くて黒い。


「大好物だ」


 本当は苦手だが素知らぬ顔で嘘をついた。神楽さんは弱みを見せると遠慮なくいじってきそうな気がする。一昨日の姫との会話を聞いている限り、そういうイメージがあった。


 神楽さんは豆をすり潰した苦い汁が入ったグラスを両手に持って帰ってきた。一つを俺の前に、ミルクと混ざった方を自分の前に置き、ガラスのローテーブルを挟んで対面のソファに腰を下ろす。

 頼む、交換してくれ。


「まずは来てくれてありがと。暑かったでしょ外」


「灼熱だった。とはいえ仕事の話と言われれば来ないわけにはいかないからね」


「あー、ごめん。あれ嘘なんだ。仕事の話なんてないよ」


「…………は?」


 神楽さんの口から放たれた衝撃的なセリフに俺は言葉を失う。神楽さんは特に悪びれた様子もなく、てへっとしなを作ってウインクした。


「流石に私用って言ったら来ないと思って。そうでしょ?」


「……まあ、来ないだろうな」


 間違いなく行かない。可愛い女の子に誘われてやったあと着いていく程甘い人生は送ってきていないし、騙されてるんじゃないかと不安になる。


「やっぱりね。でも怒らないで? この清楚なボクが心苦しくも嘘をついてキミを自宅に招いたのには、ふか〜〜い訳があるんだよ」


 神楽さんは胸を押さえて苦しむ振りをした。なんて調子のいい人なんだ。これが人気バーチャル配信者のメンタリティか。


「……訳?」


 仕事の話でないならなんなのだろうか。はっきり言って神楽さんと話すような話題は俺には全くないんだが。


 神楽さんはずびしっと俺を指差すと高らかに叫んだ。


「……ズバリ! 千早くんは姫ちゃんとどういう関係なのッ!?」


「…………はい?」


 姫?


 どうしてそこで姫が出てくるんだ?


 想像の斜め上の質問に俺は返す言葉を失う。


「姫はねえ、ああ見えてすっっっごくガードが固いんだよ! バーチャリアルの社員さんですら必要最低限の人しか姫の連絡先知らないんだから! ボクだって仲良くなってやっと連絡先教えて貰ったのに、ポッと出の千早くんに、それも姫の方からだなんて絶対何かあるんだよ!」


 神楽さんは疑り深い目でこちらを睨んでくる。


「千早くんって……何者? 実は凄い人だったりする?」


「いや……普通のサラリーマンだけど……」


 凄い所など何一つない。強いて言えば、何一つ凄い所がない事が凄い所だ。

 誰でも一つくらいは長所があると言うが、二十五年生きてきてそれを自覚する機会はついぞ訪れなかった。


「シラを切っても帰れる時間が遅くなるだけだよ? 今日は白状するまで帰すつもりないからね」


 神楽さんはにひひと笑う。

 帰すつもりないと言われてもな。


「本当に普通のサラリーマンだ。姫とは正真正銘何も無い。悪いけど帰らせて貰うよ」


 聞きたいことがそれならこれ以上話すことは無かった。俺は早足で玄関に向かうと、靴に履き替えドアノブを捻った。


「…………開かない……?」


 ガチャガチャと捻ってみるが、ロックが掛かっているのかドアはビクともしない。


「そのドアはボクじゃないと開けられないよ~? ほら、観念して本当のことを話しちゃおう?」


 リビングの方から嗜虐的な声が響く。


 ……信じ難い事だが、どうやら俺は閉じ込められたらしい。


 うなだれると、脱いだスリッパのウサギと目が合った。

 ウサギは牧歌的な頬笑みを浮かべて、ただこちらを見つめていた。

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